概要 | |
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保有国 | インド |
記載年 | 1993年 |
該当登録基準 | (2)(4)−文化遺産 |
構成資産 |
フマユーン廟,イサ・カーン廟,ブハリマ廟, アフサーワラ廟,アフサーワラ・モスク,アラブ・サライ |
フマユーン廟は、インドに栄えたイスラーム王朝、ムガル帝国の第2代皇帝フマユーンの墓である。
フマユーンの死後その王妃が建設を指示し、王の死後から9年後の1565年に完成させたものだ。
現在、デリーのハザラート・ニザームウッディーン駅の側の公園内にたたずむその廟は、
赤砂岩の赤色を基調に、白い大理石で飾られた外壁や天井のドームが良く栄えている。
それはまさに芸術と言えるイスラーム建築の傑作であると言えるだろう。
西から来たムガル帝国の廟らしくペルシャの様式をふんだんに取り入れたその建築様式は、
後にムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン1世が建てた
タージ・マハルにも大きな影響を与えた。
ムガル帝国の初代皇帝バーブルは、1526年にデリー、アーグラを中心としたインド北部の支配を開始した。 しかしバーブルは在位わずか4年、国の基盤を固める間もなく没してしまう。 その後バーブルの長男フマユーンがバーブルの後を継いで第2代皇帝となる。 しかし、フマユーンはムガル帝国を立ち上げたバーブルほどの政治的手腕は無かった。 フマユーンは無謀な遠征で領土拡大を図るものの失敗、 逆に、東インドに興ったシェール・シャー率いるスール王朝によって攻撃されてしまう。 一時期はインドを捨て逃亡したこともあった。 その後はスール王朝の衰退などの影響もあり再び北インドを取り戻すことができ、帝国は復活する。 しかし、1556年、フマユーンが都城としていたデリーのプラーナ・キラー内、 その図書館の階段から転落し、その怪我が元で死亡してしまった。 転落したその時、フマユーンは麻薬で酩酊状態だったという。 そんなフマユーンの眠るフマユーン廟は、一辺47.5mの基壇の上に立つ左右対称の巨大建造物である。 フマユーン廟は、ペルシャから伝えられたチャハールバーグ(四分庭園)と呼ばれる正方形の庭園の中央に建っており、 実際この庭園はペルシャ人が設計したものであるという。 また、フマユーン廟は東西南北どの方向から見ても全く同じ光景に見えるようにデザインされている。 これはジャイナ教寺院の四面堂の影響を受けてのものだという。 廟の中央には白いたまねぎのようなドームが据えられているが、 このドームは二重になっており、外部から見えるドームの内側にはもう一つのドームがある。 内部から天井を仰いだときに見えるドームは、この内側のドームなのである。 また、廟の入り口はイーワーンと呼ばれるアーチ天井の門となっている。 このイーワーンはペルシャにルーツがあり、中央アジアのモスクなどイスラーム建築に使われているものだ。 ただし、オリジナルのイーワーンは建物を囲う門として使われるのに対し、 ここでは建築物そのものにイーワーンが用いられている。 イーワーンから廟内部に入るとその中央には大理石でできた棺がある。 しかしこの棺はセノターフと呼ばれるダミーの模棺であり、 本物の棺はこのセノターフの真下に安置されている。 このセノターフもまたペルシャから伝えられてきたものである。 廟の窓は格子スクリーン(透かし彫り)であり、そこから光が入り込むため内部は明るい。 |
旅行情報 | |
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所在地 | デリー |
アクセス | ニューデリー駅よりバスで30分 |
必要見学時間 | 3時間 |
フマユーン廟は、ニューデリーの中心であるコンノートプレイスから南東に行ったエリア、
ハザラート・ニザームウッディーン駅の側にある。
バスはニューデリー駅の西側、メインバザールの前から出ている181番バスなどが
ハザラート・ニザームウッディーン駅まで行くため、それを利用すると良い。
ただし、この市バスはあちらこちらをぐるぐる回るためやや時間がかかる。
時間がない場合や、市バスは面倒だと思う人は、オートリキシャ(三輪タクシー)を利用すると良い。
ただし、デリーのリキシャは悪質なドライバーも多く、金交渉に戸惑うことが多い。
最悪別の場所に連れて行かれてしまう場合もある。
地図などを用意し、本当に目的地に行っているかどうか確かめながら乗る必要があるだろう。 フマユーン廟は公園として整備されており、 フマユーン廟の他にもいくつかの廟や門、モスク、遺跡などが世界遺産となっている。 時間があるならフマユーン廟だけでなくそれらもぜひ見ておきたい。 また、フマユーン廟のすぐ側にはニザームウッディーン・アウリアー廟というイスラームの聖者廟がある。 きれいな公園であり入場料を払わないと入れないフマユーン廟とは違い、 こちらは雑然としたイスラーム教徒居住区の中にあり、数多くの参拝者を見ることができる。 参詣道の両脇には数多くの店が立ち並んでおり、その活気はすさまじいほどだ。 観光地であるフマユーン廟と現在も信者が絶えないニザームウッディーン・アウリアー廟、 それらを対比しながら見学しても面白いだろう。 フマユーン廟から北に2〜3km行ったところには、プラーナ・キラーという城がある。 ここはフマユーンが都城として利用していた城であり、 フマユーンが転落し死亡するに至った場所でもある。 現在は石造りの巨大な城壁、フマユーンが転落し死亡した図書館であるシェール・マンデルやモスクなど、 限られた建造物しか残されてはいないが、現地の人々の絶好のピクニックスポットとなっており、 休日には家族連れやカップルなどで非常ににぎわっている。 フマユーン廟を見た後、もしくは見る前に訪れてみるのも良いだろう。 (2005年2月 訪問)
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