安芸市土居廓中

―安芸市土居廓中―
あきしどいかちゅう

高知県安芸市
重要伝統的建造物群保存地区 2012年選定 約9.2ヘクタール


 高知県東部の安芸平野に広がる安芸市。その中心市街地から約2キロメート北の安芸川西岸に位置する土居廓中は、戦国期に築かれた安芸城をルーツとし、江戸時代に土佐藩東部の統治拠点であった「土居」を中心とする武家町である。土居跡を取り囲む東南西の三方には、今もなお武家屋敷が整然と並ぶ町割の骨格を留めており、江戸時代末期から昭和初期にかけて築かれた主屋や附属屋を目にすることができる。狭い路地に沿って生垣や塀などが連なる武家地特有の歴史的風致を良好に残していることから、江戸時代の土居跡とその武家地の全域にあたる東西約410メートル、南北約360メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。




江戸時代に築かれた堀や大手門の枡形が現存する安芸城(土居)跡
背後の城山には土塁や堀切など中世城郭の遺構も残る

 安芸城は鎌倉時代末期の延慶2年(1309年)、安芸親氏(あきちかうじ)によって築城されたと伝わっている。以降、安芸氏はこの地を拠点に土佐国東部を支配する有力国人となり、戦国時代には土佐七雄のひとりに数えられていた。しかしながら、永禄12年(1569年)に長宗我部元親(ちょうそかべもとちか)の攻撃を受けて落城、安芸氏は滅亡する。その後は長宗我部氏が治めるところとなったが、慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで西軍に付いたため改易。代わりに土佐国を与えられた山内一豊(やまうちかずとよ)は、藩内の5箇所に「土居」と呼ばれる支城を配し、そのうち安芸土居には家臣の五藤為重(ごとうためしげ)を置いて藩東部の拠点とした。




土居跡には五藤家の屋敷が残り、国の有形文化財に登録されている
明治初頭に一度破却されたのち、明治20〜30年代にかけて築かれたものだ

 土居廓中の町割は戦国期のものに由来しつつ、遅くとも正徳4年(1714年)までには成立していたと考えられている。延享2年(1745年)には地割が再編され、南町には上級家臣の大規模な屋敷が、西町および北町の南半はそれに次ぐ広さの屋敷、北町の北半には足軽などの小規模な屋敷が置かれていた。なお、城下には武家地のみで町人地は形成されず、町人地は土佐東街道が通る海岸部の安芸浦、および安芸浦と土居を繋ぐ通りに沿って立地していた。明治時代になると土居は廃止され、士族の転出により一部の武家屋敷が失われたものの、その跡地は農地として利用されたことで武家地の地割が保たれた。かつて土佐藩に5箇所存在した土居の中で、全体の町割を今に残すのは安芸だけだ。




一定の高さに揃えられた生垣が目を引く土居廓中の町並み

 各家の敷地は間口の広いものは方形であるが、狭いものは短冊形である。敷地への出入口は路地に面した敷地辺の中央に開き、間口の狭いものは端に寄せて開くという規則性がある。通り沿いには生垣や塀を巡らし、出入口には薬医門や腕木門を構えるが、門を建てずに生垣の切れ目を出入口とする場合もある。主屋は路地から一定の距離を置いて配しており、庭は南に設けるのが一般的であるが、主屋と路地の関係から北側に設ける家もある。出入口から主屋までは、見通しがきかないよう生垣や塀を枡形状に配している家が多い。敷地の大きな家では通りに面して附属屋を建てており、生垣や塀と共に特徴的な武家町の町並み景観を作り出している。




妻面を縦板で覆った「シトミ」が見られる主屋

 主屋は平屋の入母屋造で、妻入と平入が混在する。屋根は桟瓦葺であるが、一軒だけ茅葺も存在する。台風の多い土地柄であるため、外壁は雨返りを防ぐため下部を板壁、上部を漆喰の真壁とし、妻面には破風からシトミと呼ばれる竪板を下ろすものが多い。強風が吹く向きに応じて右瓦と左瓦を葺き分ける家も存在する。平面は田の字型の整形四間取や食い違い四間取を基本とし、規模の大きな家では六間取となる。庭に面して次の間、座敷、その背面に居間、納戸を配し、釜屋を角屋として突出させる家が多い。古いものでは玄関に式台を構えたり、また座敷以外の部屋にクツヌギ(沓脱ぎ)と称する普段使いの出入口を付けた家もある。




江戸時代末期の建造である「野村家住宅」
与力として五藤家に仕えた上級家臣の屋敷である

 主屋以外の附属屋としては、長屋門や土蔵、納屋、蚕室、物置などがある。そのうち長屋門と土蔵は漆喰の塗り篭めで多段の水切瓦を付けており、多雨な土佐ならではの特徴を見せる。それ以外の附属屋は主屋と同様に腰は縦板張で上部は漆喰を塗り、妻面にシトミを下ろしているものが多い。敷地を取り囲む塀は、玉石や瓦で築かれた江戸末期の塀、明治期の石塀や板塀、昭和初期までに築かれた築地塀や石垣、土塀など様々な意匠を見せる。生垣はドヨウダケやウバメガシなどで築かれており、明和7年(1767年)の『屋敷帳』にも各屋敷における生垣の記録や詳細な規定が記されているなど、当時から生垣や樹木の管理がなされていたことが分かっている。

2020年10月訪問




【アクセス】

土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線「安芸駅」から車で約5分。
土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線「安芸駅」からレンタサイクルで約10分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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【参考文献】

・「月刊文化財」平成24年7月(586号)
安芸市土居廓中伝統的建造物群保存地区|安芸市