7時半にアルベルゲを出てカテドラル前の広場にまで来たものの、そこから先の道が分からなくなってしまった。広場のどこを見ても、巡礼路を示すマークが見当たらないのである。私の前を歩いていたフランス人のおじさん3人組もまた同様のようで、それぞれ手分けして広場から伸びる路地の先をチェックしていた。 程無くしてそのうちの一人のおじさんが声を上げ、残りの二人を呼び集めた。どうやら巡礼路マークを見つけたようである。私もまた彼らの進んで行った方へと足を向ける。このように町中で道標が途絶えた時は、人海戦術で正解を探すのが最も効果的なのだ。 サント・ドミンゴの旧市街西端には、16世紀に建てられたというサン・フランシスコ修道院が存在する。これもまたカテドラル前の広場に建つ旧救護院と同様、現在はパラドール(国営ホテル)として利用されている。 パラドールは修道院や古城など、歴史的建造物を改装して営業している事が多い。パラドールに利用されるような立派な建物は、それなりに大きな町にあるのが一般的だ。しかしここサント・ドミンゴはそこまで規模が大きいというワケでもないのに関わらず、パラドールが二件も存在するのである。その事からも、この町がサンティアゴ巡礼路上において、いかに重要な場所であるのかが良く分かる。 今日もまた、麦畑の中の道を行く。毎日毎日麦畑の道ではあるが、場所によって地形が異なるので麦畑が見せる表情が違い、飽きる事が無い。昨日に引き続き調子が良くて体も軽く、素晴らしい気分で巡礼路を歩いて行った。 しばらく進んだ先で国道と合流し、巡礼路はその国道沿いに続いていたのだが、そこで見た景観は巡礼路の在り方についていささか考えさせられるものであった。 正直言って、この光景は非常に残念に思った。サンティアゴ巡礼路は、中世の頃より1000年以上続いてきた古い道である(その歴史の重みがあるからこそ、ユネスコの世界遺産リストにも記載されているのだ)。スペインの北部は近代に入ってからも近代化の影響が比較的少なく、昔ながらの巡礼路と景観が良好に保たれてきた。しかし、現状はこのザマである。 道路のアスファルトはまだ新しく、できたばかりという事が分かる。「Google Map」のストリートビューで確認してみると、少なくとも2009年までは巡礼路に隣接する道路として違和感のない地形に沿った普通の車道であった。このように丘の稜線をぶった切ったのは、極々最近の事のようである。いやはや、「どうしてこうなった!」 と言わざるを得ない。 巡礼路が通るルートは古くからの幹線道路であり、それは現在も変わらないだろう(だからこそ、巡礼路に沿って国道や高速道路が作られるのだ)。道路を作る事を否定するつもりはないが、巡礼路に隣接して敷くのであれば、それまで受け継がれてきた景観を尊重し、せめて地形を変えない範囲でお願いしたいものである。 今日は不思議な天気である。基本的には晴天で日が出ているのだが、時々雲がかかって暗くなる。風がかなり強く、雲が流れる速度が驚くほどに早いので、晴れたり曇ったり空の状況がコロコロ変わるのだ。そんな曖昧な天気だからだろうか、うっすらと虹を見る事もできた。虹を見たのはかなり久しぶりで、妙にテンションが上がってしまう。 9時少し過ぎ、私はグラニョンという村に到着した。この村はログローニョから続くラ・リオハ州最後の村である。この先で州境を越え、レオン州のブルゴス県に入るのだ。とはいえ、特に何が変わるという事も無いだろう。強いて言えば、ブドウ畑が見られなくなるというくらいだろうか。まぁ、それはそれで寂しいが。 村の中央に建つ教会に入ってみたものの、その内部は非常に暗かった。電灯はあるのだろうが、スイッチの場所が分からない。窓の数も少ない上に、ちょうど曇がかかっていたタイミングだったので光量が少なく、足元の確認すらままならない感じだ。せっかくなので祭壇を眺めようとしても、よくよく目を凝らさないとディティールが分からない。 ……とその時、雲が切れたのだろう、窓から差し込む光が一際強くなった。するとその光に照らされて金色の祭壇が輝き、乱反射した光によって教会の中が金色に染まった。面前で起きたそのあまりに神々しい現象に、私は息を飲むばかりである。そして、日光こそが教会を最も美しく魅せる本来の照明装置なのだという事を知った。昔は当然ながら電気など無く、日中の明かりといえば太陽光である。祭壇が過剰なまでに金ピカなのは、なるほど、このような意味があったのか。 丘の頂上には州境を示すレオン州の標識が立っていた。相変わらず風が強く、被っていた帽子が風に煽られ飛ばされてしまったので、ザックにしまう。 そういえば、ここ数日、帽子を取っても暑いと感じない日が続いている気がする。雨の日は、まぁ、涼しいのは当然であるが、昨日や今日のようにそこそこ晴れている日であっても、日光が強烈に感じないのだ。むしろ爽やかで気持ちが良い気候である。スペインは「とにかく暑い」「死ぬほど暑い」と聞かされていただけに、少々拍子抜けである。 レオン州に入って最初の村である為か、集落程度の規模の小さな村ではあるものの、その入口に観光案内所が設置されていた。とりあえず巡礼手帳にスタンプを頂いたが、この村には特別何があるというワケでもないようなので、そのまま休憩せずに村を出る。 レデシージャから先は、ただひたすらに国道の横を歩く事になる。車道沿いは道が平坦ではあるものの、周囲の景観に大きな変化が無いので歩く道としては少々退屈だ。ただ、この区間には村が多いので、休憩する場所に事欠く事は無い。 聖人サント・ドミンゴの故郷だというこの村ビロリアの教会は、それほど古いものではないようだが細部の意匠がかわいらしい。白塗りの壁といい、露出した木部といい、教会建築と言うよりは民家を大きくしたような感じだ。これまで見てきたスペインの教会は武骨なものが多かったが、この村の教会は一味も二味も違った印象である。 ちょうど時間が12時半を回っていたので、この村で昼食休憩を取る事にした。ベンチに腰を下ろすと、巡礼路の後方からドレッドヘアーの男性が村の広場に入ってきた。昨夜同じアルベルゲに泊まった巡礼者の一人である。言葉を交わした事さえ無いものの、宿内で顔は何度か合わせていたのでとりあえず挨拶をした。 私は歩くペースが遅い方だと自覚している(と言うか、巡礼路の風景を楽しむ為にわざとゆっくり歩いている)。なので同宿の巡礼者はもうとっくに先へ行っているものかとばかり思っていたが、このドレッドさんはまだこの村にいた。私と同じく、のんびりペースで歩く人なのだろうか。その特徴的な髪形も相まって、最近で一番印象に残った巡礼者だ。 四国遍路を歩いていた時から、私にとって車道沿い(特に国道沿い)の道というのは嫌悪の対象であった。アスファルトは足にとって良くないし、何より走ってくる車に対して常に気を配っていなければならない。精神的にも体力的にも疲れるのだ。 その点において「フランス人の道」は巡礼者に優しい道である。車道沿いを歩く場合でも、大抵は車道とは別に巡礼路が設けられている。それはフランスの「ル・ピュイの道」よりも徹底されており、スペインでは車に対して恐怖を感じた事は一度も無かった。 14時くらいにベロラドという町に到着した。まだ早い時間なのでもう少し歩いても良かったのだが、この町を出てしまうとかなり中途半端な位置で泊まる事になりそうだったので、今日はもうこの町に宿を取る事にした。 村の入口に様々な国の旗を並べた派手な私営アルベルゲがあったが、何となく品が良くない感じがしたのでそこはスルー。もう少し町中に進んだ所に教会が建っており、その脇に「ALBERGUE」と書かれたホタテ貝マークの標識が立つ入口があった。ほぉ、この町は教会がアルベルゲをやっているのか。よし、ここにしよう。 このサンタ・マリア教会は14世紀に救護院として建てられた施設だそうで、今でもアルベルゲとして巡礼者の宿泊を受け入れてくれている。ありがたい事だ。私は「オラー」と挨拶しながら中に入ったものの……受付にはオスピタレオの姿が無い。奥のキッチンで昼食を作っていた体格の良い女性に聞くと、どうやら今はいないらしいとの事だ。 しょうがないのでしばらく待っていると、オスピタレオらしき初老の女性がアルベルゲに入ってきた。私は「ドエルミー(寝る)」とジェスチャーで伝え、受付をしてもらう。どのベッドを使っても良いとの事だったので、一番奥の部屋の下段ベッドを確保した。ちなみに料金は寄付である。困った事に小銭が無かったので、後で納める事にした。 私の靴下は、ここまでの旅程において既にボロボロ、見るも無残な大穴が開いていた。私はシャワーを浴びた後、その靴下をシャツと共に洗濯して物干し竿に吊るしたのだが、そんな私の靴下を見て一人の欧米人男性が「ホーリー・ソックス」と笑った。日本語でいえば「聖なる靴下」である。おそらく、キリストの聖痕とかけたのだろう。「指を入れても良いかい?」とは言わなかったが。 水仕事の後はお約束の町歩きである。どうやら教会の背後にそびえる岩山には登れるようなので、まずは町の全貌を掴むべくその頂上へ行ってみる事にした。アルベルゲから出ると、ちょうど良く町の子どもたちが犬を引き連れ岩山の方へと向かっていた。私はその子たちの後ろを歩き、岩山に登る為の道筋を教えてもらう。 子どもたちと一緒に辿り着いた岩山の上は思っていた以上に風が強く、体が揺さぶられて少々怖かった。しかし、やはり眺めは最高である。ざっと見渡してみると、このベロラドにはこれといったシンボル的な文化財は無いようであるが、まぁ、程良い感じにまとまった、なかなかに雰囲気の良い所である。 この門は12世紀から13世紀にかけて建てられたサン・ニコラス教会の入口部分のようだ。岩山を下りてから近くに行ってみたが、僅かながら彫刻が残っていた。門の下に吠える犬が飼われていたので、近付いてしっかり見る事は出来なかったけど。その後もざっと町の中を歩き、雑貨屋でビールを買って一休み。町の中心である広場にはちょっとした観光案内所もあり、そこにはこの町の近くで発掘されたのだろう、古代の文字が書かれた石碑などが展示されていた。 夕方、アルベルゲのキッチンでスパゲティを茹でていると、上階のベッドルームから若い東洋人の女の子が下りてきた。まぁ、やっぱり韓国人なんだろうなと思っていたら、その女の子は私に向かって「日本人ですか?」と日本語で聞いてきた。私は少々びっくりしながらも「はい、日本人です」と日本語で返す。その女の子はさらに「私は韓国人です、よろしく」とまたもや日本語で言った。へぇー、こりゃ驚いた。シンさん姉妹といい、この女の子といい、サンティアゴ巡礼路を歩く韓国人は何でこうも日本語が達者なのか。少し話をしたところ、この先のビジャフランカ・モンテス・デ・オカ(Villafranca Montes de Oca)という村で友達が待っており、明日はそこまで歩くのだとか。 食事を終えた後、20時からは教会のミサに参加した。最初は町の人々を交えた普通のミサであったが、それが終わった後は巡礼者たちだけで集まり、サンティアゴ巡礼のミサが始まった。スペイン語、フランス語、英語、ポルトガル語の5ヶ国語で書かれた経文が渡され(おそらく、「巡礼者の誓いの言葉」的なものだと思う)、巡礼者の一人ひとりがその一文を読むのだ。私もまた英語で一文を述べ、それでミサは終了した。 ミサの後は、アルベルゲの食堂で恰幅の良い女性やホーリー・ソックスの男性などとちょっとした談笑を楽しんだ。「どこから歩き始めたの?」という話題になったので、私はここぞとばかりに地図を指差し、「サン・ジャンからさらに東の――」と続けようとしたその刹那、ホーリー・ソックスさんが「はいはい、日本から歩いてきたんでしょ?」と冗談めかして茶化す。一応、「ル・ピュイという町から歩き始めたんです」と言ってみたのだが、どうやら「ル・ピュイ」という地名も知らないようであった。いささか残念である。 Tweet |