宇陀市松山

―宇陀市松山―
うだしまつやま

奈良県宇陀市
重要伝統的建造物群保存地区 2006年選定 約17.0ヘクタール


 奈良盆地南東の山間部、古くは日本書紀に阿騎野(あきの)という名で記され、宮廷の猟場であったという宇陀松山。安土桃山時代から江戸時代初期にかけては松山城の城下町として発展し、また大和から吉野や伊勢へと至る交通の要所に位置する事から、江戸時代には物資の集散地として大いに賑わい、宇陀地方の政治と経済の中心地として「宇陀千軒」と称される程の繁栄を遂げた。そこには今もなお、谷間を流れる宇陀川沿い南北約1.5キロメートルの範囲に渡り江戸時代後期から昭和初期にかけて建てられた町屋が建ち並んでいる。その町並みは、川や山などの周辺環境と相まって、城下町と商家町の特徴を兼ね備えた良好な歴史的風致を目にする事ができる。




町並みを彩る薬舗の看板
松山は周囲の山々で取れる薬草の集散地であった

 南北朝時代、宇陀三将の一人として芳野氏、沢氏と共に宇陀一帯を治めていた秋山氏は、自らの居城として秋山城を築いた。桃山時代の天正13年(1585年)、豊臣秀吉の弟であり片腕でもあった豊臣秀長(とよとみひでなが)が大和国に入部すると、それまで大和国の領主であった筒井氏は伊勢へ転封となり、筒井氏の配下に付いていた秋山氏もまた宇陀を去って伊賀に移る。宇陀には多賀秀種(たがひでたね)など豊臣家配下の大名が入り、秋山城を大々的に改修して松山城と改めた。同時に麓の城下町も整備がなされ、この時に作られた町割が現在の町並みの骨格となった。それまで阿貴(あき)と呼ばれていた町名が、松山と改められたのもこの時だ。




高麗門形式の松山西口関門
大手門が残る城下町は珍しく、貴重である

 慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦い後は、東軍の福島高晴(ふくしまたかはる)が松山へと入り、松山城をさらに改築している。ところが慶長20年(1615年)の大坂夏の陣において、高晴は豊臣方に内通していたとの疑いをかけられ改易。松山城は廃城となった。その後の松山は織田信長の次男である織田信雄(おだのぶかつ)が治め、松山は宇陀松山藩の中心地として発展する。現在も宇陀川にかかる橋のたもとには枡形を伴う西口関門が現存するが、これは寛文11年(1671年)の新陣屋建設に伴い建てられたものとされる。大手門にあたるこの西口関門、および城山の山上に残る松山城跡は、城下町時代における松山の様相を伝える遺構であり、いずれも国の史跡に指定されている。




松山城への登城口がある春日神社から西口関門へと至る町並み

 江戸時代中期の元禄8年(1695年)、宇陀松山藩第四代藩主の織田信武(おだのぶたけ)の時代に財政の困窮が元で家臣が対立。信武は二人の重臣を殺害し、自らも自害した。このお家騒動により第五代藩主の織田信休(おだのぶやす)は移封となり、宇陀松山藩は廃藩。その後の松山は幕府の直轄地、いわゆる天領となった。城下町ではなくなったものの、松山はその地の利を活かして物流の拠点を担い、大和からは米や塩などの日用物資、また吉野や伊勢などからは吉野葛や薬草、宇陀和紙、熊野灘の鯖などの特産品を供給する在郷の商家町として発展していく。明治維新後も松山は周囲の拠点としてあり続け、昭和40年代頃までは商店や旅館が軒を連ねていたという。




格子と黒漆喰が美しい黒川本家
屋根は桟瓦葺だが端には丸瓦を据えている

 松山の町屋は、桟瓦葺の切妻造で平入、二階の立ちが低い厨子(つし)二階建て、もしくは中二階建てのものが多い。外壁は漆喰で塗り込めるのが基本で、その種類は白漆喰、黒漆喰、浅黄漆喰と様々だ。一階の建具は、元は柱に切った溝に板戸を落とし込むズリアゲ戸だったが、明治以降は格子に変えられた。それらの格子は京風の細い千本格子とやや太目の台格子がバランス良く組まれており、松山の町並みにおける特徴の一つとなっている。二階には虫籠窓が設けられているが、その形状は家によって異なり多種多様だ。中には卯建(うだつ)を備える家もある。それらの町家の前には「前川」と呼ばれる水路が流れ、そのせせらぎが町並みに豊かな表情を加えている。




立派な看板が目を引く旧細川家住宅
現在は「薬の館」として一般に公開されている

 周囲に多雨な山が多い宇陀松山は、薬草が集まる町でもあった。江戸時代の後期には50軒以上もの薬問屋が軒を連ねていたと伝わり、現在もなお薬舗や吉野葛の看板を掲げた店舗を数多く目にする事ができる。松山と薬草との関わりの歴史は、江戸時代に開園した森野旧薬園でも垣間見れる。葛粉の製造を営んでいた森野藤助(もりのとうすけ)は、享保14年(1729年)に幕府から派遣された採薬使、植村政勝(うえむらまさかつ)に随行して薬草採取に従事し、その功績が認められ幕府より薬草の種や苗を与えられた。それを自宅の裏山に植え栽培したのがこの薬園の始まりである。それは江戸の小石川植物園と並ぶ日本最古の薬草園として貴重であり、国の史跡に指定されている。

2007年01月訪問
2010年12月再訪問




【アクセス】

近鉄大阪線「榛原駅」より奈良交通「大宇陀行き」で約20分、
「大宇陀バス停」下車、徒歩約5分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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