夜中の3時頃、ガサゴソという物音で目を覚ました。トイレに行こうと一階へ降りると、そこには既に出発準備を終えたご夫婦の巡礼者がいるではないか。ザックを背負い、頭にはヘッドライトを装着している。私は「おはようございます」と挨拶し、トイレへと入った。いやはや、こんな朝早くに宿を出る人もいるのか。 二度寝した私は6時になってようやく起き、キッチンに用意されていたパンとコーヒーを頂いた。アルベルゲによっては朝食を出して貰える所もある。ここもまたそのような宿であった。宿泊費が寄付の上に朝食まで頂けるとは、いやはや、巡礼というものは人の善意に依って成り立っているんだなと改めて実感する。 私は7時過ぎにアルベルゲを出た。空には分厚い雲が立ち篭め、路地は薄暗い。せっかくのグラフティも色褪せて見えてしまう。気温はかなり低く、長袖のシャツを着ても肌寒い程であった。誰だ、スペインは死ぬほど暑いなんて言ったのは。 橋を渡ってベロラドの町を出てからは、今日も麦畑の道である。いつ雨が降り出してもおかしくない空模様なので、今日は少し急ぎ目に歩いた方が良いのかもしれない。やや早足を心掛けながら歩いて行くと、前方に見覚えのある二人の姿が現れた。サント・ドミンゴ手前の巡礼路を“トイレットペーパーを転がしたような道”と表現した、あの欧米人カップルだ。スキンヘッドの男性と会話しながら歩いている。 私は三人に挨拶してから、その横を通り先を急ぐ。出発から一時間程歩いた所で、トサントス(Tosantos)という村に到着した。さほど特徴の無い普通の村……と思いきや、村の裏手にたたずむ岩山の上部に、教会らしき建物が見えた。ただの教会ではなく、断崖に穿たれた石窟寺院のようである。ほぉ、これは面白い。見に行ってみるとしよう。 坂道を登って近くから見ると、まるで崖に吸い込まれたかのように建つ外観にますます興味が掻き立てられる。内部の構造はどうなっているのだろうか、ぜひとも見学してみたい所ではあるが、残念ながらいつものごとく扉には鍵が掛けられており、内部の拝観は叶わなかった。ただ、この教会からの眺めはなかなかのものであり、それだけでもここまで登ったのは徒労でなかったと思わせてくれた。 朝の時間帯を抜けても空模様は相変わらずなままで、気温もいまだに低く立ち止まるとひんやりとした寒さを感じる。なので必然的に休憩は短め、歩くペースも上がっていた。最悪雨降りも覚悟していたのだが、幸いにもそこまで酷くはならないようだ。 むしろわずかながらに雲が切れる事もあり、徐々にではあるが天気が好転しつつあるような兆しが見える。まぁ、希望的観測に過ぎないのかもしれないが。 珍しく教会の扉が開いているぞと思いきや、内部は工事中で入る事ができなかった。だがしかし、これはこれで珍しい光景が見れたのではないだろうか。教会ではこのようなリフトやクレーンで人を上げ、修理や塗装の作業を行うのである。なるほどなー。 エスピノサを出てからは雲が若干薄くなり、周囲の風景も明るくなってきた。うん、やっぱり巡礼路はこうでなくっちゃ。太陽にはもっともっと頑張っていただきたいものである。多少は暑くなっても構わないから。 広がる麦畑の中にポツンとたたずむファン・フェリセス修道院跡。修復などの手は特に入っていないようで、屋根には草が生えてしまっていたりもする。しかし内部は見た目以上にしっかりしており、特に天井のドームはなかなかの迫力があった。 遺跡を後にしさらに歩いて行くと、ビジャフランカ・モンテス・デ・オカという村に着いた。モンテス・デ・オカ(オカの山)という名前からも分かる通り、この村を越えたその先は山の道である。地図を見る限りでは、12キロメートル先のサン・ファン・デ・オルテガ(San Juan de Ortega)という所まで村の類は一切無いようだ。 今の時間は10時半。どうやら山の中で昼食を取る事になりそうだ。となると、この村で食料を調達しておかなければならない。ちょうど良く、道路沿いの目に付く位置に雑貨屋があったので、生ハムとチョコレート、それとビールを購入した。 広場まで歩いて行くと、石段に座っていた男性がこちらを向いて手を振った。良く良く目を凝らしてその人物を見ると……おぉ、昨日の宿で一緒となったホーリー・ソックスさんではないか。今日はそれなりに急いで歩いているというのに、みんなそれ以上に早いなぁ。 思えば、このようなしっかりとした山道はピレネー越え以来である。スペインに入ってからというものの、多少の上り下りはあれどせいぜい丘レベル。フランスの「ル・ピュイの道」で鍛えられた身としては、もう少し歯ごたえが欲しい所であった。 そのような中、ようやくお目見えした久方ぶりの山道という事で、私はわくわくしながら歩みを進めた。なんでも、このオカの山は巡礼路の難所として昔から知られているらしい。実際歩いてみると想像していた程の大変さは無かったものの、緑の木々に囲まれた道を歩くというのは清々しいもので、とても楽しかった。うん、やはり山道は良い。 山頂に着いたのは正午少し前。おあつらえ向きにベンチが設置されていたので、ここで昼食を取る事にした。生ハムを口の中に放り込みながらビールをあおっていると、サント・ドミンゴのアルベルゲで一緒になったリトアニア人のウラジミールさんが到着した。日が出て気温が上がっていたので、喉が渇いていたのであろう。私のビールを見て「それは良いアイディアだね!」と言っていた。 私が昼食を終え坂道を下って行くと、ウラジミールさんが追ってきて「一緒に行こう」と誘ってくれた。リトアニアの事や日本の事、互いの家族の事などを話しながら歩いて行く。一人で歩くのも良いが、こうして人と話しながら歩くのもまた良いものだ。 途中、ウラジミールさんが木の枝を拾い、地面に大きな字で「BUEN CAMINO」と書いた。さらに続けて、人名なのだろうか、さらさらっとスペルを綴る。私が「何をしているんだい?」と尋ねると、ウラジミールさんは「足をケガして歩けなくなった友達へのメッセージなんだよ」と寂しそうに言った。巡礼者は一人ひとりにドラマがあるものなのだ。 突如として視界が開け、畑の奥に巨大な修道院の姿が見えた。森の中にポツンと存在するサン・ファン・デ・オルテガは、修道院とその付属施設からなる小集落である。ピレネーの麓にあるロンセスバージェスと似たような雰囲気を感じた。スペインに入ったその初日に泊まったロンセスバージェスは、険しいピレネーの山を越えてきた巡礼者に寝床を与える、救護院的な役割を持つ修道院であった。このサン・ファンもまたロンセスバージェスと同様、オカの山を越えてきた巡礼者に対する救護院として続いてきたのだろう。 修道院に隣接する建物では、巡礼手帳にスタンプを押して貰う事ができた。巡礼宿の受付もここで行うようで、係員のおじさんに「泊まるのかい?」と尋ねられた。私はどうしようかと一瞬だけ迷ったが、まぁ、修道院に泊まるというのも面白いと思い、「シー(はい)」と答えて宿泊費の5ユーロを支払う。ウラジミールさんはもう少し先の村まで歩くという事で、ここでお別れとなった。 このサン・ファン・デ・オルテガの修道院を開いたのは、その名もずばりサン・ファン・デ・オルテガという名の聖人である。1080年に生まれたというサン・ファンは道や橋など巡礼路の整備に一生を費やしたそうで、その業績はサント・ドミンゴと良く似ている。 修道院の教会は12世紀後半に建てられたロマネスク様式のもので、柱頭の彫刻もすこぶる状態が良い。ゴテゴテした金ピカ祭壇も無く、上品で優雅な印象の教会である。おぉ、この教会をじっくり見学できるという点でも、ここに宿を取ったのは正解だった。 この教会には数多くの彫刻が残されているが、特に印象的なのは騎士ローランとムーア人の巨人フェラグー(Ferragut)との戦いを題材にした柱頭彫刻だ。そう、ナヘラの近くにあったローランの丘に残る巨人討伐伝説である。チェーンメイルの表現など、ディティールがも細かく思わずうなってしまう。しかしローラン、随分といかつい顔なんだな。 教会を一通り見学し終え、さて次はどうしようかと思うものの、やる事が無くて途方に暮れる。このサン・ファンにあるのは修道院と一軒のバル、それと数軒の民家だけだ(この民家も、おそらく修道院に関係する人のものだろう)。しょうがないのでバルに入り、冷えたビールで喉を潤す。こんな場所だしどうせWi-Fiも無いだろうと思いつつiPhoneを確認してみると、なんとこのバルからWi-Fiが飛んでいるではないか。しかし店のお兄さんに「Wi-Fi使えますか?」と聞いたら答えは「ノー」であった。残念。 18時から巡礼者ミサが行われるという事だったので、今日も参加する事にした。ミサの粛然とした雰囲気は、緩んだ気持ちを引き締めてくれる。これまで私は旅行者気分でこの巡礼に参加していたように思うが、ミサに参加してからは巡礼者の一人として自覚が芽生えたような気がするのだ。巡礼を始めてから今までミサに参加してこなかった事が非常にもったいない事のように思う。これからはできるだけミサに参加するとしよう。 さて、ミサの後は夕食である。とは言うものの、ここのアルベルゲにはキッチンが無く、雑貨屋など食料が買える店もこの集落には存在しない。しょうがないのでバルで食べようかとも思ったのだが、時既に遅く満席状態であった。こりゃ困ったなとアルベルゲに戻ると、その入口にはブーンと唸る自販機が設置されていた。普通のジュースのみならず、ビールやレトルトパスタも買えるようだ。あぁ、それならもうこれでいいや。 いつも以上にわびしい感じの夕食になってしまったが、まぁ、空き腹を抱えて席が空くのを待つよりは良いだろう。お金の節約にもなるし。そんな事を思いながらパスタをもぐもぐやっていると、ふと足元から「くぅーん」という鳴き声が聞こえた。目を落とすと、小さな犬がつぶらな瞳で私を見上げているではないか。 その物憂げな顔で見つめられるのは少々辛いが、犬や猫に人間の食べ物を与えるのはよろしくないのでお預けだ。しばらくすると、アルベルゲの管理人さんだろうか、一人の女性がこのワンちゃんを引き取りに来た。私は「ペケーニョ(小さいね)」と言うと、その女性も笑顔で「ペケーニョ」といい、建物の中へと戻って行った。小脇にペケーニョなワンちゃんを抱えながら。 Tweet |