空は雲一つ無い晴天であった。いやはや、素晴らしい! これでこそ、わざわざナヘラへの到着を一日遅らせた甲斐があったというものである。私は有頂天になりながら朝食を貪り、続いて出発の準備に取り掛かった。 というワケで、今日は以前から予定していた通り、巡礼を休んでサン・ミジャンの修道院を見学しに行きたいと思う。ここナヘラから修道院のあるサン・ミジャン・デ・ラ・コゴージャ(San Millan de la Cogolla)まではバスが出ていると聞いていたが、昨日のうちに運行ダイヤを調べておいた結果、なんと一日二本しか走っていない事が判明した。しかもそのうち一本目は13時25分発、二本目は19時5分発という有様だ。 しょうがないので、私はやむを得ず行きだけはタクシーを使う事にした。アルベルゲのオスピタレオに「サン・ミジャンに行きたいのですが、タクシーを呼んでくれませんか?」と頼むと、「OK」と快く引き受けてくれた。ありがたい。 サン・ミジャンはナヘラから南西に20キロメートルばかり行った位置にある。車なら30分ぐらいかなぁと思っていたが、実際にはわずか15分程で到着した。……と言うのも、タクシーの運転手はナヘラの町中を出た途端にアクセルを踏み込み、麦畑を猛スピードで突っ切って行ったのである。スピードメーターは時速80〜100キロメートルを指していた。走る車は他になく、なおかつ直線的な道ではあったものの、さすがにちょっと怖かった。 ちなみに料金は20ユーロであった。メーターを使ったのではなく、運転手の言い値である。ちょっと高いなと思ったが、アルベルゲの紹介なのでさすがに値切る事はできず、しぶしぶその額を支払った。多分10〜15ユーロくらいが相場なんじゃないかと思う。 さて、サン・ミジャンである。サン・ミジャンには「ユソ」と「スソ」の二つの修道院があり、その二つがセットで「サン・ミジャンのユソ修道院とスソ修道院」としてユネスコの世界遺産リストに記載されている。ユソは下、スソは上という意味らしく、その名の通りスソ修道院は山の上、ユソ修道院はその麓に位置している。谷間の僅かな平地に形成されたサン・ミジャンの集落を進んで行くと、まず目に飛び込んでくるのが巨大なユソ修道院だ。 修道院は修道士たちが信仰の日々を送る為の施設であり、基本的には人里を避け、俗世から離れた場所に建てられるものである。とは言え、小さな集落にこのような巨大な修道院が存在する事は、やっぱりびっくりだ。 早速拝観させて頂こうかと思いきや、修道院内部への扉はがっちり閉ざされていた。私が到着したのは8時過ぎくらい。どうやら、ちょっと早すぎたようである。修道院の一部はホテルとして利用されているらしく、そこの部分だけは開かれていた。ホテルのコンシェルジュに修道院が開く時間を聞いてみると、9時との事である。 微妙に時間が開いてしまったが、ただぼーっと時間を浪費するのは忍びない。さてはてどうしようかと思いながらユソ修道院の入口まで戻ると、正面の山の中腹に石造の建造物が見えた。あれこそがサン・ミジャンに存在するもう一つの修道院「スソ」である。よし、それなら一足先にスソへと行ってみようじゃないか。 スソへは車道も通っているが(ただし、一般車両は通行禁止のようだ)、徒歩ならば昔から参詣に使われてきたのであろう山道を歩く事もできる。遠回りする必要が無い分、山道の方が早く着くが、ただし少々急なので想像以上にしんどかった。 ユソ修道院と比べると、スソ修道院は幾分小さく感じるものの、歴史としてはこちらの方が先である。元は6世紀にサン・ミジャンという聖人がこの山に岩窟を穿ち、そこに弟子たちと籠って修行していたそうだ。サン・ミジャンはそのまま岩窟内で亡くなり、そしてその岩窟はサン・ミジャンの聖地となった。 ユソ修道院の建物は、いくつかの岩窟を覆うように建てられている。現在のものはイベリア半島がムーア人(北アフリカのイスラーム教徒)の支配下にあった10世紀に、モサラベ様式(アラブ人支配下のキリスト教徒の様式で、アラブ文化の影響を強く受けている)で建てられ、その後の11世紀にロマネスク様式で拡張されている。一方、ユソ修道院はナバーラ国王によって1050年に創設されたもので、現在の建物は16世紀から18世紀にかけてゴシック様式およびルネサンス様式で建てられたものだ。 ユソとスソは一体的にサン・ミジャンの聖地として信仰を集め、数多くの巡礼者が訪れていたという。サンティアゴ巡礼中に立ち寄る人も少なくないらしく、ナヘラからサン・ミジャンを経由して次の町であるサント・ドミンゴ・デ・ラ・カルサーダ(Santo Domingo de la Calzada)へ抜ける巡礼路も整備されているようだ。サン・ミジャンの集落の通りには、巡礼路を示す黄色い矢印が確認できた。 さて、スソまで来たのは良いが、残念ながらユソと同じくその扉は固く閉ざされていた。まぁ、外観を眺める事はできたので、とりあえずは満足して撤退である。先程登ってきた道を下ってユソへと戻ると、時間はちょうど9時になった所であった。観光案内所とチケット売り場も既に開いている。案内所のお姉さんに拝観について尋ねてみると、ユソとスソのどちらも内部の見学が可能との事であった。ただし、案内付きのツアーに参加する形での拝観である。まぁ、どのような形であれ拝観できるのならばそれで良い。私はまず、ユソ修道院のガイドツアーに参加する事にした。 ちなみに拝観料は、スソ修道院が3ユーロ、ユソ修道院が5ユーロである。ただし巡礼者は割引となり、スソ修道院が2.25ユーロ、ユソ修道院が3.5ユーロであった。巡礼路上に存在する教会や修道院では、有料であってもこのように巡礼者料金が設定されている場合が多い。観光の際には巡礼手帳の携帯が必須である。 重いザックを担ぎながら拝観するのは嫌なので、案内所のお姉さんに「ザックを置かせて貰えませんか?」と聞いてみると、「じゃぁこちらに置いてね」と当然のように預かって頂く事ができた。これもまた、巡礼路上にある観光スポットならではのサービスだろう。 お姉さんに教えてもらった通りの場所で待っていると、程無くしてミニバスがやってきた。運転手にチケットを見せてから乗り込む。朝一番のガイドツアーであったが、それでも10人くらいの客がいた。ただし、巡礼者は私だけのようである。 バスはくねくねと山を登る車道を走り、5分程でユソに到着した。ガイドさんが建物の扉を開け、我々を中へと通してくれる。 ユソ修道院の建物内部は薄暗く、モサラベ様式特有の馬蹄形アーチが連続していた。やはりどことなく、アラブ文化の雰囲気が漂う建築である。堂内の奥にはいくつかの岩窟が口を開けており、その内部には精緻な彫刻が施された棺が並んでいた。また別の岩窟にはおびただしい数の白骨が転がっていたりもする。なんでも、歴代修道士の墓所なのだそうだ。 ガイドさんの説明は全てスペイン語であったが、客の一人がスペイン語と英語を話せるバイリンガルだった為、私などスペイン語の分からない外国人客向けに通訳してくれた。小さい建物ではあるものの、注目すべき点はなかなか多い。見学は30分程で終わってしまったが、できるものならもっと長く眺めていたい、そんな建物であった。 続いてユソ修道院のチケットを買った私は、案内された通りの入口に向かってはみたものの、なぜかその扉には鍵が掛けられており開かなかった。扉の横にインターフォンが備えられていたので押してみると、すぐに案内所の女性が小走りでやってきた。そして扉を開け、「前の人たちに合流してね」と言う。どうやら、既にガイドツアーは始まっていたらしい。完全に乗り遅れていたのだ。 ユソ修道院の付属教会は、1504年から1540年にかけて後期ゴシック様式で建てられたものである。一般市民に開かれている普通の教会とは違い、修道士専用の教会である為か、内陣と聖歌隊席以外に席が無く、また身廊の後部からは聖歌隊席の柵が邪魔になって内陣までの見通しが利かない。サン・ミジャンの絵を掲げた主祭壇を始め、脇祭壇は金ピカだし、柱などの装飾も豊かだが、なんとなく閉鎖的な印象を受けた。 続いて訪れたのは回廊の北側に隣接する聖具室だ。元は教会参事会室だったらしく、壁や天井は白塗りの上にフレスコ画が描かれ、また豪華なテーブルや絵画が並ぶなど、まるで宮殿の客間のようである。 他にも、11世紀に作られたロマネスク様式の彫刻が施された象牙の聖具箱や、膨大な蔵書を誇る図書館を見学する事ができた。サン・ミジャンの修道院は10世紀まで遡る貴重な古書を多数所蔵する事でも知られており、特にカステージャ語(スペイン語)が書かれた現存最古の書物や古いバスク語で書かれた書物など、スペイン語の原始がここにあり、言語学的にも極めて重要であるという。 ユソの見学は1時間程で終了した。こちらもガイドさんはスペイン語のみなので何を言っているか分からないが、要所要所に英語で説明が書かれた立札が設置されているので、それで頑張って理解する感じだ。 修道院の建物から出た私は観光案内所に戻り、お姉さんにお礼を言ってザックを受け取った。ナヘラに戻るバスが出るのは15時5分だが、時計を見るとまだ12時を回ったところだ。私は修道院の芝生に座って昼食を取り、それから木陰に横になって体を休めた。頬を撫でる風が気持ち良い。あぁ、サン・ミジャンに来て良かった。そう思った。 14時くらいに起き上がり、サン・ミジャンの集落をのんびり歩きながらバス停に向かう。……が、バス停の場所が分からないので、道端にいたおばちゃんに「オートブス?」と尋ねる。スペイン語ではバスはオートブス(Autobus)というのだ。テキトーな発音ではあったものの通じたらしく、バス停は町から出た車道沿いにあると教えてくれた。 この路線バスは前払い制であり、知らずに席に座っていたら同乗のおばさんたちが「運転手に払うのよ」と教えてくれた。私は運転手に「ナヘラ」と告げ、5ユーロ札を渡す。手渡されたお釣りを確認すると3.4ユーロ。すなわち、バス代は1.6ユーロであった。20ユーロ払ったタクシーがバカみたいな安さである。 ナヘラに戻った私は、何はともあれまずは宿を探さなければならなかった。公営アルベルゲは連泊が禁止なので、昨日泊まったアルベルゲには戻れないのである。私営アルベルゲを探すか、または次の町まで歩かなければならない。 ナヘラ川に架かる橋のたもとに私営アルベルゲを見付けたが、既に満室だと断られてしまった。教会の広場近くにも私営アルベルゲがあるとの事だったので、藁にもすがる思いでそこへと向かった。幸いすぐに発見する事はできたものの、狭い部屋に二段ベッドを敷き詰めた感じの所で快適性は低い。ベッドに空きがあったのでしょうがなく入ったが(宿泊費は7ユーロだ)、オスピタレオに「キッチンはありますか?」と聞いたら「そんなもの無いよ。俺の経営しているレストランで食え!」という残念仕様であった。 夕食はバケットやチーズ、バナナなど、調理の不要なものを教会前の芝生で食べた。グラスが無いのでワインはラッパ飲みだ。程良く酔っ払ってきたところ、ふと近くの家の玄関が開き、おばちゃんが現れた。そしておもむろにガレージの扉を開ける。なんだなんだと見ていると―― これには思わず我が目を疑った。ガレージから飛び出してきた羊は、そのままテクテクと我が物顔で道路を闊歩し、広場に生えていた木にかぶりつきもしゃもしゃと葉を食いちぎる。おばちゃんは広場の水道からバケツに水を汲み、それを羊に飲ませていた。いやぁ、さすがはスペイン。凄い飼い方をしているものである。このくらいおおらかな感じで行きたいものだ。 Tweet |