アルーの村は一面の霧に覆われていた。十数メートル先も見えないような白色世界である。こりゃ参ったなと私は思った。できれば今日は、すっきりとした晴れの日であって欲しかったのだ。 このアルーから本日の目的地であるオスタバ=アスムという町までの区間22kmは、世界遺産「フランスのサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路」に含まれる巡礼路7区間のうち最後の区間である。「ル・ピュイの道」終盤を飾るとても眺望が良いと評判の区間なのだ。昨日の夕方には晴れとなり、これなら明日は良い天気かなと期待していたのに、起きてみたらこの濃霧とは。思わず頭を抱えてしまう。 朝食を取り、出発の準備を終えても霧が晴れる事は無く、私は出発を遅らせる事にした。一輪車おじさんやwi-fiおじさん、Kさんはもうとっくに出発している。結局、私が宿を出たのは9時少し前、当然ながら一番最後の出発となった。 アルーを後にした私は、程無くしてアメリカから来たという巡礼者グループに写真撮影を頼まれた。この時間にまだアルー付近にいるという事は、昨夜は一つ前の村に泊まったのだろうか。彼らは妙にテンションが高く、わいわいと私の前を歩いて行った。 しばらく車道を歩いたのち、巡礼路は丘を上る未舗装の横道に入った。周囲は極めて開放的な牧場で、霧がなかったらさぞ良い眺めが見られた事だろう。……と思ったところ、このままここを通り過ぎてしまうのは物凄くもったいない事のような気がしてきた。霧は早朝の寒暖差によって発生する事が多いものである。ならば、もう少し待てばこの霧も晴れてくれるんじゃないだろうか。 牧場の鉄門に腰掛けながら、牛を眺めつつ時間を潰す。すると、こちらに登ってくる二つの人影が霧の中から浮かび上がってきた。徐々に見えてくる小柄な姿は……おぉ、アルザック=アラジーゲやポンのジットで一緒になった、ドイツ人姉妹じゃないか。向こうも私に気付いたようで、手を挙げて挨拶をする。少し会話を交わしたところ、昨夜彼女たちは巡礼路から少し離れた村に泊まっていたそうだ。そして今日もまた、巡礼路から離れた村に泊まるらしい。やはり皆、宿の確保には苦労しているようである。 ドイツ人姉妹が去った後、さらにしばらく待っていると徐々に遠くの景色が見えるようになってきた。おぉ、やった、読み通りの展開になってくれたぞ。しかも、期待通りの素晴らしい風景である。うん、待って正解だった。 空もミルキーな色合いから水色に変わってきており、間もなくして日差しも出てきた。私はゴキゲンに鼻歌混じりで丘の道を行く。途中で足を止めて景色を眺めていると、後ろから三人の女性が追い付いてきた。そのうちの一人はロングスカートをはいている。荷物も軽装なので巡礼者ではないと思うが、ピクニックだろうか。 英語が堪能なスカートの女性と少し話をした所、写真を撮ってあげましょうか?と提案された。せっかくなのでお言葉に甘える事にし、牧草地とそこに建つ雰囲気の良い家屋をバックに撮ってもらった。一人で旅行していると自分の写真を撮る機会が少ないので、こういう申し出は非常にありがたいものだ。 オライビー(Olhaiby)の集落外れに建つ教会は、白壁に傾斜の付いた屋根が印象的な建物だった。入口に鍵がかけられているので教会の内部に入る事はできないが、なぜか屋根裏への階段は開放されており、上ってみるとそこには先ほどの女性三人組がくつろいでいるではないか。私は歩くペースがかなり遅い方だとは思っているが、彼女たちはそれ以上にのんびりしているようである。やはり巡礼者ではないのだろう。 私もまたのんびりしたい所ではあるが、霧が晴れるのを待っていた事もあり時間的にかなり押している感じである。サクサク行かないとまずいことになりそうだ。 丘を上り切ってからは、しばらく尾根沿いの道となる。右手に広がる牧場地帯、左手にも広がる牧場地帯。いやはや壮大なる眺めである。 正午を回り、いつものごとく昼食休憩のできる場所を探しながら歩いていたものの、この辺りには牧場が広がるのみで休憩所が存在しない。しょうがないので牧場の芝生の上に座る事にした……が、牧場の土というものは非常に柔らかいものである。あまり想像したく無い事ではあるが、まぁ、牛や羊なんかのアレが堆積し、その上に草が生えているのだ。私はできるだけ土が締まった場所を選び、そこにビニールを敷いて座った。 バケットをもぐもぐやっていると、車がやってきて牧場の入口に泊まった。すると一人のおじさんが下りてきて、「オー!」と何度か叫ぶ。何事かと思いその様子を見ていると、丘の中腹にたむろしていた牛たちが皆一様におじさんの方へ集まってくるではないか。おぉ、これは凄い。牧場主のテクニック、良いモノを見させていただいた。 昼食後もしばらくは尾根の道を歩き、その後は丘を下って車道に出た。平坦なアスファルトの道をさらに歩いた所で再びドイツ人姉妹と再会。少し急いでいた事もあり、彼女たちに追いついたようである。 丘を下りたとはいえこの周囲の景色もまたなかなかのもので、ついつい写真の枚数がかさんでしまう。よし、もう一枚、とシャッターを押すと……ん、なんか、変な音がしたような。おかしいと思い上部の液晶に目をやると、そこには「ERROR」の文字が表示されていた。私はあわてて電源を切り、再びONにする。そしてまたシャッターを切ると……無慈悲な5文字「ERROR」の表示。 私はサーッと顔から血の気が引き、次にぶわっと嫌な汗が溢れ出した。何度電源を入れ直しても同じである。電池を入れ替えても、メモリーカードを抜き差ししても変わらない。一昨日液晶が映らなくなった事で嫌な予感はしていたものの、おぉ、我が愛しのEOS 50Dさん、ついにご逝去なられてしまったというのだろうか。 ベンチに座って色々いじくってみたものの、結局このカメラは正常に動作しなくなってしまった。幸いにもサブカメラとしてコンパクトデジカメを持っている為、これからはそれに切り替えである。こちらは耐水・耐ショックの頑丈さを売りにした、その名もミュー・タフという機種なので壊れる事は無いだろう。……たぶん。 ちなみにこれは巡礼を終えた後の話であるが、壊れたEOS 50Dを修理に出したところ、内部の腐食が相当に酷かったらしい。液晶やシャッター機構を始め、かなりの部品を取り換える事となった。やはり、連日続いた雨が原因なのだろう。前回の四国遍路の時も、連日の雨により電源ボタンがサビてスイッチが入らなくなってしまったが、どうやら今回もまた同じ轍を踏んでしまったらしい。今後は雨に対し、もっと神経質にならなければ。 私はなんとかカメラ故障のショックから立ち直り、ラリバール=ソラプル(Larribar-Sorhapuru)を出たのが14時過ぎである。目的地まではまだ10km以上、カメラ故障の焦りと落胆により疲れがどっと出た事もあり、なんとも足が重い。 ラリバールを後にしてからは少しだけ山道を登り、すぐに視界の開けた集落に出た。そこから見える先の巡礼路は、丘を一直線に上る急坂である。太陽の光が非常に強く、ただでさえ汗ばむくらいの陽気の中、ここを登るのはかなりしんどいものがある。だがしかし、丘の上からの眺めは良さそうだ。どんな景色が見られるかという期待をモチベーションに、私は岩が露出する坂道をえっちらほっちら登る。 だらだらに汗をかき、ぜぇぜぇと荒い息を吐きながら振り返り見たその光景は、緩やかに広がる緑の牧場とその中を走る一本の白い道である。予想通りの良い眺めに私は笑みをこぼしながら、再び体に鞭を打ち頂上に向けて歩みを進める。 何度か休みながらひたすら登り続け、ようやく尾根に出た。そこには牛たちが群れを成して草を食み、ゆったりと歩いて行く姿が見られる。もちろん、景色もまた素晴らしい。既に日がだいぶ傾きかけていたが、そのお陰で頬を撫でる風が涼しく気持ちが良かった。ただ、丘の最も高い位置に鎮座する礼拝堂にたどり着いたのがおよそ16時と、時間的にはかなりマズい感じになってきた。 アランベルツ(Harambelz)は森に囲まれたとても小さな集落ではあるが、そこに建つサン=ニコラ礼拝堂が凄かった。建物の規模は普通の村にある教会くらいなのだが、その内部はおびただしい程の壁画と彫刻に覆われていたのだ。 建物自体は12世紀に建てられたロマネスク様式のものだが、装飾は17世紀に施されたもののようである。このように装飾豊かな教会は、この地方としてはかなり例外的なものらしい。確かにこれまで見てきた教会にはこのような人物を描いた壁画や、少々ゴテゴテした感じの彫刻が施されているものは一つも無かった。 ちなみにこの教会は、アルー〜オスタバ間の巡礼路に付属という形で世界遺産となっている。このような小さな集落にこれ程のものがあるとは全く思ってもみなかっただけに、とても強いインパクトを残した。 Windowsの壁紙みたいな見事な丘陵地帯を眺めながら、緩やかな坂道を下っては上る。徐々に長くなっていく影に焦りを感じながらも、景色が良い為その都度足を止めては写真を撮ってしまう。いくらカメラが変わっても、いくら時間が押していても、どうやらこの癖だけは抜けないらしい。 17時過ぎ、ようやく私の面前に本日の目的地であるオスタバの町が見えた。丘の上に教会の尖塔が立ち、その周囲に家々が集まっている。よし、あと一息だ。 疲れた体を押してオスタバの入口にまでやってくると、道の向こうから犬がトコトコ歩いてきた。なかなかかわいらしい犬だったものの、こちらに近付いてくるその犬は私に対して敵対心剥き出しでグルルと唸り声を上げていた。ちょっと怖い。 しょうがないのでその犬を迂回するように横切ろうとしたのだが、犬は私の恐怖心を見抜いたらしく、ますます勢いを増し吠え立ててきた。そしてなんと犬は私に飛びかかり、ズボンの裾に噛みついてきたのだ。私は驚き逃げようとしたが、犬は裾を離そうとしない。思いっきり足を振ってなんとか犬を払い、そのまま走って町の中に逃げ込んだ。噛まれた裾を確認してみると、見事に穴が開いているではないか。噛まれたのが裾だったのでまだマシだったが、もし足だったらと思うと……いやはや、恐ろしい。 フランスのサンティアゴ巡礼路において、このオスタバは極めて重要な町である。フランスの巡礼路は主に私が歩いてきた「ル・ピュイの道」、パリからの道である「トゥールーズの道」、ヴェズレーからの「リモージュの道」、アルルからの「トゥールーズの道」の計四本が通っているのだが、そのうち「ル・ピュイの道」、「トゥールーズの道」、「リモージュの道」の三本がこのオスタバ=アスムで合流するのだ。 オスタバはその三本の道が交わる重要な宿場町であり、サンティアゴ巡礼が盛んであった中世の頃より巡礼者とその関連施設で栄えていたという。まさにサンティアゴ巡礼と共に歴史を歩んできた町なのだ。その広場には、三つの道が集まる事を意味したモニュメントも設置されている。 さて、目的の町に着いた後は何はともあれ宿探しである。Kさんから教えてもらったジットの名前を頼りに町の中を一通り探す。……が、どうも見当たらない。それほど大きくはない町なので簡単に見つけられそうなものだが、町の端から端まで歩いてもその名前のジットは無かった。 困った私は町の中心部に戻り、そこにあるバルに集まっていた巡礼者たちにジットの場所を尋ねてみた。すると一人の女性が「そのジットはオスタバからもう少し先に行った所にあるのよ」と教えてくれた。なんだ、町中にあるんじゃないのか。私はもうすっかり終了気分だっただけに、さらに歩かねばならない事を知らされて少々落胆した。 とりあえずバルの隣にあったエピスリー(雑貨屋)で夕食のスパゲティと瓶詰のソース、それとワインとビールを購入し、そして私は重い足を引きずるように教えられた方向へ歩く。今日は丘を上ったり下ったりのハードな道のりであり、またカメラが壊れた事による精神的な疲れも相まって、身も心もクタクタである。既に辺りは薄暗くなりつつあり、この中をさらに歩かなければならないという事実に嫌気が差す。心の奥底にもやもやとした淀んだ感情が湧き起こってくるのを感じた。 嫌な気分を振り払うべく、私はオスタバを出る前に先程買ったビールを開けて飲み干した。しかし気分は昂揚せず、むしろ体は重くなるばかりだ。すっかり腐りかけた私の目に、「Chateau de Laxague」と書かれた案内板が止まった。へぇ、この近くにシャトー(城)があるのか。案内板が示す方向は宿のある場所とは異なっているが、私はその方向に進んで行った。なんとなく、古いモノが見たくなったのである。疲れに疲れていたからこそ、古いモノに癒しを求めたのかもしれない。 10分程で到着したその城は、思いのほか立派なものであった。少々朽ちている部分もあるが大部分はしっかりしており、現在も人が住んでいるようである。夕日に照らされた蔦の絡まる石積みがなんとも美しかった。 宿はオスタバから意外と遠く、歩いても歩いてもそれらしい建物が見えてこない。せっかく城を見て上がったテンションもどん底まで下がり、私はだらだらと体を引きずるように意思無く歩くだけであった。 20分程歩いてようやくジットの看板が見えたが、その前には傾斜のキツイ坂が立ちふさがっていた。私は「チクショー」とか「コノヤロー」とか汚い言葉を散々吐きつつ、死ぬ物狂いでその坂を上がった。 最後の坂にトドメを刺されたものの、私はなんとかジットに到着する事ができた。建物に近付くと、中からわいわいと賑やかな声が聞こえてくる。どうやら食堂で夕食が始まっているようだ。まぁ、もうこの時間だし、当然と言えば当然である。しかし、今日は本当に疲れた。私も早くスパゲティを茹でてワインを飲み、そして寝てしまいたい。 ところが、ジットの受付をして初めて分かった事なのだが、なんとここは素泊まりが無い宿だという。必ず夕食と朝食の二食付きで、料金は34ユーロとの事だ。私はがっくりと肩を落とした。料金が高いというのはもちろんの事、せっかく買ってきた食料が全くの無駄になってしまったのだ。それらを今日食べないという事は、明日それら重い荷物を背負ったまま歩かなければならないという事でもある。 私がジットの中に入って行くと、食事をしていた宿泊客の面々が拍手で迎えてくれた。私はとりあえず笑顔を作ってそれに応じようと試みたが、多分その顔はこわばっていた事だろう。正直言って、この時は人と関わるのが嫌だった。私はベッドの脇に荷物を乱暴に置くとバスルームに入り、床にどかっと腰を下ろしてシャワーをひねり、しばらくの間お湯に打たれていた。 シャワーから出ても食堂では食事が続いていた。私はその喧噪を鬱陶しく思い、ベランダに据えられていたテーブルに一人で座る。そしてワインを開け、持参したパンを食べようとしたのだが、宿のマダムに見つかってしまった。どうやらいつまでも食堂にやってこない私の様子を伺いに来たらしい。マダムは「あなたの分の食事も用意しているから食堂に来なさい」と言う。「みんな、あなたが到着するのを待っていたのよ」とも言っていた。しかし、私は食堂に行く気にも宿の食事を食べる気にもなれなかった。 宿で飼われている猫と遊びながらワインをちびちびやっていると、パリッとした白い服を着た給仕さんが私の元にやってきて目の前に料理を置いた。どうやら何が何でも私に料理を食べさせたいようである。しょうがないので口に運ぶが、その料理は茹でただけのウインナーに野菜がちょこんと乗っているだけ。スープも無く、デザートはオレンジ一つだった。はっきり言って34ユーロの宿泊費に見合うものではなく、私はますます沈んだ気分になった。 Tweet |