四万十川流域の文化的景観 下流域の生業と流通・往来

―四万十川流域の文化的景観
下流域の生業と流通・往来―
しまんとがわりゅういきのぶんかてきけいかん
かりゅういきのなりわいとりゅうつう・おうらい

高知県四万十市
重要文化的景観 2009年選定


 高知県津野町の不入山(いらずやま)に端を発し、幾度と無く蛇行を繰り返しながら高知県西部を縦断する四万十川(渡川)。四国最長、全長196キロメートルのその川は、数多の支流から膨大なる量の水を集め、太平洋へと注ぎ出る。豊かな水に育まれてきた四万十市の下流域では、人々は昔より林業、農業、淡水漁業を営み、生きる糧を得てきた。その川の流れは水運にも利用され、また人々が川の対岸を行き来する為に作られた沈下橋は、四万十川を代表する景観として親しまれている。このように、四万十川には河川と人々との関わり合いによって生まれた多種多様な景観が良好に残されており、その全域が重要文化的景観に選定されている。




四万十川の代表的な沈下橋である、岩間沈下橋

 四万十市における「四万十川流域の文化的景観」の選定範囲は、その性質と役割より河口から口屋内(くちやない)集落までの四万十川河口区域と、口屋内から四万十町との境までの四万十川下流区域、および四万十川の支流である黒尊川(くろそんがわ)沿いの黒尊川区域の三区域に分ける事ができる。中でも特に、四万十川と黒尊川の合流地点であり、木材の集積地でもあった口屋内集落と、その木材の積み出し港であった河口の下田集落の二ヶ所は重点地区に指定され、集落景観の保護が図られている。また、四万十川および黒尊川に架かる沈下橋群もまた、沿岸住民の往来を象徴する重要な景観要素として、保護の対象となっている。




木材の集散で栄えた口屋内集落に残る茶堂
四国遍路の接待の場として、茶が振舞われていた

 四万十町から四万十市へ入った四万十川の流れは、広見川と合流した後に南下を続け、口屋内集落へと至る。この間は主に四万十川を利用した水運や四万十川沿岸を行く陸運といった流通、および火振漁など漁業に関した景観を見る事ができる。口屋内は木材などの物資輸送において、上流と下流を繋ぐ中継地として栄えた地域で、集落内には木材の集荷場跡や、運輸に携わる人の為の宿などが残されており、その当時の様相を今に残している。また、口屋内集落に存在する屋内大橋は、昭和29年に作られた沈下橋で、アーチ形の橋桁を持つものとしては四万十川で最も古い沈下橋だ。また、屋内大橋のたもとには、沈下橋が架かる以前に利用されていた渡し舟跡も残されている。




山深い渓谷を流れる黒尊川

 口屋内から四万十川の第一支流である黒尊川の上流へは、かつて森林軌道が通っていた。黒尊川の流域は森林資源が豊富で林業が盛んであり、その森林軌道も木材や木炭の運搬を目的に大正時代に敷設されたものである。その運送力は黒尊川流域の林業を支えたが、道路が整備された昭和25年頃より順次廃止となってしまった。なお、この黒尊川は四万十川の支流で最も澄んでいるとされ、渓谷景観も美しい。現在は自然を活かしたレクリエーションに利用されており、またその源流域は黒尊山自然観察教育林として保護がなされている。他にも、樹齢500年という大杉が鎮座する黒尊神社や、哀れな侍女の伝説が伝わるお菊の滝など、いわれのあるスポットも点在する。




河口域に残る石積みの桟橋

 口屋内から緩やかな勾配で下ってきた四万十川は、いくつかの沈下橋を越えて中村の市街地へと到着する。豊富な水量、広い川幅を持つこの河口域においては沈下橋が見られなくなり、増水時も水がかからない位置に架けられた、抜水橋(ばっすいきょう)が主となる。特に中村市街を横切る県道346線に架かる四万十大橋は、大正15年に完成したワーレントラスの抜水橋であり、その赤く塗られた鉄の外観から赤鉄橋とも呼ばれている。また、河口よりこの付近までは淡水と海水が交じり合う汽水域であり、豊かな生態系が育くまれ、漁も盛んに行われている。また河口付近にはスジアオノリの自生地や、アオサノリの養殖場も存在しており、青ノリの生産も盛んである。




四万十川唯一の渡し舟となった下田の渡し
2005年に一度廃止されたものの、下田の渡し保存会によって2009年に復活した

 四万十川の河口に位置する下田地区は、中世より四万十川の水運を経て集まった品々の積み出し港として機能していた港町である。口屋内に集められた木材は、いかだ状に組まれて四万十川を下り、この下田の港を通じて各地へと運ばれていった。今でもこの下田集落内には、町の発展を示す古い町割、この地で財を成した廻船問屋の建物の一部や神社仏閣などが残されており、四万十川と共に発展した独自の集落景観を見る事ができる。また、下田から対岸の初崎までは、橋が架かっていない代わりに渡し舟が出ている。渡し舟はかつては住民の足として四万十川全域に存在していたが、戦後に沈下橋や抜水橋に取って代われ、この下田の渡しが唯一となった。

2010年07月訪問




【アクセス】

土佐くろしお鉄道「中村駅」を拠点に徒歩かレンタサイクル、あるいは車で。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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