姨捨の棚田

―姨捨の棚田―
おばすてのたなだ

長野県千曲市
重要文化的景観 2010年選定


 数多くの参詣者を集める善光寺を擁し、戦国時代には武田信玄と上杉謙信による川中島の戦いの舞台ともなった、長野県の北部に広がる善光寺平(長野盆地)。その南端にそびえる姨捨山(おばすてやま)、あるいは冠着山(かむりきやま)とも称されるその山の北麓斜面には、1800枚以上もの見事な棚田が連なっている。この姨捨の地は、古来より月見の名所として知られており、また中世末期から近世初期にかけて棚田が築かれるようになってからは、水を張った田の一枚一枚に月が映り込む「田毎の月(たごとのつき)」で名を知られるようになった。その姨捨の棚田は、現在に至るまで継続的に営まれてきた農業景観として稀有のものであり、日本を代表する棚田の一つとして名高い。




棚田の法面(のりめん)は、土で固めた土坡(どは)である
西日本では石垣で築かれる事が多いのに対し、東日本の棚田は土坡が主流である

 月の名所としての姨捨の歴史は極めて古く、平安時代初期に成立した「古今和歌集」において、姨捨山にかかる月の様子が詠まれているのを最古例とし、清少納言の「枕草子」、菅原孝標女の「更級日記」などにおいてもその名を見ることができる。室町時代の明応7年(1498年)には、連歌師の宗祇(そうぎ)がこの地で連歌会を開いており、江戸時代の貞享5年(1688年)には、松雄芭蕉が観月の為、姨捨を訪れている。また、姨捨山は棄老伝説の舞台としても著名である。これは口減らしの為、労働力にならなくなった老人を山に捨てようとするという昔話であるが、実際にそのような棄老が行われていた記録は無く、姨捨という地名は「おはすて」あるいは「おはつせ」が訛ったものと考えられている。




姪石(めいいし)とその周囲
姪石の上に祀られている地蔵尊は、善光寺の方向を向いているという

 姨捨山の斜面が耕作地として開墾されるようになるのは、中世末期にあたる16世紀後半の頃からだ。当初は斜面に点在する湧き水を利用し、畑作や稲作が行われていたが、その後は自然河川を元に用水路が整備され、棚田が形成されるようになっていった。棚田の麓に鎮座する武水別神社(八幡宮)の神官、松田家に伝わる文書によると、元禄10年(1697年)には更級川上流の大池から水を引く為の用水堰が建設されている。そのような灌漑整備によって、姨捨の棚田はますます拡充されていった。その面積は、安永6年(1777年)には約42ヘクタール、明治10年(1877年)には約85ヘクタールにまで広がっており、その頃には既に現在に見られる棚田の景観が完成していたとみられる。




姨捨で最も古い棚田である、四十八枚田にたたずむ田毎観音

 姨捨の棚田は、姨捨山の山塊が地滑りによって押し出された土石流の堆積斜面上、標高約460メートルから約560メートル、約25ヘクタールの範囲に渡って展開されている。棚田の法面(のりめん)は、土坡(どは)によって固められており、古いものでは水路を用いず、上の田から下の田へと連続式に水を流す、「田越(たごし)」と呼ばれる灌水方法によって給水されている田もある。また、田の土の下50センチメートル程の所には、全国的にも珍しい「ガニセ」と呼ばれる石組の暗渠が設けられている。このガニセは田の水はけを良くする為の工夫であり、上の田から流れてきた水は畦畔側に作られた「ヨケ」と呼ばれる場所で受け止められ、その水の一部をガニセを通して下の田へと落としている。




江戸時代に建てられた堂宇が建ち並ぶ長楽寺

 棚田より更級川を挟んだその向かいには、長楽寺という天台宗の仏教寺院が存在する。この寺院は、武水別神社の別当(神社に付随する寺院)であり、また古くより月や棚田の展望地点としても知られていた。長楽寺から目にする事ができる十三の景観「冠着山、鏡台山、有明山、一重山、田毎の月、桂木、宝ヶ池、姨石、姪石、甥石、小袋石、雲井橋、更級川」は、姨捨十三景と称されていたという(時代によって要素の変遷あり)。特に、長楽寺境内にたたずむ姨石の上は眺望が開け、そこから眼下に望む四十八枚田は姨捨の棚田の中で最も早くに築かれたものであるとされており、姨捨を訪れた平安時代末期の僧侶、西行(さいぎょう)が阿弥陀四十八願にちなんで名付けたと伝わっている。




姨捨の棚田の水源である弁財天清水
祠が祀られ、その周囲は厳重に管理されている

 姨捨の棚田が重要文化的景観に選定される以前の平成11年(1999年)、「田毎の月」に強く関係する長楽寺の境内、四十八枚田、姪石周辺の棚田の三ヶ所が、国の名勝に指定された。農業景観が名勝指定を受けたのは、この姨捨が初めての事である。今回、重要文化的景観に選定された範囲は、名勝指定の範囲を包括する姨捨の棚田一帯のみならず、棚田へ水を供給する更級川(さらしながわ)、およびその水源地である大池を含めた、約64.3ヘクタールの範囲に及んでいる。姨捨の人々は、棚田を支える水を守る為に溜池を作り、また水が枯れないよう水源に植林を行ってきた。そこには、有機的に連続する棚田のシステム、および長年に渡る人々の努力を見ることができる。

2011年08月訪問




【アクセス】

JR篠ノ井線「姨捨駅」より徒歩約5分。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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