―恵那市岩村町本通り―
えなしいわむらちょうほんどうり
岐阜県恵那市 重要伝統的建造物群保存地区 1998年選定 約14.6ヘクタール 木曾谷の南、岐阜県東部に恵那市岩村町はある。ここは美濃と信州、そして三河の国境に位置する要所として古くより岩村城が置かれ、戦国時代には織田と武田により争奪戦が行われた。関ケ原の合戦後、松平家乗が初代岩村藩主として入城、城より西に流れる岩村川沿いの本通りに城下町を整備した。その城下町を含む、約1.3kmに渡る本通り沿いの町並みが、重伝建に選定されている。 岩村の町並みは、大きく本町と新町に分けることができる。本町は旧城下町時代に作られた町人地であり、新町は明治時代以降に発展した比較的新しい町である。そのうちの本町の中で、最も城側に位置している本町一丁目、二丁目はかつて職人町。そこより少し西に下る本町三丁目は、商人の町であった。 商人町の家屋は切妻、平入りで桟瓦葺きが一般的。二階には格子戸がはめられているものが多く、厨子二階建てのものも見られる。また、本町四丁目には江戸時代に建てられた木村邸がある。国の有形文化財にも指定されている木村邸は、岩村城下の問屋であった。敷地内には今もなお立派な建物が複数残り、裏手にはなまこ壁の蔵を見ることができる。 本町(旧城下町)の西端にはクランク状に折れ曲がる桝形がある。ここから西の町並みが新町だ。新町は江戸末期より徐々に形作られていき、特に岩村電気軌道が開通した明治39(1906)年からは、より駅に近い地域として発展した。それゆえ本町の家屋は二階が高い一般的な明治以降の造りとなっている。 城下町として東濃地方の政治経済、文化の中心であった岩村は、明治に入って新たに定められた新中山道より外されてしまい、衰退してしまう。そこで廃れつつあった岩村に新たな道を開くべく、岩村出身の衆議院議員、浅見與一右衛門が通したのがその岩村電気軌道だ。そして今、岩村は昔ながらの家屋を多く残しながら、商店街としても現役で使われているという生きた町並みを留めている。 岩村城は全国の山城の中でも最も高い海抜721mに位置しており、日本三大山城の一つにも数えられている。岩村城で最も有名な話といえば、おつやの方こと修理夫人であろう。織田信長の叔母にあたる修理は、夫の病死後に岩村城の女城主となる。しかし武田の秋山晴近に攻め込まれ、養子に家督を相続させることを条件に晴近と結婚。それが信長の怒りを買って攻め込まれ、修理は晴近と共に処刑された。 2007年12月訪問
2010年02月再訪問
【アクセス】
明知鉄道明知線「岩村駅」から徒歩約10分。 【拝観情報】
町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 ・塩尻市木曾平沢(重要伝統的建造物群保存地区) ・塩尻市奈良井(重要伝統的建造物群保存地区) ・南木曾町妻籠宿(重要伝統的建造物群保存地区) Tweet |