朝7時半にアルベルゲを出発した私は、エスラ川に架かる長い長い橋を渡ってマンシージャの町を出た。この橋は12世紀にまで遡る歴史を持ち、その後の1573年に再建されたものであるという。 全長141mの長さがあるこの石橋は、橋下を流れるエスラ川や中州に繁茂する草木と見事にマッチしており、朝にふさわしい爽やかな雰囲気を醸していた。背の高い木々が橋の一部を覆い隠しているので全貌を見渡す事は出来ないが、それもまたこの橋が持つ神秘性を高めていた。 今日の巡礼路も、昨日に引き続き道路沿いの道である。しかも昨日までの車道よりも圧倒的に交通量が多い幹線道路の国道で、大都市に接近しつつある事が良く分かる。朝の通勤の時間帯という事も相まって、私の横を絶え間なく車が走り抜けていた。 昨日まで好天が続いていた空は重い色の雲によって覆われ、出発時に高まっていた私のテンションは歩を進める度に低下して行った。巡礼路の左手には麦畑が広がってはいるものの、照らす光の無いその穂はくすんだ色合いを見せ、ねずみ色のコンクリートに描かれていた落書きは賎陋としていて愛嬌が感じられなかった。 出発から一時間程でビジャモロス・デ・マンシージャ(Villamoros de Mansilla)という村に到着した。バルの一軒すら無い、巡礼者としてはただ通過するしかない村ではあるが、とりあえず教会くらいは見ておこうと村の中へ足を踏み入れた。しかしこの村の目抜き通りは巡礼路と並行してはおらず、村を抜けると道から大きく反れ畑のど真ん中に出てしまった。気持ちが腐っていると、どうも行動が裏目に出やすいものである。私は道路を行き交う車のエンジン音を頼りに進行方向を修正し、なんとか巡礼路へ戻る事ができた。 沈んでばかりいてもしょうがないので、気持ちを切り替えるべく鼻歌混じりに大股でえっほえっほと歩く。道行く巡礼者と挨拶を交わしながら進んで行くと、徐々に気持ちがほぐれテンションもにわかに復活してきた。すると程無くして雲に切れ目が現れ、その隙間から太陽が顔を覗かせた。おぉ、やはり気持ちが上向きだと何事もうまく行くものなのだ。 しばらく歩いて行くと、巡礼路はポルマ川に差し掛かり、これまた極めて長さのある橋を渡った。この橋は13世紀から14世紀にかけて築かれたもので、現在は橋の上を国道が通っている。巡礼者は車道の横に設けられた歩道を歩いて橋を渡るのだが、その歩道がやけに狭く、すぐ側をトラックなどの大型車両が走って行くので少々怖かった。 まぁ、元々幅の狭い古橋を幹線道路としているのだから、歩道部分が狭くなるのは当然と言えば当然か。日本の基準であれば、間違いなく架け替えや大幅な拡張工事の対象となる橋であろう。古いモノを活かし、多少の不便はあれど使い続けていく事が、石の文化ヨーロッパの基本姿勢のようである。 国道沿いに真新しい建物が並ぶプエンテ・ビジャレンテ(Puente Villarente)は、まさに大都市の郊外というべき雰囲気の町であった。巡礼路も幅の広い車道の歩道を進み、やや味気ない印象である。 ビジャレンテの町を出ると、巡礼路は国道を外れて未舗装路に入った。とは言え、やはり普通の巡礼路よりも視界に入る人工物の数は多く、周囲の雰囲気は都市郊外のそれである。もっとも、車道沿いをずっと歩くよりは遥かにマシであるが。 巡礼路は国道を遠巻きに眺めるように北へと進む。鉄塔を越え、高速道路の高架トンネルを潜り、アルカウエハの町を抜けて、少々勾配のキツイ丘を登る。巡礼路沿いには資材置き場や企業の倉庫などが建ち、ブルゴスに入る直前の工業地帯の風景が思い出された。 程無くして未舗装路が終わり、国道沿いにレオンの町へと入る。途中、国道を渡る箇所には、横断歩道ではなく歩道橋が設けられていた。自転車巡礼者の事を考えてか、階段式ではなくスロープ式の歩道橋である。 歩道橋を渡り終え、カハ・エスパーニャ(Caja Espana)銀行の巨大な建物を横目に坂道を下りる。巡礼路はその途中でレオンの町へと真っ直ぐ向かう国道から外れ、プエンテ・カストロ(Puente Castro)を経由する。 そのプエンテ・カストロには礼拝堂が建っており、巡礼手帳にスタンプを押して貰う事ができた。小さな礼拝堂ではあるが、内部には昔のレオンの町並み模型などレオンについてのちょっとした展示もあり、ふと立ち寄ってみて正解だった。 いつの間にか正午になっていたので、礼拝堂前の雑貨屋でオレンジとビールを買い、カストロ橋のたもとのベンチに腰掛けて昼食にした。レオンの町へと入るその直前に、英気を養おうというものである。月曜日ではあるものの周囲に人の姿が多く、その中でビールをあおるのは少々気が引けたが、まぁ、今更気にしてもしょうがない。 カストロ橋を渡った所には大きなスーパーもあり、私はそこで夕食分の食料とワインを購入した。大規模なチェーンのスーパーは品物の価格が安いが、町中に入ってしまうと店舗の数が激減する(ヨーロッパは個人商店保護の為に、大企業の進出を制限しているらしい)。昼ご飯を食べてすぐに夕食の調達とはまた気の早い話であるが、安く買えるうちに買っておくのが得策なのだ。 さらに進むとこれまた大規模なホームセンターがあり、私はそこでクロックスとカメラのメモリーカードを購入した。フランスで買ったクロックスは底に穴が開いてしまっており、またカメラはメモリーカードへの読み書きが不調で動作がもっさりしていたのだ。このホームセンターのお陰でそれらの問題が一気に解決した。大都市レオン様様である。 これまで巡礼路の途上にあったパンプローナやブルゴスといった大都市は、いずれもかつては王国の首都であったという歴史を有している。このレオンもまたしかり。10世紀から12世紀にかけて栄えたレオン王国の首都であった町である。現在はカスティーリャ・イ・レオン州におけるレオン県の県都として地方の核を担っている。 またレオンは王国時代よりサンティアゴ巡礼の重要拠点でもあり、かつては巡礼宿が巡礼路上最多の17箇所存在していたという。そのような歴史を経てきたという事もあり、城壁に囲まれた旧市街の町並みは非常に美しく、目を引く歴史的建造物も数多い。 路地を進む度に次々と現れる立派な建物に目を奪われながらレオン旧市街を歩いて行く。道行く人々の数は極めて多く、少々歩き辛くはあるものの、それを補って余りある程に魅力的な町並みが続いていた。 途中の広場には建つカサ・デ・ロス・ボティーネス(Casa de los Botines)は、彼のアントニオ・ガウディによって1894年に建てられたネオゴシック様式の建築だ。初期の作品なのでガウディ特有の曲線を多用した有機的なデザインはまだ見られないが、四隅に備わる丸みを帯びた尖塔や、ファサードを覆う大小様々な石の質感にその片鱗を垣間見る事ができる、ような気がする。 ちなみに現在このカサ・デ・ロス・ボティーネスは、カハ・エスパーニャ銀行のオフィスとして使われており、内部の拝観は不可能である。私は何も知らずに内部へ入った所、即座に警備員さんが飛んできてつまみ出されてしまった。関係者以外立入禁止なら立入禁止と、入口に書いておいて頂きたいものである。 さて、まずは観光よりもベッドを確保しなければならないのだが、旧市街には案内が出ておらず困ってしまった。とりあえず中心部にまで来たものの、それらしい施設はどこにも見当たらない。やはり都会はアルベルゲ探しが鬼門である。 勘を頼りに町をうろついてみたものの、やはりアルベルゲは見つからない。こりゃ参ったなと頭を抱えていると、ふとバルのテーブルに座っていた数人の欧米人巡礼者が私に声を掛けてきた。大変申し訳ない事に私には見覚えが無い人たちだったが、向こうは私の事を覚えていてくれたらしい。ベルシアノスあたりのアルベルゲで一緒になった方々だろうか。 彼らにアルベルゲの場所を尋ねてみると、一人のおじさんが地図を描いて渡してくれた。どうやら公営アルベルゲは旧市街ではなく新市街にあるらしい。しかも、かなり遠い位置にあるようだ。私は彼らにお礼を言って、再び旧市街の入口へと戻って行った。 途中でサン・マルコス広場を横切ったのだが、そこでザックを担いだ数人の巡礼者たちが立派な構えの建物へ入って行くのが見えた。もしやと思いその後を追ってみると……ビンゴ! そこはサン・マルコス修道院が運営しているアルベルゲであった。 オスピタレラのおばあさんにスタンプを押して貰うと、巡礼手帳の空きスペースがちょうど無くなってしまった。これで二冊目もコンプリートである。私はおばあさんにその旨を伝え、3札目の巡礼手帳を発行して貰った。 ベッドを確保し、済ませる事を済ませた後は観光である。まずは町の中心にそびえ立つカテドラルへ向かうとしよう。現在のレオン大聖堂は13世紀の初め頃より建設が始められ、カスティーリャ王アルフォンソ10世らの援助を受けながら1302年にひとまずの完成を見た。その後も建設は続けられ、今に見られる形になったのは15世紀の事である。 ブルゴス大聖堂と同様、レオン大聖堂もまたフランス人が建設に携わっており、フランス風のゴシック様式となっている。フライング・バットレスで支えられたその建物には窓が多く、そのいずれもステンドグラスが嵌められている。ステンドグラスが織り成す幻想的な光の装飾こそが、このカテドラル最大の特徴だ。 四方全ての窓を飾るステンドグラスは、評判通り大層見事なものであった。窓を大きく取る事ができるゴシック様式ならではの、荘厳かつ幻想的な風景だ。 巡礼を始める前に見に行ったフランスのシャルトル大聖堂もまたステンドグラスが著名なゴシック様式のカテドラルであったが、シャルトル大聖堂は青が基調の落ち着いた雰囲気であったのに対し、こちらは様々な色が混在しており非常に華やかで元気な印象である。これもまた、フランス人とスペイン人の気質の違いを表していたりするのだろうか。 カテドラルを後にした私は、続いて旧市街のやや北よりに位置するサン・イシドロ教会を見に行く事にした。サン・イシドロ教会はレオン出身のセビージャ司教、聖イシドロの聖遺物が祀られている教会で(聖イシドロは6世紀の人物だが、1063年に故郷レオンのサン・イシドロ教会に移されたという)、またレオン王国の歴代王族が眠る霊廟でもある。 現在目にする事ができるサン・イシドロ教会の建物は、11世紀から12世紀にかけて建てられたロマネスク様式の建造物である。その後の15世紀、16世紀には回廊などを中心に改装を受け、ゴシック様式、ルネサンス様式、バロック様式が混在する形となった。 教会の建物自体は、内陣がゴシック様式に変更されたなど後世の影響は多少あるものの、全体的にはロマネスクの色が強い建物である。また王族が眠る「レオン王のパンテオン」の天井には、12世紀のフレスコ画が極めて良好な状態で現存している。フロミスタで見たサン・マルティン教会や、「アラゴンの道」の経由地ハカ(Jaca)のカテドラルと共に、スペインを代表するロマネスク建築として知られている教会だ。 うん、これは良いロマネスク建築だ。荘厳華麗なゴシック様式と比べると、ロマネスク様式は窓が小さく構造もシンプルで目を見張るような派手さは無いが、だからこその美しさがあり、要所要所に刻まれた彫刻が栄えるというものである。 サン・イシドロ教会の内部を拝観し、また教会付属の博物館で前述のフレスコ画や宝物などといった古いモノを心行くまで堪能した私は、存分に満足してアルベルゲへと戻る道を歩いて行った。 町中には赤い服を着た人がやけに多い。中にはスペインの国旗を羽織っている人もいる。なるほど、今日はオリンピックのサッカー試合がある日なのか。賑やかな夜になりそうである。……と言っても、早い時間に寝る巡礼者にはあまり関係が無い事なのだが。 アルベルゲにまで戻ってくると、サン・マルコス修道院の教会の扉が開いており、数人の人々がその中へ入って行くのが見えた。おっと、もうミサが始まる時間か。私は慌ててアルベルゲの階段を上がると、途中のパン屋で買ったパンを食料袋に詰め込み、再び階段を下って教会へ急いだ。 ここは修道院という事もあり、ミサに参列するシスターさんの数が多い。ミサはいつもと同じように始まったが、途中でシスターさんが祈りの言葉を述べたり、讃美歌を歌ったりと、普通の教会のミサとは若干違った部分もあった。 ミサに参列した後は夕食である。サン・マルコス修道院のアルベルゲにはコンロが無く、火を使う事ができないので全て出来合いのものだ。 どうも私の巡礼生活は、スパゲティやワインのつまみになるような食事ばかりである。圧倒的に野菜が不足しているような気がしたので、ここぞとばかりにサラダを食べてみた。大きな町のスーパーには、袋詰めの野菜ミックスがあるのがありがたい。値段も1ユーロくらいなので、非常にリーズナブルである。 一人でもくもくサラダを突っついていると、同じくキッチンで食事していた女性巡礼者がチョコレートをくれた。私はお礼を言って受け取り、食後のデザートとさせて頂く。甘い中にもほんのり苦みのある、実においしいチョコレートであった。 Tweet |