巡礼41日目:ログローニョ〜ナバレッテ(13.0km)






 眠い目をこすりながらカーテンを引くと、向かいに見えた建物の屋根が濡れていた。まさかと思い窓を開け放つと、霧のような雨が私の顔に降りかかってくる。思わず「うわぁ……」と声が出た。なんてこった、雨降りか。

 スペインに入って初めての雨天という事で、ただでさえ低い寝起きのテンションがさらにだだ下がりである。昨日の夕食の残りであるバケットとカマンベールチーズの残りを味気なくもしゃもしゃ食べ、買っておいた牛乳で胃の中に流し込んだ。

 泊まったリオハ大学の宿舎は巡礼路から少し離れた所にあるので、その時間を見越して少しだけ早目の7時半に出発である。幸いにも宿を出た時には既に雨が止んでおり、濡れ鼠になって歩くというような最悪の事態にはならずに済んだ。ログローニョ市街地の東端から西端まで、旧市街を経由して突っ切る。


朝の新市街を歩いてログローニョを出た


町の外れにあるサン・ミゲル公園を突っ切る

 ログローニョの新市街はかなりの都会なので、町の中には看板や標識が溢れており、目に入ってくる情報量が非常に多い。なので巡礼路の道標を見落としやすいのではないかと少々警戒していたが、歩道の要所要所に巡礼路を示すサインが埋め込まれており、迷う事無く町を出る事ができた。

 町の出口にあたるサン・ミゲル公園では自動噴射機による芝生の水やりが行われている最中で、巡礼路はびしょびしょであった。人がいるいない関わらず360度全方向に噴射してくるので、それらの水を避けつつ進むのがちょっとしたゲーム感覚で楽しい。


巡礼路はジョギングコースへと続いていた


途中の公園で休憩していると、茂みからリスが現れたりも

 出発前に雨が上がってくれた勢いでそのまま青空になってくれれば良かったのだが、残念ながらそうは問屋が卸してくれなかった。ジョギングコースを歩いていると、再びパラパラと小雨が降ってくる。私はあわててベンチに駆け寄り、ザックを下ろしてカバーをかけた。今日はどうも、こんな感じで雨が降ったり止んだり、グズグズした天気になりそうだ。

 ジョギングコースの終点には、ちょっとした広さの湖を中心とした公園が広がっていた。日曜日だからだろうか、湖の水際には釣りを楽しむ人々の姿が数多く見られた。大きなリスやインコなどの動物も見られ、天気が悪い中でも心の癒しを与えてくれる。


何が釣れるのだろうか、結構な数の釣り人がいた

 公園を出た後は、一面のブドウ畑の中を行く。ブドウ畑はログローニョに到着するまでにもちょくちょく目にしてきたが、どちらかと言うと麦畑の比率の方が大きかった。しかしログローニョを越えてからはその割合が逆転し、麦畑はブドウ畑に取って代わられた。スペインを代表するワインの名産地、リオハの名は伊達じゃない。


ブドウ畑は麦畑とはまた違った風情である


丘の頂上には大きな十字架が祀られていた

 ブドウ畑の丘を上り切って巨大な十字架を横目に進んで行くと、程無くして巡礼路は高速道路に沿った道となる。巡礼路と高速道路の間は金網で隔てられているのだが、その金網には巡礼者が木の枝などを用いて作った十字架が無数に差し込まれていた。

 道中の無事を祈願する為なのだろう。ここ以外でも、金網のある場所ではほとんどでこのような手製の十字架を目にする事ができた。


金網に差し込まれたおびただしい数の十字架


またもや雨がパラつく中、西へ西へと歩く


ブドウ畑の先に町が見えた

 高速道路から離れた巡礼路は再度ブドウ畑に入り、ナバレッテ(Navarrete)という町へ向かう。ここもまた丘の上に築かれた町で、昨日のビアナまでとはいかないまでも、そこそこの規模を有していた。

 また町の少し手前には、サン・ファン・デ・アクレ(San Juan de Acre)救護院の跡が残っている。1185年に設立された巡礼者の為の病院である。残念ながら19世紀に破壊されてしまい、現在はその基壇部分が残るだけの遺跡となっている。


サン・ファン・デ・アクレ救護院の遺跡

 救護院が置かれていた事からも分かる通り、ナバレッテもまた歴史の古い町である。町並みにも趣きがあり、特に建物の下を通るアーケード状の路地など、あまりに雰囲気が良すぎて私のようなむさい巡礼者が歩いて良いものかとためらってしまうくらいである。

 ……まぁ、それは言い過ぎかもしれないが。実際、巡礼路はそのアーケード状路地を抜けて行くワケだし、また路地を入ってすぐの所にはこの町の公営アルベルゲがある。


巡礼路はこの右の建物の一階部分を通るのだ


アーチといい石畳といい、出来過ぎな程に風情がある

 私が公営アルベルゲに差し掛かると、その前の石段に初老の日本人女性が座っていた。エステージャのアルベルゲで様々な情報をくれたあの女性である。挨拶をして話を伺うと、今日はここに泊まるか、それとも次の町まで行くか迷っている所だという。予定ではこの町に泊まるつもりだったらしいのだが、アルベルゲのオープンが14時なので、それまで待つのが億劫らしい。時計を見るとまだ11時。確かに、3時間待つとなると大変だ。

 この日本人女性と話をしているうちに、再び雨が降り出してきた。「今日は天気が良くないですね」と私が言うと、「そうねー、天気予報を見ると明日まで雨みたいよ」との事である。えっ、明日も雨なのか。うわー、これはがっかりだ。

 実を言うと、明日はぜひとも晴れて欲しいと思っていた。今日この先のナヘラ(Najera)という町まで行き、明日は巡礼をお休みにしてナヘラからバスでサン・ミジャン(San Millan)という修道院に行こうと考えていたからだ。サン・ミジャンの修道院はユネスコの世界遺産リストに記載されている物件であり、より良いコンディションで写真を撮りたいと思っていた。

 明日も雨という事実を知り、私は足取り重く教会前の広場までやってきた。今日ナヘラまで歩いても、明日が雨ではなんとも残念極まりない。……と言うか、むしろ今日はもうこの町までで良いんじゃないだろうか。そうだ、明日ナヘラに到着し、明後日サン・ミジャンに行けば良いのである。そう考えた途端、胸の中のもやもやが晴れて心がすーっと軽くなった。よし、それで行こう。


16世紀から17世紀にかけて建てられたナバレッテの教会


タンパンの彫刻が凝っていて目を引いた

 この町に泊まるにしても、アルベルゲが開くのは14時である。それまで時間を潰さなければならない。私はとりあえず教会前の雑貨屋に入り、昼食用のオレンジとチョコレート、それと夕食用のスパゲティとワインを購入した。今日は日曜日だし、午後になるとお店が閉まってしまうだろうと考えたからだ。

 昼食にしようかと教会の入口近くにまで移動すると、そこにはシンさん姉妹およびキムさん三人の姿があった。三人のもとへ近付いて行くと、シンさんが私を見付け「コンニチハさん!」と手を振った。私は挨拶をし、その輪の中に入らせて頂く。話と聞くに、三人はこの町で昼食を取り、それからナヘラまで歩くそうだ。私がこの町に泊まる旨を伝えると、シンさんは顔をしかめ、「ここ、アルベルゲ、高い、高い、14ユーロ」と日本語で言った。「えぇ、14ユーロ?!」とびっくりしたが、どうやら14時オープンと書かれた張り紙を見てそれを値段と勘違いしたようで、実際には7ユーロであった。


教会の祭壇をぼーっと眺めながら時間を潰す

 三人と別れてのんびり昼食を取った私は、満腹のお腹を抱えながら教会内部を見学した。身廊の長椅子に腰掛けて、静謐な教会の雰囲気を満喫する。……ふと気が付くと、周囲にいる人の数が増えていた。入口を見ると、地元の方らしき人々が続々と教会内に入ってくるではないか。皆、祭壇の前に来ると片足をひざまずいで祭壇に一礼し、それから長椅子に座る。え、えぇ、こ、これは一体、何が始まるんです?


あぁ、そうだ、日曜日にはミサが行われるのであった

 程無くして司祭さんが厳かに登場し、座っていた全員が起立する。私もまたそれに倣う。思い返してみれば、私がミサに参加するのはこれが初めての事である。これまでにも、ちらっと見かけた事はあるものの、実際に参列した事はなかった。その場にいた何となくの流れではあったが、まぁ、何はともあれ記念すべき最初のミサである。

 ミサの内容もなかなか興味深いものであった。言葉が分からないので途中の説教ではやや眠くなったりしたものの、薄いせんべいのような、麩菓子のような不思議なパン(キリストの肉体、聖餐というやつだ)を食べさせてもらったり、正装した子どもたちがザルを片手に椅子を回って寄付を募ったりしていた。私も財布にあった額の小さなコインを数枚、ザルに投げ込む。最後には近くの人と握手し、司祭さんが少し喋って終了だ。隣のおじさんにいきなり握手を求められてびっくりしたが、なかなか面白い儀式であった。

 13時頃にミサが終わり、退出する人々と共に私も外に出る。まだアルベルゲのオープンまで一時間あるが、とりあえずは戻ってる事にした。するとそこには、オープンを待つ巡礼者の列ができているではないか。えぇー、みんな、ちょっと宿に入るの早すぎだろう。……と思ったが、私は午前中からアルベルゲのオープンを待っていたワケで、とてもそんな事言えた義理ではない。


アルベルゲのオープンを待つ巡礼者たち

 巡礼者たちは壁沿いにザックを並べ、受付の順番を確保しているようである。私もまた最後尾にザックを置き、アルベルゲのオープンを待った。ざっと見渡す限り、知っている人は誰一人としていない。まぁ、当然と言えば当然だ。私と同じペースで歩いていた人々は、もう先へ行ってしまったのだから。ちなみに先程の日本人女性の姿も無かった。どうやらここで時間が過ぎるのを待つのではなく、次の町へ行く判断をしたようである。

 14時に近づくにつれさらに巡礼者の数は増加し、アルベルゲの前には人だかりができていた。だがしかし、14時を回ってもアルベルゲが開く気配は無く、待ちくたびれた巡礼者たちが痺れを切らしてドアをノックしたり、窓から中を覗いてみたり、周囲をうろうろしたりと、もはやちょっとしたお祭り騒ぎである。そのようなカオスな状況の中、ようやくオスピタレオらしき男性が鍵を持って現れた。その姿を見て、巡礼者たちは「これでやっと開くよ」と拍手でお出迎えである。

 無事ベッドを確保した私は、少しだけ休むつもりで横になった。……が、いつの間にか寝てしまい、起きたら既に日が暮れていた。う〜ん、やはり疲れが溜まっていたという事なのだろう。昨日はシングルルームに泊まったとはいえ、30キロメートル歩いた上に市内観光も楽しんだワケだし、今日ほとんど歩かずこの町に留まったのは、どうやら正解だったようである。