概要 | |
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保有国 | インド |
記載年 | 1983年 |
該当登録基準 | (1)−文化遺産 |
構成資産 |
タージ・マハル,チャハールバーグ(四分庭園), 正門,モスクおよび迎賓館など |
タージ・マハルは、世界で最も美しい「墓」である。
マハルとはヒンディー語で宮殿という意味であるが、タージ・マハルのマハルはその意味ではない。
タージ・マハルに眠るのは、イスラーム王朝ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーン1世の妃、ムムターズ・マハル。
タージ・マハルのマハルとは、このムムターズ・マハルの名から付けられた名なのである。 シャー・ジャハーン最愛の妻、ムムターズ・マハルは1631年に死亡した。 その死を嘆き、悲しんだシャー・ジャハーンは、妻への多大なる愛を表現するため、 いまだかつてないほど豪華な墓廟の建設を開始した。 その頃最盛期を迎えていたムガル帝国の国力・財力を惜しみなくつぎ込み、 1000頭ものの象を使ってインド中から膨大な量の大理石を集め、また世界各地からは宝石を集め、 それらを2万人もの職人が腕を揮い、総白大理石のタージ・マハルは造られた。 完成したのは1653年。ムムターズ・マハルが死亡してから、建設が開始されてから、遥か22年後のことである。 しかしシャー・ジャハーンは、タージ・マハルの完成だけで満足することはなかった。 シャー・ジャハーンはヤムナー川を挟んだタージ・マハルの対岸に、 タージ・マハルと同じ形を持つ総黒大理石の墓を自分用に作り、 その自分の墓とタージ・マハルを橋で結ぼうと考えていた。 しかし、いくらその頃最盛期を迎えていたムガル帝国とはいえ、 タージ・マハルを始めとした度重なる建築事業は財政を直撃しないはずが無い。 タージ・マハルが完成した頃には、国の財政は既に底を尽いていたという。 シャー・ジャハーンは黒大理石造りの自分の墓を着工することなく、 息子のアウラングゼーブ・アーラムギルに帝位を追われ、 アーグラ城塞のムサンマン・ブルジ(囚われの塔)に幽閉されてしまった。 晩年、シャー・ジャハーンは囚われの塔から見えるタージ・マハルを毎日眺めながら、 亡き妻のことを思い涙を流して過ごしたという。 タージ・マハルはインド・イスラーム建築の傑作である。 その様式はデリーにあるムガル帝国代2代皇帝フマユーンの墓、 フマユーン廟を元にしたものだ。 総白大理石、白亜の墓廟の中央には、高さ26mものの巨大な玉ねぎ型のドームが据えられており、 それはまさにタージ・マハルのシンボルであるとも言える。 ドームの周囲には、いくつかの柱がドーム屋根を支える「チャトリ」と呼ばれる小亭が並ぶが、 これはインド・イスラーム建築に見られる最も印象深い特徴であり、 チャトリはファテープル・シークリーなど、 インドにある様々なイスラーム建築に見ることができる。 タージの元となったフマユーン廟同様、 墓廟の入口はペルシャ由来のアーチ天井の門、イーワーンとなっており、 その壁面には宝石をはめ込むことによって作られたコーランのアラビア文字や草花模様が描かれている。 また、廟の周囲四方には4本のミナレット(塔)が建てられている。 ミナレットはそもそも、モスクに付属する祈りを呼びかける為の塔であるが、 タージ・マハルのミナレットは墓廟を装飾する目的で建てられている。 通常のモスクにあるミナレットが2本であるのに対し、 タージのミナレットが4本あるのも墓廟の外見を安定感あるものにするためだ。 他のインド・イスラーム建築同様、タージ・マハルにも四分庭園(チャハール・バーグ)がある。 デリーのフマユーン廟に見られるように、通常建物はチャハール・バーグの中央に位置するのに対し、 タージ・マハルではチャハール・バーグの奥に廟が位置している。 これもまた、タージ・マハルをより美しく見させるためのものであるという。 タージ・マハルの廟内部は見事な格子スクリーンの窓に囲われており、中央には棺がある。 他のムガル帝国の廟と同様、この棺はセノターフというダミーの模棺であり、 本物の棺はセノターフの真下、人の目のつかない場所に安置されている。 なお、タージ・マハルの内部には棺が二つある。 その一つは当然タージ・マハルの主ムムターズ・マハルのものであるが、 もう一つはタージ・マハルを建造したシャー・ジャハーンのものである。 シャー・ジャハーンは黒大理石の自分の廟を建てる夢は叶わなかったものの、 今でも最愛の妻の横に眠っているのである。 |
旅行情報 | |
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所在地 | ウッタル・プラデーシュ州 アーグラー市内 |
アクセス | アーグラー中心部(タージ・ガンジ)より徒歩5分 |
必要見学時間 | 3時間 |
タージ・マハルはいわずと知れた世界に名だたる名建築であるが、
ということは当然ながらインド最大の観光地でもある。
毎日もの凄い数の観光客が訪れ、タージ・マハルは人でごった返す。
また外国人入場料もインドの物価からするとべらぼうに高く、
その値段は米ドルに直しておよそ15ドルである。
入場料が遺跡の保護に役立つというのならば決して高くはないと思うが、
それでもその入場料をムダにしないためにも効率的にタージ・マハルを見学したい。 タージ・マハルを訪れるのは断然朝がオススメである。 それもタージ・マハルが開門する6時ちょうどに入るのが良い。 早朝は人が少ないためゆったりと見学することができ、また全景写真も撮りやすい。 また1月から2月にかけて北インドでは早朝に霧が発生するので、 霧の中に浮かぶ幻想的なタージ・マハルの姿を見ることもできる。 霊廟の基壇に上がるには靴を脱いで裸足にならなければならないが、 大理石は熱を持ち易く、昼間は足の裏が焼けどするほどの熱さになる。 早朝ならば熱い大理石を歩く必要も無くなる。 また、夜のタージ・マハルも幻想的な姿を見せる。 夜にタージ・マハルに入場することはできないが、 タージ・マハルの南側にある安宿街「タージ・ガンジ」では、 屋上レストランなどからタージ・マハルを眺めることができる宿も多い。 タージ・マハルの敷地内は、俗世界を離れた極めて神聖な雰囲気を持つが、 タージ・ガンジは混沌としたインドの町そのものである。 タージ・ガンジの宿屋上から見るタージ・マハルは、ごみごみした”現実の”街越しに見るものであり、 タージ・マハルを敷地内で眺めるのとはまた違う雰囲気を味わうことができるだろう。 アーグラには、タージ・マハルの他にも様々な見所がある。 その中でも、特にタージ・マハルに近いのがアーグラ城塞だ。 タージ・マハルを作ったシャー・ジャハーンが晩年幽閉されたムサンマン・ブルジ(囚われの塔)他、 様々なムガル帝国のインド・イスラーム建築を見ることができる。 また、アーグラからバスで南西に約40km行ったところには、 ムガル帝国第3代皇帝アクバル1世が作り上げた都、 ファテープル・シークリーがある。 いずれもタージ・マハルとはまた違った趣のあるインド・イスラーム建築であり、 アーグラへ来たのならぜひ見ておきたい場所でもある。 (2005年2月 訪問)
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