樫原の棚田及び農村景観

―樫原の棚田及び農村景観―
かしはらのたなだおよびのうせんけいかん

徳島県上勝町
重要文化的景観 2010年選定


 四方を山々に囲繞され、豊かな水と緑を育む徳島県中部の上勝町。険しい山々が連なる山間地域であるが故、耕作に適した平地が非常に少ないこの地では、昔より山の斜面を切り開き、階段状に整地した水田、いわゆる棚田を作り上げ、稲作を行ってきた。数多く存在する上勝町の棚田集落の中でも、標高500メートルから700メートルという高所の急斜面に開かれた樫原地区の棚田は、特に規模が大きく、ダイナミックな景観を持つ事で知られている。またこれらの棚田は、今から200年程前、江戸時代後期に描かれた絵図とほぼ変わらぬ状態が今も残る稀少な棚田であり、この地域における代表的な土地利用の形態として、重要文化的景観に選定された。




地形に合わせた棚田が連続する樫原地区

 樫原地区において耕作が始まったのは、江戸時代前期の1680年代であったと考えられている。緑の濃い山々を背景に、集落内を流れる樫原谷川に沿って、棚田と農家が点在する樫原の棚田は、一つのまとまった世界を作り出している。面積はおよそ59ヘクタールで、そこには546枚もの棚田が存在するという。一帯は極めて急な斜面である為、棚田もその地形に合わせて細かく形成されており、水田一枚一枚の面積は100平方メートルから300平方メートル程と、比較的小さなものとなっている。畦もまた、等高線に沿って作られている為、地形に合わせ有機的に曲がりくねっており、自然な形状の田が無数に連続する景観を持つのが特徴的だ。




棚田を通る、石積みの用水路

 樫原地区の棚田は石積みが基本だが、一部には土で固めた土坡(どは)も見られる。その分布は下樫原地区と上樫原地区が石積みで、中樫原地区には土坡が多くなっている。石積みも隙間の多い空石積であるため、石と石の間には植物が生い茂り、そこは蛙や蛇、昆虫などの格好の住処として、良好な生態系を育んでいる。そして何より、樫原地区の棚田の最大の特徴は、江戸時代後期の文化10年(1813年)に描かれた絵図「勝浦郡樫原村分間絵図」とほとんど変わらない、昔ながらの土地利用形態であろう。それは棚田の位置や形状、枚数のみならず、用水路や道、農家の家屋や寺社の堂宇、祠の位置などすらも一致しており、200年の間変わらぬ棚田の景観を今に残している。




水は竹樋で用水路から取り入れている
仕切りのような板は、水温調節のための「ヨセ」だ

 樫原地区の棚田で使用される水は、集落内を流れる樫原谷川、および張り巡らされた用水路から引かれている。それらの用水路は、元文5年(1740年)に掘削された全長約12キロメートルにも及ぶ野尻用水や、それ以前に作られた久保用水など、江戸時代に造営されたものが今も使われている。また棚田への配水方法にも、昔ながらの工夫を見ることができる。水は用水路から竹製の樋で田へと引き込まれ、その田から次の田へと水を流す田越し灌漑である。用水路からの水もそのままダイレクトに田に流すのではなく、「ヨセ」と呼ばれるつづら折りの仕切りを介して田に入れる事で、冷たい沢の水を温めてから田に流す工夫が施されている。




棚田と共に、良好な景観を成す農家の家屋

 樫原地区の棚田では、無数に展開する棚田ばかりでなく、農家の家屋や寺社、祠、水車や炭焼き小屋などといった建造物も、文化的景観を構成する重要な要素となっている。特に水車は、昭和初期には個人所有、共同所有のものが全部で13基存在しており、脱穀に利用されていたという。これは、樫原地区に住むほとんどの家に水車があったという事になる。現在、当時の水車は失われてしまったものの、ごく一部ではあるが水車が復元され、静かな棚田にその音を響かせている。また、棚田を見下ろす上樫原地区には、秋葉神社の社殿が鎮座している。その境内からは年に一度、旧7月26日に三つの月が見えるという、「三体の月」の伝承が伝えられている。




棚田は機械を搬入できない箇所が多く、今でも人の手で植えられている

 他の地域の棚田と同様、樫原地区の棚田もまた高齢化と後継者不足に悩まされており、それに伴う耕作の放棄、棚田の荒廃化が深刻化している。昭和51年(1976年)の時点では「勝浦郡樫原村分間絵図」と比べて主だった差異は認められなかったが、平成12年(2000年)には耕作地が半減。耕境が変化し、一部には林地化してしまった箇所も見られる。使えなくなった用水路もあり、渇水などの問題が表れた。これに対して樫原の住民たちは、棚田を守る為に市民グループを結成。休耕地を蘇らせ、「勝浦郡樫原村分間絵図」に基いた景観の復元を行うなど、棚田の保全活動が活発化した。そのような保護運動も、重要文化的景観へ選定されるにあたり、高く評価されたのだ。

2010年06月訪問




【アクセス】

「徳島駅」より徳島バス「横瀬西行き」で徒歩約60分「横瀬西」バス停下車、上勝町営バス「八重地上行き」に乗り換えて約40分「神田」バス停下車、さらに徒歩約50分。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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