仙北市角館

―仙北市角館―
せんぼくしかくのだて

秋田県仙北市
重要伝統的建造物群保存地区 1976年選定 約6.9ヘクタール


 秋田県の中央部東よりに位置する角館は、江戸時代初期に久保田藩(秋田藩)の支藩が置かれて以降、仙北郡の中心地として発展した町である。その計画的に整備された城下町の町割は今もほぼそのままに残されており、特に上級武士や中級武士の屋敷が集まっていた界隈は、武家町の特徴を色濃く残している地域として、1976年、京都の産寧坂や長野県の妻籠宿と共に、初の重要伝統的建造物群保存地区に選定された。




黒板塀が印象的な角館武家町

 常陸の大名であった佐竹氏は、関ヶ原の戦いの後に出羽国久保田(現在の秋田県秋田市)へ転封され、そこで久保田藩を立ち上げる。久保田藩初代藩主となった佐竹義宣(さたけよしのぶ)は、大館や横手、湯沢といった周辺の要所に一族家臣を配置し、統治にあたった。角館もこれら同様要所とされた場所であり、義宣は弟である蘆名義勝(あしなよしひろ)を角館に送る。義勝は角館に城を築き、その城下町として角館を整備した。




立派な薬医門を持ち、敷地内に蔵が建ち並ぶ青柳家住宅

 義勝は城下町のほぼ中心部(現在の仙北市角館庁舎付近)に火災防止のための火除け土塁を築き、その北側を内町(うちまち)として武家町に、その南側を外町(とまち)として商人町や寺社に割り当てた。今もこの武家町、商人町という町の構成は変わっておらず、角館の町を南から北へと歩いていくと、火除け地跡を境として突然町並みが緑溢れる武家町へとがらりと変わる。




幅の広い道に沿って背の高い木々が茂る

 角館の武家町は、広々とした道の両側に連なる武家屋敷の黒板塀や門、それに敷地内に生い茂る背の高い木々が印象的だ。そのゆったりとした町並みは、建物が密集して建ち並ぶ外町の光景とは非常に対照的。なお、道の幅が広いのは火除け地の土塁同様防火のためであり、また、表町と東勝楽丁の間にはクランク状の枡形が設けられいるが、これは防衛のためわざと見通しを利かなくしているものである。




石黒家主家
正面の玄関は身分の高い者専用の入口だ

 角館ではバライティ溢れる武家屋敷を見ることができる。その代表格、中級武士の屋敷である青柳家には、重厚な薬医門が立っている。通常、このような格の高い門は上級武士にしか許されないのだが、これは青柳家の功績を認めた藩が特別に許可したものだという。また、青柳家の北隣には石黒家がある。その藁葺き屋根の主家は、角館に現存する最も古い武家屋敷建築である。他にも、典型的な中級武士の屋敷の間取りを見せる岩橋家、下級武士の屋敷である松本家など、様々な武家屋敷が並んでいる。




黄葉が美しい秋のシダレザクラ

 角館の町並みが最も美しい眺めを見せるのは春である。角館全体には約400本もののシダレザクラが植えられており、そのうち藩政時代に植えられた古木152本が国の天然記念物に指定されている。5月の初めにはこれらのシダレザクラが白や薄紅色の可憐な花を咲かせ、武家町を華やかに彩ることとなる。なお、これらのシダレザクラは角館所預、佐竹義隣(さたけよしちか)の嫡子である義明(よしはる)の妻が、京都の生家より持参した3本の苗を、明暦2(1656)年頃に植えたのが始まりであるとされる。

2008年11月訪問




【アクセス】

JR田沢湖線「角館駅」より徒歩約15分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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