6時半に目を覚ました私は、朝食を取るべく食堂へと向かった。テーブルにはパンとビスケット、それとフルーツの入ったバスケットが、バターやジャムの瓶などと共に並んでいる。食堂には5、6人の先客がおり、また既に朝食を終えて出発した人も多かったようで、パンの大部分は無くなっており、私はビスケットにジャムを塗って食べた。 今日は少々肌寒く、腕をさすりながらの出発であった。車道沿いの巡礼路をてくてく歩いて行くと、まるで空に牛乳をこぼしたかのように雲が広がりだし、さらに気温が低くなったように感じた。雨が降るような雲ではないが、青空が見えないのはちょっと残念だ。 一時間半程車道沿いの道を進み、高速道路の高架を潜ってさらに少し歩くと、エル・ブルゴ・ラネーロという村に到着した。巡礼路に沿って家屋が並ぶ、典型的な巡礼路の経由地といった感じの村である。私は教会前で少しだけ休憩を取って、再び歩き出した。 エル・ブルゴ・ラネーロから次の村であるレリアエゴス(Reliegos)までの距離は約13km。メセタ名物、途中に何もない長距離スパンの区間である。ずっと車道沿いの道が続くようで、こりゃしんどいなと思ったものの、程無くして雲が晴れて青空となった。相変わらず気温は低いままであるが、明るい方が精神的に余裕が出てくるのでありがたい。 途中、前方から走ってきた車が突然私の横で停車し、若い男が降りてきた、すわ何事かと警戒したが、男の手にあったのはピストルでもナイフでも無くアルベルゲのチラシである。どうやら巡礼者を見つけては、車を停めて営業に励んでいるようだ。 サンティアゴ巡礼路を歩く人の数は近年でかなり増加したという。巡礼者が多くなれば、営利目的の私営アルベルゲやバルも増えるだろう。選択肢が増えるという点では悪い事ではないのかもしれないが、巡礼路の世俗化が加速しているという批判もある。特に最もメジャーな巡礼路であるこの「フランス人の道」は、それが顕著なようだ。 実際、巡礼路上では頻繁にアルベルゲの看板を目にするし、またこのように巡礼路にまで出張ってきて客引きをするアルベルゲもある。祈りの道という、巡礼路が持つ本来の性格を考えるに、やはり私は昨夜泊まったアルベルゲのような、営利を目的としない宿に泊まりたいものだ。 空港の敷地を越えた辺りにピクニック・ベンチを備えた休憩所があったので、私は足を止めて休憩する事にした。食料袋からオレンジとオレオを取り出し食べていると、一人の女性巡礼者が巡礼路を逆走してくるのが見えた。 その女性もまた休憩所に入ってきたので軽く挨拶をする。話を伺うと、どうやらこの女性はサンティアゴから逆順に巡礼をしているのだという。しかも、スタート地点はサンティアゴではなく、そこからさらに西にあるフィステーラ岬であったという。 フィステーラ岬はスペインの最西端、いわば最果ての地である。古来よりサンティアゴに到着した巡礼者たちは、さらにフィステーラ岬まで歩き、そこで服を燃やして生まれ変わりを体現したそうだ。フランスの「ル・ピュイの道」で度々一緒になったジョン&マイティ夫妻もまたフィステーラまで歩くと言っていた。私もできればその伝統に則り、フィステーラまで歩きたい所である。 休憩を終えた私は、女性と別れて再び西へ西へと進んで行く。巡礼路に沿って等間隔に立ち並ぶ木々は、まだ幹が細く葉の量も少ない。どうやら、最近植えられたもののようである。 だだっ広い台地が果てしなく続くメセタは、青空に麦畑が映える風光明媚な土地ではあるものの、路上に日差しを遮るものが一切無く、夏には地獄のような暑さになるという。その為、最近は巡礼路沿いに木を植えるのが盛んなようだ。あと数年すればこの木々が成長し、枝葉が茂って巡礼路に日陰を作り出す事だろう。 私としては、日差しの辛さを享受してこそ巡礼路だと思うのだが、まぁ、巡礼者の体調とかそのような事を考えればやむを得ないのかもしれない。いずれは、この並木もサンティアゴ巡礼路の風景として馴染んでいくのだろう。 長い道のりの区間ではあるが、風があるので涼しく道も比較的平坦で、歩くにさほどの苦労はなかった。12時ちょうど、レリエゴスに到着である。その村の入口には、昨日の朝にモラティノスの村で見かけたものと似た土盛りがあった。 昨日はその土盛りが何の用途で作れたものだったのか分からなかったが、この村の土盛りを見てその謎が氷解した。なるほど、これは住宅なのである。 モラティノスのものは入口が簡素であったが、レリエゴスのものは表構えがしっかり作られており、おしゃれにすら感じられる。煙突や通気口も完備され、どう見てもそれは立派な住宅であった。半地下式の住居空間を土で覆った、土葺きの家である。 おそらくは、これがメセタにおける伝統的な住居形態なのだろう。今でこそ普通の家に住むのが当たり前になってはいるが、昔はこのような土葺きの家が一般的だったに違いない。土の中は温度や湿度が一定に保たれ、昼間の強烈な日差しも防ぐことができる。降水量が少なく乾燥した気候のメセタにおいて、まさに最適な住居形態と言えるだろう。 疑問が晴れてすっきりした私は、うきうきと村の中心部へ向かった。ひっそり静かな村なのかと思いきや、意外にも外に出ている人の数が多い。正装したおじいさん、おばあさん、そして子どもたちが、皆一様に同じ方向へ歩いて行く。その先にあるのは――あぁ、教会だ。なるほど、今日は日曜日であった。ミサが行われるのである。 私は村の広場に座り、その人々の流れを眺めながら昼食を取った。バゲットにチーズを塗って食べ、それと先程の休憩で封を開けたオレオを貪る。食後には広場前のバルに入り、大ビールを注文した。愛想の良いお姉さんが出してくれたビールはジョッキ丸ごとキンキンに冷やされており、サービスのアンチョビも塩気が効いていてビールに良く合った。いやはや、まさに至福の時である。 レリエゴスにもアルベルゲがあるのだが、まだ時間に余裕があるので次へと向かう事にした。巡礼路は相変わらずな車道沿いの道である。途中で北の方向を見やると、遥か遠くに高く険しい山々が薄ぼんやりと見えていた。メセタの台地を縁取るカンタブリア山脈である。おぉ、ブルゴスから続いていたメセタの道に終わりが見えた。 私は近々やってくるであろう新たなステージに思いを馳せながら、真っ直ぐに伸びる巡礼路を進んで行った。 レリエゴスから一時間半程で、幅の広い国道を渡る高架橋に差し掛かった。その橋の上からは、マンシージャの町全体が見渡せる。なかなかに大きな町であり、見どころも多そうだ。今日はこの町に泊まるのが良いだろう。 南門から路地を北へと歩き、広場を通り過ぎると左手に公営アルベルゲがあったので中へと入った。オスピタレラのおばさんに5ユーロを支払いベッドを確保。雰囲気の良い宿で中庭まであったが、そこは既に大勢の巡礼者で占められていた。 とりえあえず水仕事をこなし、町の見学へと出る。高架橋からの眺めではそこそこ大きな町のように見えたが、実際には意外と小ぢんまりまとまっており、一時間程でサックリ見て周る事ができた。 マンシージャに残る城壁は、12世紀にレオン王フェルナンド2世が築いたものだそうだ。町を守る目的の他、この近くに位置する首都レオンの支城としての役割もあったのだろう。現在、その城壁は町の北側と西側にしか現存していないが、その規模はかなりのもので、特に北側の城壁は高さ14メートル、厚さ3メートルと非常に立派であった。 東側は城壁こそ失われているものの、城門がそこそこ良好な状態で残されている。昨日、巡礼路はサアグンの先で「トラハナの道」と「フランス人の道」に分岐したが、そのうち「トラハナの道」はこの東門を潜ってマンシージャの町へ到着する。 この町の公営アルベルゲはWi-Fiが使用可能である。私はキッチンに陣取り、久方ぶりにノートパソコンを開いてネットに繋いだ。……が、うっかり操作を間違えてしまい、なんとWindowsアップデートが始まってしまった。Wi-Fiの通信速度がそれ程速く無い上、長い間更新していなかった事もあって、いつまで経ってもアップデートが終わらない。電源を切るワケにもいかず、私はかなり参ってしまった。 そうこうしているうちに夕食の時間となり、キッチンが混み合ってきたので私も夕食を作る事にする。今日は町のスーパーでピーマンを買ってきたので、それと手持ちのサラミを細かく刻み、油で炒めてスパゲティソースの具にした。 プレーンなトマトソースにサラミのうまみとピーマンの程良い苦みが加わり、これが相当においしかった。満足した私はワインを飲み干しパソコンの画面を確認すると、おぉ、更新は無事終わっているではないか。私はほっと胸をなで下ろし、さらに混雑し出したキッチンを後にしてベッドへと向かった。 Tweet |