倉敷市倉敷川畔

―倉敷市倉敷川畔―
くらしきしくらしきかはん

岡山県倉敷市
重要伝統的建造物群保存地区 1979年選定 約15.0ヘクタール


 岡山県南部、標高36.8メートルの鶴形山(つるがたやま)南麓に昔ながらの町並みが広がる倉敷は、かつて物資の集散地として栄えた川港の商家町である。江戸時代に天領(幕府の直轄地)となったことで税制の優遇措置を受けて大いに発展し、荷下ろしを行う倉敷川に沿って豪商の町家や土蔵が建ち並ぶ景観が形成された。白壁と海鼠(なまこ)壁が特徴的なその町並みは、倉敷紡績株式会社(クラボウ)の社長であった大原總一郎氏を始めとする住民の努力によって現代にまで受け継がれ、鶴形山およびその南麓を東西に通る本町と東町、本町の南側を流れる倉敷川畔を含む計15ヘクタールの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。




鶴形山の南麓を東西に通る本町の町並み

 倉敷は古くより荘園の年貢米や貢納物を集める場所として機能しており、中世の頃はそのような津出し港を「倉敷地」と呼んでいたことから地名として定着した。かつて鶴形山の周囲には阿知潟(あちがた)と呼ばれる遠浅の海が広がっており、倉敷は高梁(たかはし)川の河口に面した港町であった。やがて高梁川の沖積作用によって堆積が進み、また天正12年(1584年)に宇喜多秀家(うきたひでいえ)が行った新田開発などで干拓が進められ、倉敷は運河(倉敷川)で海と繋がる内陸の町となったのだ。江戸時代に入ると備中松山藩の港として上方への物資輸送の中継地となり、また寛永19年(1642年)に天領となったことで年貢米や農産物が集散する商業港として多大に繁栄した。




町並みの中心である中橋越しに見る旧倉敷町役場
大正5年(1916年)に築かれた擬洋風建築である

 倉敷は周辺干拓地の中心地としても賑わい、元禄年間(1688〜1704年)から文政年間(1818〜1831年)の約130年間で人口が倍増している。寛政年間(1789〜1801年)の頃には「新禄」と呼ばれる有力商人が台頭し、江戸時代初頭から町を治めてきた「古禄」と対立しつつも富を蓄えていった。明治時代に鉄道が開通すると町の中心は駅前に移ったものの、明治21年(1888年)には代官所跡に倉敷紡績所(クラボウの前身)が創建されるなど、新たな時代の実力者も登場する。大正11年(1922年)にはルネサンス風の第一合同銀行倉敷支店、昭和5年(1930年)には日本初の西洋美術館である大原美術館が築かれるなど、江戸時代からの商家にモダンな洋風建築が入り混じる町並みが形成された。




倉敷川畔に建ち並ぶ塗屋造の町家

 倉敷の町家は建ちの低い厨子(つし)二階建て本瓦葺きの切妻屋根平入であり、正面および両側面の外壁全体を土塗り白漆喰仕上げとした「塗屋造(ぬりやづくり)」を基本とする。一階の開口部には「倉敷格子」と呼ばれる親付切子格子がはめられており、太い格子の間に上部を切り詰めた細い格子を3本入れたリズミカルな外観を見せている。また二階には角柄窓に木地のままの竪格子を3本もしくは5本入れた「倉敷窓」を設けるのも特徴だ。明治時代以降になると建ちの高い本二階建てが築かれてるようになり、倉敷格子の代わりに連子格子、倉敷窓の代わりに虫籠(むしこ)窓や出格子を用いるなど、京都に見られる町家の影響を受けた意匠も増えていく。




裏通りには海鼠壁の土蔵が建ち並ぶ

 主屋の脇や裏手に建つ土蔵は、外壁の全体を土塗り白漆喰仕上げとした上で入口の土戸や格子窓も漆喰で塗り篭め、さらに瓦を張り付けた「海鼠壁」で耐火性をより高めている。一般的な海鼠壁は腰(下部)の部分のみに張ることが多いのだが、倉敷では中ほどの高さに巡らせた「腹巻」や軒裏に張った「鉢巻」など、より多くの部分に海鼠壁を用いているのが特徴だ。瓦を繋ぐ目地も水平に通る「一文字目地」と斜めに通る「筋違目地」の二種類があり、景観に変化と華やかさをもたらしている。海鼠壁は土蔵のみならず主屋に用いている家も少なくなく、倉敷の町並みにおける最大の特色となっている。また土蔵造を主屋に用いた「店蔵造」もわずかではあるが現存している。




重要文化財に指定されている旧大原家住宅
倉敷格子に倉敷窓、側面には海鼠壁を張るなど、倉敷町家の典型例である

 本町に位置する「井上家住宅」は、江戸時代に町政を担っていた旧家のひとつである。その家屋は18世紀初頭に築かれたものであり、倉敷最古の町家として主屋、三階蔵、井戸蔵の計3棟が重要文化財に指定されている。主屋の倉敷格子には片開きの土戸を備えて耐火性を高めているのだが、これは以降の時代の町家には見られない、より古い町家の特徴だ。倉敷では江戸時代の後期に大火がなく、土戸を設ける必要性が乏しくなり設けられなくなったと考えられている。また倉敷川畔の北岸に敷地を構える「旧大原家住宅」は「新禄」の筆頭であった豪商であり、現存する町家の中では最も規模が大きく、江戸時代後期から大正時代にかけて整備された計10棟の建物が重要文化財に指定されている。

2006年08月訪問
2020年08月再訪問




【アクセス】

JR山陽本線「倉敷駅」より徒歩約15分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【関連記事】

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【参考文献】

美観地区/町並み保存/文化財保護課/倉敷市
・日本の町並み2―中国・四国・九州・沖縄 別冊太陽
・日本伝統の町―重要伝統的建造物群保存地区62 東京書籍
井上家住宅(岡山県倉敷市本町)|文化財データベース
旧大原家住宅(岡山県倉敷市中央)|文化財データベース