朝起きて食堂に向かうと、そこには既に食事の準備が整っていた。キッチンに人の気配が無い事から察するに、昨晩のうちに宿のマダムが用意したものなのだろう。勝手にコーヒーを沸かし、勝手に食えといういつものパターンだ。私はコーヒーメーカーのスイッチを入れると、しばらくの間椅子に座ってドリップが終わるのを待った。 窓から外を見ると、雨は降っていないようだがねずみ色の雲が低く立ち込めており、いつ降り出してもおかしくない様子である。エール=シュル=ラドゥールを出てから今日で四日目、毎日続く雨天には心底うんざりである。いつになったら、お天道様はその姿を見せてくれるのだろうか。やはり、天岩戸の前で踊るべきなのだろうか。 しばらくしてコーヒーができあがり、他の宿泊者も続々と起き出してきた。私は手早く朝食を取ると、山と積まれた洗濯物から自分の衣類を拾い上げ(このジットでは朝食の他、洗濯物の乾燥もサービスでやってくれるのだ)、ベッドルームに戻って荷造りを始めた。 それでは出発しようかとザックを背負って玄関に出ると、Kさんも出発する所だったらしく今日もまた共に歩く事となった。私はいつものんびりペースな為、Kさんと一緒に宿を出ても途中ではぐれる事が多いのだが、今日はおそらく大丈夫だろう。今日はだらだら歩くのはやめ、きびきび行こうと考えているからだ。雨が降り出すまでに、できるだけ距離を稼いでおきたいのである。 マスラックの村を出ると、巡礼路は畑の道に入る。宿で一緒になったカナダ人女性(昨日の二人組とは別の人だ)も途中で加わり、しばらくの間話をしながら歩いた。途中で小雨がパラパラと降り出したが、幸いにもそれ以上酷くはならず、ほっと一安心である。 しかし昨日の雨は柔らかい畑の道を濡らし、至る所にぬかるみを作り出していた。途中にはやや急な箇所もあり、そこでは泥と化した土に足を取られて滑りそうになったりもした。靴は既にドロドロである。ジットでは玄関で靴を脱いでくれと言われる所がほとんどだが、その理由はこういう所にあるのである。 未舗装路を抜けるとアスファルトの舗装路となり、道なりに進んで行くと橋のたもとに建つ巨大な修道院が見えた。地図を確認するとソヴラード(Sauvelade)とある。村は小規模で比較的新しい建物が多いが、この修道院の教会からは重厚な月日の経過が感じられる。元は修道院がポツンと建っていた土地に、村が形成されたのだろう。 修道院の裏手にはジット・コミュナルもあり、この村で宿泊する事もできるようだ。ただ、店の類は無いので食料を持参する事が必須のようである。 そのジットの前でしばしの休憩を取った後、役場でスタンプを貰って再び歩き出した。少し進んでからふと路肩に目をやると標識があり、そこには「Pont de Roman」と書かれているではないか。ポン・ド・ロマン、すなわちローマ橋である。おぉ、これは私の古いモノレーダーがビンビンに反応しているぞ。 私はKさんにちょっと見てきますと言い残し、その標識が示す道へ進んだ。下草がぼうぼうに生えている上、木の枝が道をふさいでおり、進むのに少々躊躇するような道ではあるものの、この先でローマ橋が私を待っているのだから引き返す事はできない。 草をかき分け進む事およそ5分、泥にまみれていた靴が草露でびしょびしょになった頃、ようやくその橋が姿を現した。 全く手入れがなされていないのか、その橋はまるで忘れ去られた遺跡のようにひっそりとたたずんでいた。渡る人もほとんどいないのだろう、橋は全体を苔と草によって覆われている。近くまで寄らないと橋だとも分からない程だ。しかし、よくよく見るとその形状は確かに古いモノ。さすがに古代ローマ時代とまではいかないものの、中世の頃に架けられたと考えらえる古い橋である。 おそらく、昔はこの橋がソヴラード修道院への入口かつ巡礼路のルートだったのではないだろうか。現代に入り、車道を通す為に現在の橋が架けられ、そちらが新道となったのだろう。時代に取り残された古橋を見る事ができて、私は心底満足だ。 ソヴラードを出て坂道を上り、丘の上の牧草地帯に出た頃になると雨はすっかり上がり、代わりに太陽が顔を出してくれた。ぽかぽかと暖かい日差しに心がほぐされる。牧場の緑も色鮮やかだ。うん、やっぱり私は晴れが好きである。 気を良くした私はカメラで写真をパシャパシャ撮っていたのだが、ふと液晶を見るとどうも様子がおかしい。画面の3/4程が真っ暗なのである。プレビュー画面にしても、左端の部分がわずかに表示されるだけ。うぉ、これはどうした事か。 慌てた私はスイッチを切って再びオンにしてみたが……結果は変わらない。おいおい、まさかここに来て故障してしまったというのか?しかし、まぁ、とりあえず写真を撮る事はできるようなので、一抹の不安を抱えながらもそのまま使う事にした。ここ数日、雨の中で酷使しすぎたのが祟ったか。 巡礼路は緩やかな丘を上ったり下ったりしながら引き続き牧場の中を行く。そろそろお昼の時間なので昼食を取る場所を探しながら歩いたものの、どうも適当な場所が見つからない。雨が降っていたのでその辺の草むらに腰掛けるという事も不可能だ。 結局、昼食にありつけたのは13時過ぎ。牧場地帯を抜けた林の中のベンチテーブルでである。ここに設置されていたベンチとテーブルは鉄製で、流線形の不思議なデザインが目を引く。このような何の変哲もない場所のベンチでさえも、ちょっと凝ったデザインにするところがフランスっぽいなと感心した。 森の道を下り切ると、メリテン(Meritein)という町に到着した。教会の横に役所があったのでスタンプを貰おうと入ったのだが、この先のナヴァランクス(Navarrenx)に行ってくれと断られてしまった。役所(MARIAE)ならどこでもスタンプがあると思っていたのだが(実際どこでもスタンプを押してくれたが)、そうでない場所もあるようである。 役所のお姉さんが言ったナヴァランクスとは、本日の目的地の事である。メリテンからはもうそれ程遠くはないようなので、今日は少々早めの到着になりそうだ。道は平坦で周囲には家屋も散見される。郊外住宅がここまで延びているのを鑑みるに、どうやらナヴァランクスはそこそこ大きな町のようである。 ナヴァランクスの町に入る手前に建つ一軒の農家には、入口アーチの要石(キーストーン)に1688と刻まれた建物があって驚いた。フランスの家屋は入口に建てられた年を記している事が多いのだが、いやはや、この年号は本当なのだろうか。1600年代の民家建築など、日本にはそう多く残っていない。木造建築と石造建築をそのように比較するのは少々ナンセンスである事は承知であるが、しかし、こうもゴロンと17世紀の民家が現存しているとは、少々びっくりだ。 結局、ナヴァランクスには14時過ぎに着いた。うん、やはりいつもより早目な到着である。今日は自分ひとりではないので歩行ペースが早め、休憩の回数も少なく、距離も短いので、この時間になったのは、まぁ、必然だろう。 私とKさんは役所でスタンプを貰ってから予約のジットを探した。小さな村であればジットもすぐに見つけられるが、そこそこ以上の規模になると町が広く建物も多いので大変だ。ようやく発見したジットは妙に軽いノリのお兄さんがやっている宿だった。20ユーロという事だったので朝食付きかと思いきや、素泊まりだそうだ。 なお、ここナヴァランクスは周囲を城壁で囲まれた町である。その城壁は14世紀から17世紀にかけて築かれたもののようで、町の中に建つ歴史的建造物も17世紀に建てられたものが多いようだ。今もなお東側の一部を除いて城壁や壕が現存しており、非常に興味深い。これまで訪れたフランスの町は美しいという表現がぴったりな所が多かったが、ここは武骨なカッコ良さのある城塞都市なのだ。 町を一通り回り、公園のベンチで休憩していると、ふと一組のカップルが歩いて来るのが見えた。ん、あの姿は……おぉ、ジャンさんとジーナさんではないか。呼び止めて話を聞くと、私がポンに泊まった日にお二人はその先のアルトエまで歩き、昨日ナヴァランクスに到着したのだそうだ。雨の中歩くのが嫌なので今日は休んでここに二泊し、そこに私が追い付いたのである。やっぱり皆、雨は嫌いなんだなぁ。 お二人と別れた私は夕食を買いに行こうと思ったが、町に唯一あるスーパーは現在改装中で休みなのだそうだ。その代わりに二軒ある肉屋がスーパーを兼ねているのだという。というワケで教えられた肉屋へ行ってみると、その店内はまさに肉、肉、肉。打ちのめされる程の圧倒的な肉たちが陳列されていた。 思えば、フランスで肉屋に入るのはこれが初めての事である。生ハムの原木に始まり豚の脳みそまで、様々な種類の肉が物凄い勢いで私に迫ってきた。いやはや、小さな町の肉屋であっても、これ程の品揃えだとは。 しかし、さすがに生肉を買う事はできない。店内を見渡してみると、入口左側のテーブルに出来合いのお惣菜が並んでいるプレートがあった。どれもおいしそうなものばかりで迷ったが、ミートパイとトマトの肉詰めを買う事にした。それからワインを調達すべく酒屋に寄ったのだが、この酒屋もまた町の規模にしては品ぞろえが極めて良く、フランス人の食へのこだわりを改めて思い知らされた。 今日のジットには、昨日のジットでも一緒になった(そして今朝一緒に歩いた)カナダ人の女性がいた。ミサから帰ってきたKさんも加わり、三人でテーブルを囲んでの夕食である。肉屋で購入したミートパイもトマトの肉詰めも、どちらも非常に美味で満足だ。うん、食事が豊かなのは素晴らしい事である。 Tweet |