酒谷の坂元棚田及び農山村景観

―酒谷の坂元棚田及び農山村景観―
さかたにのさかもとたなだおよびのうさんそんけいかん
重要文化的景観 2013年選定

宮崎県日南市


 宮崎県南部、日南市の西側に広がる鰐塚山地は、年間降水量が3000メートルを超える多雨地帯であり、飫肥杉と呼ばれる良質な杉材が産出されることで知られている。そのほぼ中央に位置する酒谷地区は、酒谷川沿いや地滑りによって形成された緩斜面地に小規模な集落が点在している山村だ。日南市の最高峰にあたる小松山の南西斜面に位置する坂元集落の北側には、標高255メートルから315メートルの範囲にかけて、昭和初期に築かれた石積の棚田が広がっている。集落を取り囲む山林は営林の場であると共に水源涵養林としても機能しており、棚田に豊富な水をもたらしているなど、農業と林業に基づく地域特有の土地利用のあり方を目にすることができる。




山林によって取り囲まれている坂元集落

 中世までの酒谷地区における集落のあり方は明らかでないが、江戸時代の酒谷村は飫肥藩に属し、薩摩藩との国境に位置することから郷士と称される足軽組の軍団によって守りが固められていた。郷士たちは山の中に分散して住まい、狭小な畑を耕作して生活していたという。また林業も盛んに奨励されており、飫肥藩特有の営林方法である「部一山」の制度のもと、成木のうち上木は藩に献上し、中下木の二分の一(時代が下ると三分の二)を植栽者の利益とする森林管理が行われていた。また木材を運搬するために牛馬を飼うようになり、その餌を確保するための秣(まぐさ)場や、炭を梱包する俵や屋根を葺く材料として茅場が確保されるようになった。




開けた傾斜地に階段状の棚田が整然と並ぶ

 明治維新を経て近代に入ると、社会の近代化や安定化によって日本の人口は爆発的に増大した。酒谷村の人口も明治初年には約2000人であったのに対し、大正時代には約3000人、昭和初期には約4000人と倍増している。人口増加に伴い食料を増産する必要に迫られ、坂元集落では昭和3年(1928年)から昭和8年(1933年)にかけて、それまで茅場や秣(まぐさ)場であった集落共用の入会地に棚田が築かれたのだ。石積に使う石材はすべて現地で賄い、棚田の造成は専門の石工を雇って始められたが、やがて村の人々も見よう見まねで技術を習得していった。十数枚の棚田が完成した頃からは村の人々が中心となり、家族総出で築造が進められたという。




幅の広い畦道は、耕作用の牛馬を水田に引き入れるためのものだ

 この昭和初期の工事により、約5.7ヘクタール、計119枚の棚田が造成された。なお、棚田東側の一部は「古田(ふつた)」と呼ばれ、この工事以前から存在する近世由来の水田である。古田の面積は1アール未満から約5アール、形状も不成形であるのに対し、新たに築かれた棚田の面積は約3アールもしくは約5アールで統一されており、長方形で幾何学的に整然と配されているのが特徴だ。これは牛馬を用いて耕作を行うことを前提として築かれたためであり、また下段から上段にかけて真っ直ぐ貫く幅の広い畦道も、牛馬の進入路として設けられたものである。棚田の築造は戦後まで続き、最終的な棚田の面積は約9.4ヘクタール、合計で205枚に及ぶこととなった。




畦道と同様、用水路もまた一直線に棚田を貫く、近代的な設計である

 棚田の築造と並行して、水を引く灌漑用水工事も行われた。坂元集落の北東、小松山の中腹に位置する尾谷川と溝口谷川の二水系から、約1.6キロメートルの水路を開削して棚田へと導水している。それぞれの区画へは、棚田の中央に設けられた用水路、および棚田東側を流れる谷川を通じて給水し、また上の棚田から下の棚田へと水を流す「田越し」による灌漑も行われている。水に恵まれた土地であるため水量は豊富であり、平地よりも昼夜の寒暖の差が激しいので良質な稲の育成に適した環境となっている。また棚田造成の計画から完成までの全プロセスが資料によって明らかとなっている珍しい棚田であり、合理的で近代的な設計思想と相まって産業遺産としての価値も高い。




現在は畑や果樹園としても活用されている

 また坂元集落では藩政時代からの林業も引き継がれ、集落は営林署との契約に基づき造林や育林を行ってきた。第二次世界大戦後には集落北東部の国有林が払い下げられ、温州みかん畑などとして利用されていたが、昭和46年(1971年)のグレープフルーツ輸入自由化によって果樹園経営が成り立たなくなり杉が植林された。また昭和40年代に牛馬の代りとして耕作機械が導入され、秣場もまた造林地となっている。さらには政府の減反政策もあって、集落周囲の水田に転用されるなど造林業が拡大した。坂元棚田においても、今もなお水田として利用されている棚田は全体の57%であり、残りの43%は日向夏の果樹園や野菜の畑などとして利用されている。

2014年09月訪問




【アクセス】

JR日南線「日南駅」より日南市コミュニティバス「酒谷・吉野方線」で約45分「坂元バス停」下車すぐ。日曜運休。本数も一日二本程度と少ないので時刻表を要確認。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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