五條市五條新町

―五條市五條新町―
ごじょうしごうじょうしんまち

奈良県五條市
重要伝統的建造物群保存地区 2010年選定 約7.0ヘクタール


 奈良県の中西部、奈良盆地の南西端より和歌山側に食い込んだ、小規模な盆地に広がる五條の町は、各地へ通じる五本の街道と、豊富な水を湛えた吉野川の流れが交差する、古くからの交通の要衝である。吉野川に沿って和歌山へと下る紀州街道、同じく吉野川沿いに伊勢へ通じる伊勢街道、奈良へと至る大和街道、峠を越えて河内へ続く河内街道、そして紀伊山地奥の十津川へ向かう西熊野街道といった陸運や、吉野川の水運によってもたらされた人の往来と物資の集散は、五條を商家町として大いに繁栄させた。江戸時代初期、大和五条藩(五條二見藩)が成立した際に整備された新町通り沿いには、今もなお江戸時代からの商家が建ち並び、当時の栄華を今に伝えている。




新町通りへの入口、国道168号線沿いの大規模商家

 五條はその地理的重要性により、古くからの歴史を有する町である。奈良時代には藤原南家の始祖である藤原武智麻呂(ふじわらのむちまろ)が前山寺(さきやまでら、現在の榮山寺)を建立し、南北朝時代の1348年には、後村上天皇(ごむらかみてんのう)が吉野から榮山寺の境内に拠点を移し、一時は南朝が置かれていた。今に通じる五條の町が形成されたのは、筒井家の家臣であった松倉重政(まつくらしげまさ)が、関が原の戦いにおいて功績を上げて五條の地を与えられ、慶長13年(1608年)に大和五条藩を興した事に始まる。重政は現在の五條市二見にある桜井寺の位置に二見城を築き、その城下町の振興を図るべく、紀州街道沿いに新町通りを開いて商業の発展に努めたのだ。




S字にカーブする本町二丁目の町並み

 その後、慶長20年(1615年)の大坂夏の陣において更なる功績を上げた松倉重政は、肥前日野江を与えられ、元和2年(1616年)にそちらへ転封する。以降、五條は幕府の直轄地である天領となり、寛政7年(1795年)には、かつての二見城跡に代官所が設けられている。天領になってからも、重政が礎を築いた商家町は、街道を利用して各地より運ばれてくる物資や、吉野川上流から筏を組んで流されてくる木材の集散地として大いに賑わい続けていった。また、幕末の文久3年(1863年)には、尊皇攘夷を掲げた天誅組が代官所へ討ち入るという天誅組の変が起こり、それは明治維新への機運が高まるきっかけとなった事から、五條は「維新発祥の地」とも称される。




黒漆喰に袖壁の上がる重厚な商家
この辺りは直線の通りにいくつもの町家が連なっている

 五條から二見へと続く約900メートルの新町通りには、古い町家が所狭しと軒を連ねている。他の重伝建の町並みにおいて、現存する江戸時代の建造物はせいぜい10棟程度残っていれば良い方であるが、この五條新町の町並みにおいては、重伝建に選定された範囲に存在する伝統的建造物161棟のうち、実に45棟が江戸時代の建造である。ここまで江戸時代の町家が現存している町並みはそうそう無い。本町二丁目から始まる新町通りは、緩やかなS字のカーブを描きつつ、特徴ある商家の町並みを次々と展開していく。カーブを抜けたその先は、見通しの良い直線が500メートルあまり続き、新町一丁目、二丁目を経て、二見二丁目で町並み保存地区の端となる。




通りの裏側では、川に沿って建ち並ぶ酒蔵が見られる

 新町通りに残る町家は、一階部分に細身の格子や蔀戸(しとみど)をはめ、二階部分は漆喰で厚く塗り籠めて、虫籠窓(むしこまど)などを設けたものが一般的である。壁のみならず、軒の裏側も漆喰で固められており、より耐火性の高い建造物である場合が多い。五條新町において、江戸時代の町家の現存率が極めて高いのは、その防火を意識した家屋に由来するのかもしれない。町家のデザインは多種多様で、そのバリエーションは非常に豊富である。中には漆喰に煤を混ぜた黒漆喰の町家もいくつか残り、町並みのアクセントとなっている。江戸時代に建てられた古いものでは、本瓦葺きの大屋根といった豪壮なものも多く、全体的に重厚な印象の町並みが広がっている。




建造年代が判明している日本最古の民家建築、栗山家住宅

 新町通りの入口には、かつての西熊野街道にあたる国道168号線が通っているが、その旧西熊野街道沿いにも、古い商家の町家や蔵などが建ち並んでいる。それらの中でも、特に立派な入母屋造の屋根を持ち、正面に庇と煙出しの小窓を設けた、堂々たる構えを見せる栗山家住宅は、その棟札より慶長12年(1607年)に建てられた事が判明している。これは、建造された年代がはっきり分かっている民家建築の中では現存最古のものであり、安土桃山時代末期における町家の様相を示す建造物として全国的にも貴重なものとされ、国の重要文化財に指定されている。そのやや沿った屋根や、一階全面にはめられた格子など、家の格の高さをうかがわせる、非常に立派な民家である。

2009年04月訪問
2011年03月再訪問




【アクセス】

JR和歌山線「五条駅」より徒歩約15分。

【拝観情報】

拝観自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

【関連記事】

榮山寺八角堂(国宝建造物)
宇陀市松山(重要伝統的建造物群保存地区)
倉敷市倉敷川畔(重要伝統的建造物群保存地区)
日田市豆田町(重要伝統的建造物群保存地区)