朝5時に誰かの時計のアラームが鳴り響き、私は他の巡礼者共々強制的に起こされた。そのまま寝続けようと試みたものの、時計の持ち主はその場を離れているのか一向に鳴り止む気配が無い。私はやや苛立ちながら立ち上がり、 腕をポリポリと掻きつつトイレへと向かった。……ん、なんだろう、この腕の痒さは。廊下のライトに照らして見ると、右手の甲に点々と虫刺されのような赤い痕ができているではないか。蚊にでも食われたのだろうか。 このアルベルゲは簡単な朝食が出る宿であった。私は大勢の巡礼客でごった返すキッチンでコーヒーとパンを頂く。食後に玄関へ出てみると、そこには日本人らしき年配のご夫婦と、同じく年配の男性が話し込んでいた。その会話に耳を傾けると……おぉ、日本語である。私はこのお三方と「おはようございます」と挨拶を交わした。 そのまま四人での会話となり、様々な情報を教えて頂く事ができた。どうやらこのレオンは巡礼路最後の大都会であり、ここから先はサンティアゴに到着するまで大きな町が無いようである。またブルゴスから続いてきた真っ平らなメセタの台地はこれまでとなり、レオンから先は山の多い道へと変わるらしい。ついでに今朝から腕が妙に痒い事を愚痴ると、ご夫婦では無い方の男性Iさんが日本から持参してきた虫指され用の痒み止めを貸してくれた。有難し。 しばらく日本人同士で話が弾み、私が宿を出たのは7時半頃であった。どんよりとした曇り空の下、カテドラルを横目にレオンの町を北西へと抜ける。旧市街の出口にあたる場所には、かつて救護院として巡礼者に一夜の宿を貸していたというサン・マルコス修道院が鎮座していた。 現存するサン・マルコス修道院は、16世紀にプラテレスコ様式(スペイン風ルネサンス様式)で再建されたあまりに壮大な建物で、昨日見学したレオン大聖堂やサン・イシドロ教会と共に、レオンを代表する歴史的建造物として知られている。 かつては救護院として巡礼者に開かれていたのであろうサン・マルコス修道院も、今では立派なパラドールである。私のような貧乏巡礼者には縁の無い天上の存在だ。サント・ドミンゴのカテドラル前にあった元救護院も現在はパラドールになっていたし、あぁ、なんと切ない世の中になったのだろう。 パラドールに泊まる財力が無い事への恨みつらみを嘆きながらふとiPhoneを見やると、なんとフリーのWi-Fiが飛んでいるではないか。どうやらそれはパラドールから出ているようである。私は「いやっほぅ! パラドール万歳!」とネットに勤しむ。さすがは国営ホテル、太っ腹である。このような形で門戸を開いてくれるとは。 レオンは巡礼路有数の大都会なだけあって、旧市街を出てからもずっと町が続いている。てくてくと町中を歩いて行くと、ちょうど開店したばかりのスーパーが目に留まったのでそこで食料を購入した。ついつい缶ビールにも手が伸びてしまったが、まぁ、それはご愛嬌というものである。 レオンの町から連続するトロバホ・デル・カミーノ(Trobajo del Camino)の町を通り過ぎ、そのまま坂道を上って行く。土葺き住宅が密集する地帯を抜けると、その右手にレオン空港の建物が見えた。 そのままアスファルトの道を進んで行くと、親子の巡礼者がベンチに座って休憩を取っていた。見覚えのある癖っ毛の頭は、カリオンを出た巡礼路上で初めて会い、テラディージョスのアルベルゲでも一緒になった、軽度の障害を持つ少年とそのお母さんである。 数日間会っていなかったが、少年は私の顔を覚えていたらしく「ハイ」と英語で挨拶してくれた。見知った顔が順調に進んでいるのを見ると、安心すると共に私も歩かねばとやる気が出る。私は彼らと別れ、意気軒昂と巡礼路を進んで行った。 レオン空港の最寄町であるラ・ビルヘンは、まだまだレオンの郊外といった雰囲気の町である。巡礼路上では極めて稀なモダニズム建築の教会を持ち、その内部の一室では巡礼手帳にスタンプを押して頂く事ができた。 教会前のベンチに座りながら、レオンのスーパーで買っておいた缶ビールを開けて一息入れる。最近はすっかりビールが歩く為の燃料となっている。完全なる酔いどれ巡礼だ。そのうち脱水症状になったりとか手痛いしっぺ返しを食らいそうな気もするが、いやはや、しかし巡礼路上でのビールは止められるものではない。 ビールを飲み終えて教会を後にした私は、突如として現れた道の分岐に少々面食らった。このまま真っ直ぐに行くか、左に曲がるかの二択である。左の道は未舗装路で雰囲気が良い感じがしたものの、手持ちの地図には直進のルートが記されていたので、私はそのまま真っ直ぐ行く事にした。 ちなみにこれも後から知った事ではあるが、直進ルートは国道沿いだが経由する集落が多く距離も短い道で、左のルートは遠回りになり経由する集落も少ないが、幹線道路から外れる静かなルートだったようである。 このインターチェンジの高架下にもしつこく左ルートに分岐する案内があり、私はそちらにつられそうになったものの、道の雰囲気が何か妙な事に気が付き、引き返して直進ルートに進む事ができた。 前のサアグンでの分岐もそうだったが、どうもこのルート分岐には双方における経由地同士の思惑が絡んでいる気がしてならない。巡礼者という金づるを我が村へ導こうという、いささかの作為が感じられるのだ。既に書かれている矢印を消してみたり、分岐の先にさらに分岐を作ってみたり。う〜ん、これで良いのか、サンティアゴ巡礼路。 私はただひたすらに国道沿いを歩き、次の村を目指す。ここまでくると都会という雰囲気も薄くなり、巡礼路の雰囲気が戻ってくる。天気も徐々に良くなってきた。 バルベルデ・デ・ラ・ビルヘン(Valverde de la Virgen)という村の手前では、ヒッチハイクをする巡礼者の姿があった。逆方向の車に向かって指を上げていたので、レオンに戻りたいようである。アルベルゲに忘れ物でもしたのだろうか。巡礼路上でヒッチハイカーを見かけたのは、これが最初で最後であった。 その次のサン・ミゲル・デル・カミーノ(San Migel del Camino)には正午ちょうどに到着した。村の中心広場のベンチに腰掛けて昼食とする。パンをかじっているうちに空はすっきりと晴れ、日差しが肌を突き刺す程に強まっていた。ここまで暑さを感じる日は、随分久方ぶりである。いや、これまでが涼しすぎたのだろう。 私は汗を流しながら巡礼路を行く。人工物の多い車道沿いの道は景観としてはあまり面白くは無いものの、ちょっとしたオブジェや大きなトカゲとの遭遇などもあり、悪い気分ではなかった。路上で見かける巡礼者の数がやけに少ないのが気になったが、まぁ、道の分岐によってバラけただけだろう。 14時に次の村ビジャダンゴス・デル・パラモ(Villadangos del Paramo)に到着した。村の入口には大きな庭を持つ公営アルベルゲが建っていたが、いまいちピンと来なかったのでこの村では休憩を取るのみとし、次の村へ向かう事にした。 ポプラの綿毛が舞う林の道はなかなかに気持ちの良いものである。しばらく続いてくれると嬉しかったのだが、残念ながら林はすぐに終わり再び車道と合流した。とは言え、路肩には水路が通り、ポピーも咲いていて意外とゴキゲンである。 そんな道を歩きつつ、ビジャダンゴスを出てから一時間程でサン・マルティン・デル・カミーノ(San Martin del Camino)に到着した。ここもまた国道沿いに家屋が並ぶ村である。村の入口には私営アルベルゲがあり、敷地の前に一頭の馬が繋がれていた。 最初は客引きの為に繋がれている宿の馬かと思ったが、その背中には巡礼の荷物が載せられていた。きっと巡礼者の馬なのだろう。 昔は馬が主要な交通手段であり、サンティアゴ巡礼も馬に乗って行く人が多かったという。今もなお馬で巡礼に出る人がいるらしいとは話に聞いていたものの、まさか実際に目にする事ができるとは。私は驚きを覚えつつ、巡礼馬を見る事ができて嬉しく思った。 次の村までは少々距離があったので、今日はこの村に泊まる事とした。私は給水塔の側に位置する公営アルベルゲへと入り、宿泊費5ユーロを払って受付を済ます。オスピタリエに巡礼の出発地点を聞かれたので「ル・ピュイ」と答えたが、オスピタリエはル・ピュイという地名を知らなかったらしく何度も聞き返された。しょうがないので私は「フランシア(スペイン語でフランスの意)」と答え、帳簿にも“Francia”とだけ記された。 水仕事を終えた後は買い物に行こうと思ったが、村唯一の雑貨屋はシエスタ中で閉まっていた。しょうがないのでアルベルゲに併設されているバルでビールを注文する。1.4ユーロと割高であるが、まぁ、致し方ない。 ビールを飲み終えた後は、村をぶらぶらしつつ時間を潰した。夕方になるとようやく雑貨屋が開いたので、ワインとビール、それと桃缶を購入した。アルベルゲの近くに小さなパン屋があり、そこでバゲットを買おうと思ったものの、扉には鍵が掛かっていて入る事ができない。扉の張り紙を見るに、どうやらインターホンを押すと店の人が出てきてくれる仕組みらしい。ポチっとそのインターホンを押すと、中学生くらいの少年が出てきてパンを売ってくれた。学校から帰ってきた後に、店の手伝いをしているのだろう。 ここのアルベルゲはキッチンがあるにはあるものの、使用は1ユーロと有料で、なおかつコンロが二口しかなく、他の家族連れが先に使っていたので諦めた。今日もまた火を使わない出来合いのメニューである。ワインは地元カスティーリャ・イ・レオン州のものだったが、私としてはリオハの方が好みであった。まぁ、これも十分においしかったのだが、やはりリオハ・ワインは頭一つ抜けてる感じがする。 食後にビールを一本追加して良い気分に浸ってはいたものの、私はどうも腕の虫刺されが気になっていた。痒みは朝からずっと続いており、虫刺されの数も減るどころかさらに増えているような気さえする。これは、いや、まさか……。私は頭によぎった不吉な予感を振り払うべくビールを飲み干し、ベッドへ向かった。 Tweet |