巡礼54日目:テラディージョス〜ベルシアノス・デル・レアル・カミーノ(23.7km)






 7時半にアルベルゲを出ると、村の広場に小さなテントが張られていた。獣医おじいさんのテントかなと思ったが、テント内やその周囲に人の気配は無く、確認する事はできなかった。もっとも、テント泊の巡礼者は獣医おじいさん以外にも存在するし、おじいさんが連れている犬の姿も見当たらなかったので、違う人だった可能性の方が高いだろう。

 テラディージョスからの巡礼路は車道を離れ、今日もまた麦畑の中の道である。太陽の位置は低く、長く伸びた私の影が白砂の道に投射され、その影を追うように進んで行く。西へ西へと伸びるサンティアゴ巡礼路では、毎朝お馴染みの光景だ。


伸びた影の写真を撮るのは巡礼者のお約束

 しばらく歩くと、早くも次の村であるモラティノス(Moratinos)が見えてきた。ごくごく普通の小さな集落といった感じの所であるが、村の手前にはこんもりとした土盛りが並んでおり、いくつかの入口らしき穴がぽっかり開いていた。


モラティノスの入口に土盛りが並ぶ


これはいったい、なんだろう

 最初は墓かと思ったのだが(日本の古墳に似ているし)、よくよく見ると土盛りの上には煙突、あるいは空気穴らしき筒状の物体が立っている。墓だとしたらそんなものは必要無いだろう。となると、芋の貯蔵庫か何かだろうか。う〜ん、分からん。

 イマイチ腑に落ちないままモラティノスの集落を通り過ぎ、引き続き眺めの良い畑の道に進む。あっという間に次の村、サン・ニコラス・デル・レアル・カミーノ(San Nicolas del Real Camino)に到着した。ここもまた、さほど際立った特徴の無い小さな村である。


巡礼路の景色は相変わらず素晴らしい


サン・ニコラスの教会前には藁を積んだ貨車が置かれていた

 バルで朝食を取る他の巡礼者たちを横目に教会前のベンチで一休み。そのすぐ側に水道があったので、ガブガブと水を飲む。一息着いた所で再出発だ。サン・ニコラスの集落を出ると、巡礼路はすぐに車道と合流し、その横を並走する形となった。


車道沿いとはいえ、なかなか絵になる風景である

 今日も天気が良く、巡礼路の景色も良く、足取りは軽い……はずなのだが、私の心はどこかざわざわ落ち着かない。その原因は財布の中身である。昨日の宿泊費と夕食代で、手持ちの金はわずか15ユーロにまで減っていた。

 ATMが確実にあるだろう大都市レオンに到着するのは明後日の予定だ。たかだか15ユーロなど、今日と明日の宿泊費だけで飛んでしまう可能性のある額である。食費などを考えると、最悪の場合は野宿もありうる状況だ。

 ただ、今日中にお金を補充するという望みがまだ完全についえたワケではなかった。一縷の希望、それは次の町サアグン(Sahagun)である。地図を見る限り、サアグンは一昨日泊まったカリオンぐらいの規模はあるようだ。ATMが存在する可能性も低くはないだろう。いや、きっとあるさ。あるに違いない。私はそれだけを願いながら巡礼路を進んで行った。


やった! 想像以上に大きな町っぽいぞ!

 上りの坂道を越え、下りに差し掛かった所で道路の向こうにサアグンが見えた。その町はかなりの広範囲に及んでおり、高さのある建物もちらほら見える。おぉ、これならATM、あるんじゃないか?!

 目を輝かせながら坂道を下って行くと、巡礼路は町の少し手前で車道沿いから外れ、北へと進路を変えた。私は「えっ? 町に入るんじゃないの?」と焦ったが、どうやら古い礼拝堂を経由する為だったようで、その礼拝堂を過ぎると道は再び西へと向かっていった。


12世紀に建てられた「橋の聖母礼拝堂」

 この「橋の聖母礼拝堂」は、中世に架けられた石橋のたもとにポツンと建つ小さな礼拝堂ではあるものの、そのロケーションや周囲の雰囲気と相まって非常に印象的だった。サアグンの付近は石材があまり採れないとの事で、その建物は煉瓦造り。ムデハル人(レコンキスタ後もイベリア半島に残ったムスリム)の建築様式がロマネスク様式と融合した、ムデハル様式で建てられている。

 「橋の聖母礼拝堂」を後にした私は畑の中の道を少しだけ歩き、そしていよいよサアグンの町へと入った。サアグンは巡礼路からの眺め通りに、そこそこ大きな町である。土曜日であった為か通りには市場も立ち、びっくりする程の人出で賑わっていた。


市場の出店が並ぶサアグンの目抜き通り


サクランボが1kgで2ユーロ、おぉ、安い

 出店のラインナップは、果物、肉、野菜、衣類、雑貨などと実に様々である。値段の記されたプレートを見ると、バナナが2kgで2ユーロ、オレンジが3kgで1.15ユーロと実にリーズナブルで目を引いたが、それよりまずはATMを探さなければ。……と思いきや、その目と鼻の先に銀行があり、ATMも当たり前のように設置されていた。

 私は少しドキドキしながらATMに銀行のカードを差し入れる。実はスペイン国内で現金を引き出すのは今回が初めてなのである。スペインはフランスよりも物価が安く、フランスのサン・ジャン・ピエ・ド・ポーで下ろしておいた金だけでここまでやってこれたのだ。私のカードはスペインのATMでもちゃんと使えるのだろうか。恐る恐る暗証番号と金額を打ち込むと――おぉ、ちゃんとお札が出てきてくれた。

 私はほっと胸をなで下ろし、厚みを増した財布をポケットにねじ込む。金の心配が無くなり、私のテンションはみるみるうちにうなぎ上りである。ここはちょっくら、サアグンの散策と洒落込もうじゃないか。


サアグンの中心に堂々たる構えを見せるサン・ベニート修道院の門と塔

 サアグンはローマ街道の宿場町に起源を持つ町である。872年にアストゥリアス王のアルフォンソ3世によってサアグンに創建されたサン・ベニート修道院は、11世紀になるとアルフォンソ6世の庇護を受けて多大に発展し、「スペインのクリュニー」と称される程の繁栄を見せたという。サアグンは重要な都市となり、フランス人やムデハル人など様々な人々が集まった。

 近世に入ると修道院は衰退し、19世紀に出されたメンディサバル法(教会や修道院の土地を没収する法律)がトドメを刺した。その跡地には1662年建造の門と12世紀に建てられたサン・マルコ教会の廃墟、それと塔が残っており、往時のサン・ベニート修道院の栄華を今に伝えている。


こちらは修道院跡の南に建つサン・ティルソ教会


馬蹄型のアーチを持つ、ムデハル様式の建築である

 サン・ベニート修道院跡の南にはサン・ティルソ教会が鎮座する。数多くのアーチ窓を持つ鐘楼と、幾何学的に連続するアーチ装飾が特徴的なムデハル様式の教会だ。12世紀に石造りで基壇や壁の一部が築かれ、その後に煉瓦を用いて完成されたらしい。

 ……というような事を、教会内にいた係員のお姉さんが英語で説明してくれた。拝観料は無料であったが、規模の大きなムデハル建築の内部を見学できたのは嬉しかったし、お姉さんの説明も分かりやすかったので、募金箱に少々の心付けを入れてから出た。


もう一つのムデハル建築、サン・ロレンツォ教会

 続いて丘の上に建つサン・ロレンツォ教会を見に行った。サン・ティルソ教会と良く似た外観のムデハル建築だが、サン・ティルソ教会よりも後の13世紀に建てられた為か、こちらは総煉瓦造りでそびえる鐘楼もより立派だ。残念ながら、内部の拝観はできなかった。

 そうこうしているうちに正午を回ったので昼食とする。市場に戻ってバナナとオレンジを買い、それとスーパーで生ハムとチョコレートを購入した。飲み物はどうしようかと店内をうろうろしていると、ふと1リットルの瓶ビールが目に留まった。値段はなんとわずか0.8ユーロである。私は気が付くとその瓶を掴み、会計へと向かっていた。

 サン・ベニート修道院跡のサン・マルティン広場に腰を下ろし、瓶ビールをラッパ飲みしながらバケットと生ハムをむしゃむしゃ食べる。懐は潤ったし、古いモノを見る事もできたし、そして昼間から頂くビール。これ以上無いくらいに最高の気分である。


ほろ酔い気分でカント橋を渡り、サアグンを出る

 ふわふわとした天に浮くような心地のままサン・マルティンを後にし、緩やかに下る坂を進んでセア川に差し掛かる。18世紀に未完成の礼拝堂の石材を流用して架けられたというカント橋を渡って町を出ると、そこからは引き続き車道沿いの巡礼路である。

 1リットルのビールを飲んだ後でかなり酔っていたが、車道沿いという事もあってか平坦で歩きやすい。……が、狭い巡礼路を自転車が走ってきたりするのであまり油断はできない。車道沿いの道なのだからそちらを走ってくれれば良いのにと思う。


巡礼路を走る事にこだわりがあるのだろうか


突如、二方向に矢印が描かれた場所に出た

 サアグンを出てから一時間程歩いた所で、巡礼路の方向を示す黄色い矢印が二手に分かれた場所に出た。どちらかが本物でどちらかが偽物なのだろうか。真偽を確かめようにも、どちらの矢印にも一度消されたような痕跡が見られ、私はますます困惑する。

 いまだ酔いが残る頭を振りながら地図を確認すると、私の持っていたガイドブックには直進の矢印をたどるルートが記されていた。何だか良く分からないが、とりあえず私もまたその道をたどる事にする。


少し先にルートの案内図があった

 なるほど、どうやらどちらの方向に進んでも、最終的にはマンシージャ・デ・ラス・ムラス(Mansilla de las Mulas)という町で合流するようだ。これは後から知った事であるが、右のルートは「トラハナの道(Via Trajana)」といい、ローマ街道を起源に持つ古い巡礼路のようだ。片や左のルートは「レアル・カミーノ・フランセス(Real Camino Frances)」という道、つまりは「現フランス人の道」という事だろう。

 「トラハナの道」は経由する集落こそ少ないものの、その巡礼路は車道から外れ未舗装の道がメインのようだ。「レアル・カミーノ・フランセス」は経由する集落の数が多く利便性が高いが、巡礼路はずっと車道沿いを行く。その事をあらかじめ知っていれば間違いなく「トラハナの道」を選んでいたのだが、結局私はそのまま「レアル・カミーノ・フランセス」へと進んで行った。


17世紀に建てられた「洋梨の聖母マリア礼拝堂」を横目に行く


排気ダクトのような奇妙なゲートが迎えてくれた

 やや人工物が目立つ巡礼路をひたすら歩き、14時半にベルシアノス・デル・レアル・カミーノ(Bercianos del Real Camino)に到着した。バルとアルベルゲが一軒ずつあるだけの小さな村であるが、地図によると次の村までは8kmと少々距離があるので、今日はここまでにする事とした。

 この村のアルベルゲは村の中心部から5分程歩いた外れにある。古い建物を利用したアルベルゲらしく、外観も内装もなかなかに雰囲気がある。宿泊費は寄付制であり、ありがたい事に夕食と朝食の二食が付くようだ。ボランティアの方々と巡礼者の善意によって成り立つ、完全なる非営利のアルベルゲである。


古そうな木骨煉瓦造りのアルベルゲ


柱や梁が露出する内装も良い感じである

 外の洗い場で洗濯をしていると、二階の窓からオスピタリエのおじさんが顔を出し、水を出すのをやめてくれと言われた。どうやらボイラーの調子が悪いらしく、水を止める必要があるようだ。しょうがないので洗濯は後にし、村をぶらついてみる事にした。

 村の入口に掲げられていた案内板を見ると、見どころとして教会の写真が挙げられていた。見に行ってみようとその教会のある場所へ向かったのだが、そこには写真の教会は無く、一面の瓦礫にポツンと門が建つだけであった。


あぁ無情、という風情である

 どうやら老朽化が著しかった為か、入口部分のみを残し取り壊されてしまったようだ(Google Mapの衛星写真やストリートビューを見てみると、少なくとも2009年までは残っていた事が分かる)。村の北側には、この教会に代わる真新しい教会が建てられていたので、現在はそちらが村人の信仰の場を担っているのだろう。

 夕食は19時と聞かされていたが、その時間に食堂へ行ってもまだ支度の真っ最中であった。このアルベルゲの夕食は、宿のオスピタリエだけでなく有志の巡礼者が手分けして作る事になっている。本来は私もその作業に携わるべきなのだが、この日は宿泊者がほぼ満員で、私が手を出す余地は残っていなかった。

 私はアルベルゲの前に置かれていたベンチに腰掛け、同じく食事を待つ宿泊者と共にぼーっと時間を潰す。私の隣でパイプをくゆらしていたおじいさんはオランダ人の自転車巡礼者で、私がピレネーを越えた峠とはまた別の、ソンポルト峠を経由する「アラゴンの道」を走ってきたそうだ。ソンボルト峠はやや険しい道だが非常に美しかったと語ってくれ、私が次にサンティアゴ巡礼路を歩く際にはぜひともそのルートで行こうと思った。


夕食は20時から始まった


メニューはペンネとポテトサラダである

 アルベルゲの夕食らしく、食事の前にはちょっとしたセレモニーがあった。巡礼者を代表して数人のおじさん、おばさんがオスピタリエから渡された文章を読み上げる。おそらく、巡礼者の誓い的なものだろう。

 夕食にはワインも出たが、グラス一杯だけだったので(もちろん、それでも非常にありがたい事ではあるのだが)、食後にバルへ足を運びボトルワインを一本買って広場で飲んだ。良い気分になりながらアルベルゲへと戻る途中、一軒の家の窓にかわいらしい猫が座っていたので、私は「にゃおにゃお」と奇声を発しながら近付いたのだが、その様子を家の人に目撃されてしまい、少し恥ずかしい思いをした。