―南木曾町妻籠宿―
なぎそまちつまごしゅく
長野県南木曾町 重要伝統的建造物群保存地区 1976年選定 約1245.4ヘクタール 山深い木曾谷を縦断し、美濃と信濃を繋いでいる木曾路。妻籠宿はその木曾路の南端近く、妻籠峠を越えたその先に設けられた宿場町である。江戸時代に入ると木曾路は中山道の一部として整備され、妻籠宿もまた中山道42番目の宿場町となり賑わった。現在もなお妻籠には江戸時代の宿場の町並みが良好に残っており、かつての姿を今に伝えている。 明治時代、交通の近代化に伴い中山道が再整備されることになった。妻籠はこの新たに作られた国道、鉄道の両ルートから外されてしまい、宿場としての機能を失い著しく衰退する。しかし幸いなことに、それゆえ近代化の波にさらされることなく、江戸時代の町並みを保ち続けることができた。 昭和となり高度経済成長期に突入すると、開発という名の元に各地の伝統的な町並みは次々と壊されていった。その真っ只中の昭和46年、妻籠の人々は宿場を構成する町家に対し「売らない、貸さない、壊さない」の三原則を立て、町並みの保存活動を開始する。これが日本の町並み保護の意識を高め、重要伝統的建造物群保存地区の制度が始まるきっかけとなった。 妻籠宿は恋野、下町、中町、上町、寺下、尾又の6地区からなる。このうち宿場の中心であったのは中町だ。中町には本陣や脇本陣が置かれ、問屋なども集まっていた。一方、寺下は光徳寺の門前町としての機能を持ち、妻籠の中でも特に古い町並みが残っていたため最も初めに町並みの整備がなされた地区でもある。また、寺下と上町との境には枡形の跡も残っている。 妻籠の町家は切妻平入、出梁(だしばり)造のものが多い。出梁造は二階部分を道へ少し張り出した形式のもので、木曾谷の宿場でよく目にすることができる様式だ。また一階部分には、細い縦長の格子で組んだ竪繁(たてしげ)格子がはめられている。現在、屋根は鉄板葺きのものがほとんどだが、元は石置の板葺き屋根が普通であった。他には袖卯建などが見られる家もある。 妻籠宿重伝建の選定範囲は1245.4ヘクタールと他に類を見ないほど広範囲に渡る。それには妻籠宿のみならず、少し離れた大妻籠、周辺に点在する在郷集落、さらには旧中山道や背後の山林までも含まれる。これは、宿場の町並みを周囲の自然環境と一体とみなして保護しようというもので、あくまで町並みのみの選定にとどまる重伝建が多い中、町並み保存の先駆者にふさわしい理想的な町並み保存を実践している。 2007年12月訪問
2014年05月再訪問
【アクセス】
JR中央本線「南木曽駅」からおんたけ交通バス「馬籠行き」または「保神行き」で約7分「妻籠バス停」下車、徒歩約5分。 JR中央本線「南木曽駅」から徒歩約1時間。 【拝観情報】
町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 ・塩尻市木曾平沢(重要伝統的建造物群保存地区) ・塩尻市奈良井(重要伝統的建造物群保存地区) ・恵那市岩村町本通り(重要伝統的建造物群保存地区) Tweet |