朝は6時に目を覚ました。今日は休息日にすると決めていたのでもう少し寝ていても良いのだが、一ヶ月以上続けてきた巡礼のサイクルが体に染みついてしまったらしく、結局いつも通りの起床時間である。とりあえず朝食にするべくキッチンに向かうと、そこには先客として二人の男性がいた。昨夜は寝る前まで客は私しかいなかったのだが、どうやら彼らは夜中に到着したようだ。宿に人が入ってくるガヤガヤとした喧噪により起こされ、少々不快に思った事を思い出した。 私は昨日買ったオレンジジュースを取り出そうと冷蔵庫を開けるが、なんと確かに入れておいたはずのオレンジジュースが見当たらない。周囲を見回すと、先程の欧米人男性二人が座るテーブルに私が買ったものと同じオレンジジュースが置いてあり、彼らはそれをおいしそうにゴクゴク飲んでいた。 これまで私が歩いてきた「ル・ピュイの道」は、フランス人の巡礼者が大多数であった。私が会ったフランス人巡礼者は紳士的な方が多く、少なくとも冷蔵庫に入れておいたものが勝手に飲まれるなどという事は一切無かった。自分で買ったものか、あるいは宿のサービスである事が確認できるもののみに手を付けるのが当たり前であった。 しかし、このサン=ジャン=ピエ=ド=ポールからサンティアゴ・デ・コンポステーラまで続く「フランス人の道」は、数あるサンティアゴ巡礼路の中で最もメジャーな道である。世界中の国々から物凄い数の人がこの町にやってくるので、人種も価値観も多種多様だ。どうやらこれからは、これまでの常識が通用しなくなりそうである。 ピレネー山脈の麓に位置するサン=ジャンは、古くよりこの地方の中心都市として栄えてきた町だ。ピレネー山脈を越えてスペインに至る街道の宿場町として発展してきた歴史を持ち、緩やかな坂道に沿って古い家屋が建ち並ぶ町並みが非常に美しい。各国からのサンティアゴ巡礼者のみならず、大勢の観光客で賑わう町だ。 その旧市街の中心にそびえるノートルダム門は、隣に建つノートルダム教会の鐘楼を門にしたもので、サン=ジャンの象徴ともいえる建築である。かのナポレオンがスペイン侵攻の際に通ったとも伝えられている。この町から巡礼を始める人は、出発の門としてこれをくぐり、ピレネー山脈へと向かうのだ。 このノートルダム門から昨日通ったサン=ジャック門までのシタデル通りは、町並みが特に美しく歩くのが楽しいエリアである。建ち並ぶ家屋は白壁に赤の色使いが印象的なバスクの伝統意匠で統一されており、またそれぞれの家屋も非常に古いものだ。 またこのシタデル通りには巡礼者向けの施設も集まっており、ジットや巡礼用品の店などを数多く目にする事ができる。私の手持ちのルートマップはル・ピュイからサン=ジャンまでのものだったので、ここで新たにサン=ジャンからサンティアゴまでの地図を購入した。観光地らしくレストランやバルも多く、大層な賑わいである。 シタデル通りをぷらぷら歩いていると、Kさんとばったり会った。サンティアゴ巡礼が三度目であるKさんは、過去にこのサン=ジャンにある一軒のジットにお世話になったらしく、そこのマダムと親しいようだ。私もジットに招かれお茶をご馳走になり、食べないからどうぞと乾燥麺の蕎麦までお土産にいただいた。おぉ、これはありがたい。 またKさんは、通りに出ていた面白い看板のお店を教えてくれた。「Ferme de 19h01 a 9h59」と書かれたそれは、「閉店時間は19時1分から9時59分」という意味である。まぁ、要は「10時から19時が開店時間ですよ」という事なのであるが、そこをあえて閉店時間で書いている所にセンスを感じる。 さて、Kさんが滞在するジットで少しゆっくりしてから、再び一人で町の散策だ。サン=ジャンは旧市街の周囲をぐるりと城壁で囲んだ城砦都市でもある。丘の上にはシタデル(要塞)がそびえ、美しい町並みと相まって独特の風情を醸している。 かつてはサン=ジャンを守る兵士が通ったのであろう城壁の上は、今では遊歩道になっていて歩く事ができる。通りに並び建つ家々の裏側の土地は庭や畑として利用されており、表側から見る事が出来ない町の一面を垣間見る事ができて面白い。 その城壁の上を歩きながら写真を撮っていると、どこからともなく笛のしらべが聞こえてきた。この音はKさんが得意とする縦笛の音である。どこかで演奏しているのだろう。 さて、今度は丘の上である。先程のサンティアゴ門まで戻り、そこから坂道を上がって頂上を目指す。やや急な斜面に敷かれた石畳は階段状にデコボコしているが、これは馬が歩きやすいようにという工夫なのだそうだ。 丘の頂上に築かれたシタデルは、壕を切って橋を渡し本丸に至るなど、どことなく日本の城郭と似た感じの縄張りであった。というかこれは万国共通、普遍的な城の基本構造なのだろう。おそらくは、城の防衛能力の最大化を考えるとどうしてもこのような作りになるのだ。とは言え、衛星写真で見るとその壕は鋭角な星型であり、やはり紛れも無く西洋式城郭である事が分かる。ちなみに現在のシタデルは1627年に完成したもので、その後に築城の名手として知られるヴォーバンが訪れ城の強化にあたっている。 さて、サン=ジャンをぐるりと一通り回り終え、カフェで一息入れる。ル・ピュイで買った巡礼手帳は、ちょうど良くこの町でいっぱいになった。明日からスペインに向けて出発するにあたり、新しい巡礼手帳を手に入れなければならない。 私はシタデル通りのサン=ジャック門近くにある巡礼事務所を訪れた。サン=ジャンからサンティアゴ巡礼を始める人は、まず最初にこの事務所を訪れ、巡礼手帳と巡礼路の情報を手に入れるのだ。公共ジットの受付もここである。 なお、巡礼事務所の係員は英語がペラペラである。世界各国から巡礼者が集まるのだから当然と言えば当然かもしれないが、これまではフランス語がメインだっただけに新鮮である。最近はフランス語になじみが出てきたただけに、ちょっと寂しくもある。 私は女性の係員に巡礼手帳が欲しいという旨を伝え、新しい巡礼手帳を購入した。これまでのものはフランス語で「クレアンシャル(Creanciale)」と書かれていたのに対し、今度のものはスペイン語の「クレデンシャル(Credencial)」である。道が変わり、人が変わり、巡礼手帳も変わった。まさに気分が一新された感じである。 既に押されている三つのスタンプは、左上が巡礼事務所、右上がジット、左下がカフェのものである。そのうち注目していただきたいのはジットのスタンプだ。中央に四葉のクローバーみたいなマークが見えるが、これはバスク地方のシンボル「ラウブル」である。以前にも言及した事だが、フランスとスペインにまたがるかつてのバスク国は独自の文化風習を有し、それが今でも受け継がれている。このラウブルはバスクのアイデンティティなのだ。 新しい巡礼手帳を手に入れた私は、ザックの荷物を整理した。着ていない服や使ってない小物、そして壊れた一眼レフカメラとそのレンズをビニール袋にまとめ、郵便局で段ボールに詰めて日本に送る。送料は40ユーロと少々高かったが、まぁ、その分荷物が軽くなるので良しとする。さらにATMで当面のお金を下ろし、これで明日に向けての準備は完了だ。 やるべき事をすべて終えジットに戻ると、その玄関には「コンプレ(Complet)」と書かれた紙が掲げられていた。コンプレとは満室という意味である。やはりサン=ジャンの宿は混むのだ。どうやらスカスカだった昨日が例外らしい。 満員御礼なだけあって、夕食もまた賑やかなものとなった。私の隣のテーブルではスペイン人の親子がわいわいと食事をしており、そのお母さんが持っていたワインの容器が面白かった。まるで胃袋のような形をしたそのワイン容器、口を付けて飲むのではなく、ピューッとワインを噴射させ、それを口に含むのだ。私にもどうぞという事だったので、その容器でピューッとワインを頂く。容器の見た目通り、なかなかワイルドな味だった。 この陽気なお母さんは、私に色々なスペイン語を教えてくれた。ワインはフランス語でヴァンだが、スペイン語ではヴィーノという。セボン(良い)はエスタ・ブエナ、ボナ・ペティ(良いお食事を)はブエン・プロヴェチだ。 今朝あの出来事があっただけに、明日からスペインに入るにあたって心配な事が無きにしも非ずであったが、まぁ、このご家族を見る限り、なんだか楽しくやっていけそうだ。 夕食後、私は再び町中へ散歩に出た。日没間際のサン=ジャンの町並みは、白壁が黄金色に輝いて美しい。この夕日ならば、きっと明日の天気も良い事だろう。明日はいよいよピレネー山脈を越えスペインに入る。サンティアゴまで残り約800km、さてはて、スペインではどのような風景、人、出来事が私を待っているのだろうか。非常に楽しみである。 【宣伝】
ここまで、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼「ル・ピュイの道」編をご覧いただきまして、まことにありがとうございました。 閑古鳥旅行社では「ル・ピュイの道」についての個人書籍を制作、BOOTHにて販売しております。「Vol.1 ル・ピュイ=アン=ヴレ〜コンク」「Vol.2 コンク〜モワサック」「Vol.3 モワサック〜サン=ジャン=ピエ=ド=ポール」の3部構成で、送料・手数料込みで各1200円(3冊セットは3200円)です。 「ル・ピュイの道」のルート図を始め、世界遺産になっている巡礼路の区間やモニュメントの解説、巡礼日記など盛りだくさんな内容となっておりますので、お手に取って頂ければ幸いです。以下のリンク先でご購入頂けます。 お目汚しを失礼いたしました。それでは、引き続きサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼「フランス人の道」編をお楽しみください。 Tweet |