蕨野の棚田

―蕨野の棚田―
わらびののたなだ
重要文化的景観 2008年選定

佐賀県唐津市


 佐賀県のほぼ中央にそびえる八幡岳。その北麓に広がる馬蹄型の急斜面地に、標高150メートルから420メートルに渡って約1050枚もの棚田が築かれている。麓の蕨野集落を起点に山頂へと向かって放射状に伸びる幾つもの谷筋は、東から西へ「大平」「石盛」「南川原」「下の木場」「九朗谷」と続いており、それぞれに石積の棚田が連なっている。江戸時代からの歴史を持ち、明治時代から昭和20年代にかけて築き上げられたこれらの棚田群は、各時代ごとの特徴と変遷を残しつつ今に維持されてきた。高い石垣が山頂に向かってどこまでも立ち昇る光景は、まさに「耕して天に至る」という言葉が相応しい、日本を代表する棚田のひとつである。




江戸期に築かれた棚田も残る
当時は形状を整える必要がなく、石積が曲線的なのが特徴だ

 蕨野の地に人々が住み始めたのは、戦国時代の頃といわれている。棚田の開墾は江戸時代の末期から盛んに行われるようになり、当時は管理のしやすい集落の近く、もしくは水を確保しやすい湧水の小川沿いに水田を築いていたという。石積に用いる石材は、開墾によって出土した玄武岩を利用しており、明治前期までに約20ヘクタールの棚田が拓かれていた。明治18年(1885年)には山の上部に溜池(池旧溜)が築かれ、用水が確保されたことでさらなる棚田の開発が進み、昭和に入る頃には約32ヘクタールにまで拡大していた。また新たな棚田を築くのみならず、既存の棚田を近代農機具に適応した形状や大きさに整える「セマチダオシ(狭地直し)」も行われている。




明治から昭和初期にかけて築かれた大平の棚田

 また明治期以降の棚田では暗渠が用いられるようになった。特に大平の棚田では、35もの暗渠を駆使した壮大な水利システムが構築されている。江戸時代は住民たちが共同で利用する入会地の草刈り場であった大平では、明治35年頃から昭和20年頃の長期に渡り棚田が築かれた。三ヶ所からの湧水と、用水路の石堰から棚田に取り入れた水は、各棚田の石積下部に設けられた暗渠によって排出され、下の棚田へと注がれる。取水口と排水口の距離が近いため、必要な時にのみ棚田に水を取り込むことができ、不必要に棚田の水温を下げない仕組となっている。また大雨が降った際にも暗渠で水を排出できるため、棚田が水で溢れることはなく、常に安定した水量を保つことができる。




南川原の棚田にそびえる8.5メートルの石垣

 昭和に入ると人口増加に伴う食糧増産のため、棚田の造成はさらに盛んとなった。より広い耕作地を確保するべく、棚田の石積はさらに高さを増していく。蕨野の棚田における石積は3〜5メートルと平均して高いが、南川原の棚田には実に8.5メートルもの高さを持つ石積が存在し、棚田の石垣として日本一の高さを誇る。この石積は昭和元年(1926年)から10年もの年月を費やし完成したもので、石積の根石に「昭和10年格治成」と刻まれている。昭和12年(1937年)には新たな溜池(池新溜)も築造され、最終的な棚田の面積は約54ヘクタールにも及んだ。その後に道がないなど耕作条件が悪い棚田には杉や檜が植えられ、現在も残っている棚田の面積は約36ヘクタールである。




寛政元年(1789年)に居石伝左衛門が勧請したという五百羅漢
居石(すえいし)家はその名の通り石工の家であり、石垣棟梁を担っていた

 棚田の造成に携わったのは専門の石工だけではなく、その多くが住民の手によって築かれた。「石垣ツキ」と呼ばれる石積みの作業では、石工の技術を代々伝える「石垣棟梁」が現場の指揮を取り、住民たちが十数人ずつ交代しながら作業にあたっていた。このような相互扶助のシステムを蕨野では「手間講(てまこう)」と呼び、棚田の維持管理もまた住民たちによって共同で行われてきた。人々は原野の石を金てこで割って、あるいはそのまま積み上げ野面積の石垣で土地を造成し、その上に粘土質の盤土と表土を10センチメートルずつ敷いて水田を築いた。また棚田を維持するためには畦塗りや草刈りといった作業が不可欠であるが、いずれも重労働であり相互扶助が欠かせない。




池旧溜から八幡岳を望む

 蕨野地区からさらに山へと入った池地区には、棚田の用水を確保するための池旧溜と池新溜が存在する。これらの池の水は、そのまま下流の大平へと流れるほか、分水堰によって等高線沿い約2キロメートルに巡らされた「横溝水路」に引き込まれ、計5箇所に設けられた分水桝から各谷筋の棚田へと水を送っている。これらの分水桝は仕切り板の高さを変えることで供給量を調整できる仕組であり、水番と呼ばれる管理人が毎日調節を行っているという。このように、蕨野の棚田では八幡岳の豊かな山林のもと、用水路や暗渠といった利水システムが地域に密着した石積技術や共同作業によって維持されており、一体的な土地利用の在り方として類稀なる文化的景観を形成している。

2014年10月訪問




【アクセス】

JR唐津線「相知駅」より相知町花タウンバス「八幡岳登山口[棚田交流広場]行き」で約20分、終点下車すぐ(*日曜祝日等運休、本数も少ないので時刻表を要確認)。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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