石見銀山遺跡とその文化的景観

石見銀山遺跡とその文化的景観

概要
保有国 日本国
記載年 2007年
該当登録基準 (2)(3)(5)−文化遺産(文化的景観
構成資産 石見銀山遺跡(銀山柵内)、大森銀山の町並み温泉津の町並み、沖泊、鞆ヶ浦、石見城跡、矢筈城跡、矢滝城跡、石見銀山街道(鞆ヶ浦道、温泉津沖泊道)
 「石見銀山遺跡とその文化的景観」は、 16世紀から20世紀に渡って銀などの採掘が行われていた 石見銀山およびその周辺に残る関連遺構群から成る鉱山遺跡群である。 現在も良好な状態で残るその遺構群は、銀の採掘から精錬、 搬出までの全プロセスを示すものとして極めて貴重である。 これらの遺構は大きく分けて、柵内と呼ばれる石見銀山遺跡、 鉱山町として栄えた大森の町並み、沖泊や鞆ヶ浦などの港湾遺構、 そして石見銀山と港湾を繋ぐ石見銀山街道に分けられる。

 石見銀山が発見されたのは14世紀のことであるという。 1526年、博多商人の神谷寿亭によって銀鉱石が採掘され、 その後良質な銀の精錬に成功。本格的な採掘が開始された。 戦国時代には石見銀山の銀を巡って大内氏、尼子氏、毛利氏らが争い、 また江戸時代には幕府の直轄地となった。 江戸時代初期は特に銀の採掘量が著しく、 鉱山町は江戸を上回る人口密度で賑わったほどだったと伝えられている。 しかし、銀の採掘量は徐々に減少、1872年に起きた地震により多くの間歩が水没、 休山となった。

 石見銀山に繁栄をもたらしたのは、 中国から伝わった東アジアの伝統的精製法「灰吹法(はいふきほう)」であった。 前述の神谷寿亭が連れてきた技術者によって石見銀山は日本で初めて灰吹法を導入、 現地による良質な銀の大量生産が可能となった。 その後、瞬く間に灰吹法は日本の各鉱山に広まり、各地で次々と銀の生産が行われていった。 それら日本産の良質な銀は、世界にも影響を与えていく。 銀は中国や朝鮮へと流れ、大航海時代を迎えていた欧米人たちはその銀を求め東アジアにやってきた。 この当時、世界に流通していた銀の3分の1が日本産、その大部分が石見産であったという。

 石見銀山へ続く谷筋に沿って、伝統的家屋の町並みが残されている。 銀山の発展と共に栄えた鉱山町、大森である。 山陰地方独特の光沢のある赤い石州瓦が印象的な現在の町並みは、 1800年に起きた大火の後の再建により作られたものだ。 また、かつての大森は、銀山百ヶ寺と呼ばれるほど多くの寺社が存在していた。 それを代表する羅漢寺の石窟には、500体もの羅漢坐像が安置されている。 これは、銀山の過酷な労働で亡くなった、 鉱夫たちの霊を慰めるために作られたものであるという。

 複雑なリアス式海岸を持つ石見銀山近辺の海岸は、 深い入り江を持つ天然の良港として昔から利用されてきた。 石見銀山街道を通じて銀山から運ばれてきた銀は、 これらの港から積み出され、日本各地や海外へと運ばれていったという。 今でも沖泊や鞆ヶ浦といった当時からの港では、 「ぐり岩」と呼ばれる船を繋留するためにロープを通す、人工の穴を見ることができる。 また、沖泊に程近い温泉津(ゆのつ)の町は、銀の積み出し港であったのと共に、 良質な湯の沸く温泉町として栄えていた。 今もなおその源泉は枯れること無く人々の体を癒している。

旅行情報
所在地 島根 大田市
アクセス 大田駅よりバスで30分
仁摩駅よりバスで15分
必要見学時間 2日〜4日
 石見銀山遺跡は非常に多様な要素によって構成されている。 それゆえ、石見銀山街道を含む全ての要素を回ろうとすると、多くの時間を要することになる。 大森を中心に、要所だけを見学するならば1日でも可能だが、 石見銀山は銀の生産から流通までのプロセスを示す多様な遺構群が残ることが重要な遺跡。 時間が許す限り、できるだけ様々な遺構を見ておきたい。 また、石見銀山遺跡の真価は、その銀が国内外に与えた影響、精錬技術の伝播などにある。 それゆえ、現地を表面的に見学しただけでは分からないことも多い。 事前学習や資料館などによる知識の補填は必須だろう。

 石見銀山見学のハイライトは、大森から龍源寺間歩までの道のりだ。 大森の入口にある大森代官所(石見銀山資料館)から始まる その赤い石州瓦の町並みは、羅漢寺の辺りまで続く。 どこか懐かしいレトロな雰囲気の残るその町並みでは、鉱山町の情緒を楽しみたい。 特に大森最大の商家であった熊谷家(重要文化財)は、 内部公開されており見ごたえがある。

 大森の町並みを過ぎるとそこは石見銀山柵内だ。 ここからは様々な鉱山遺構、間歩の入口などを見ることができる。 それらは道から少し外れた場所にあることも多いので、 積極的に寄り道することが必要だ。見所が書かれた地図も欲しい。 また、銀山柵内の遺構はその全てが見学可能とは限らない。 間歩で言えば、内部が公開されているものは現在龍源寺間歩のみで、 その他の間歩には入ることはできない (大久保間歩、釜屋間歩は2007年夏〜秋に公開予定)。

 石見銀山から港へ伸びる二本の石見銀山街道は、 整備されていない場所も多く、中には獣道のような場所もある。 もし銀山街道を歩こうとするなら、山登りと同等の服装で、 詳しい地図もしくは慣れた人の案内のもと行く必要がある。 また、山城遺構へ行く場合も山道を歩くこととなるので、 動き易い服装や靴を履いて行くべきである。

 鞆ヶ浦や沖泊の港湾遺構は、現在も人々が住む港湾集落の中にある。 見学の際は住民の方々の迷惑にならないよう、節度を持って静かに行動すること。 住民の暮らしを第一に考え、車を乗りつけたりすることもやめるべきである。 これらの見学の後は、沖泊の近くにある昔ながらの温泉町、温泉津で汗を流すと良い。 ここには一般の人も利用できる温泉施設が二件ある。 また、温泉津の町並みもまた昭和初期のレトロな風情を持っており、 大森の町並みと同様、重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。

(2006年8月 訪問)

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