四万十川流域の文化的景観 中流域の農山村と流通・往来

―四万十川流域の文化的景観
中流域の農山村と流通・往来―
しまんとがわりゅういきのぶんかてきけいかん
ちゅうりゅういきののうさんそんとりゅうつう・おうらい

高知県高岡郡四万十町
重要文化的景観 2009年選定


 高知県津野町の不入山(いらずやま)から染み出た湧き水は、ささやかな流れを作り出して沢となり、幾重にも張り巡らされた支流より水を集めて川へと成長し、その流れは津野町を出て中土佐町を南下した後、広々とした堆積谷底平野の高南台地を有する四万十町へと至る。四万十川の中流域にあたるこの四万十町では、台地上に広がる広大な田園風景のみならず、川沿いの斜面に形成された棚田や中州を利用した水田など、四万十川やその支流が作る様々な土地にうまく適応した、多様な農業景観を目にする事ができる。また四万十川の水運に関連していた集落も見られ、往来の為の沈下橋も各所に点在するなど、流通や往来を含む、河川に関わる景観が良好に残されている。




昭和41年に架けられた沈下橋である、第一三島橋越しに見る轟集落

 四万十町における「四万十川流域の文化的景観」の選定範囲は、四万十川およびその主要支流の流域一帯と広範囲に渡る。それらは中土佐町との境から佐賀取水堰(家地川ダム)付近までの高南台地区域と、佐賀取水堰付近から四万十市との境までの四万十川中流区域、四万十川の支流である梼原川(ゆすはらがわ)沿いの奥四万十区域の三区域から成り、それに点在する風景林や保存林などの国有林を加えた構成となっている。重点地区は高南台地区域より上壱斗俵、下壱斗俵集落、四万十川中流区域より小野集落、轟集落、奥四万十区域地区より大正中津川集落が選ばれており、これらの集落では川、水田、集落が成す、景観の一体的な保存が図られている。




青々と茂る壱斗俵(いっとひょう)集落の水田

 それら高南台地区域、四万十川中流区域、奥四万十区域の三区域は、同じ四万十町にありながら地理的、文化的背景が全く異っており、そこで見られる景観の特徴もまた、それぞれ種を異にしたものとなっている。このうち四万十町東部に位置する高南台地区域には、上流域には見られなかった広々とした田園風景が広がっており、その一帯は高知県有数の穀倉地帯として知られている。この地に水田が拓かれたのは、中世から江戸時代と歴史も古く、またここで生み出された農作物は、四国霊場八十八ヶ所の第37番札所である岩本寺の門前町として発展した窪川の商業を著しく発達させ、四万十川中流域に都市としての機能を持つ、大きな町を生み出した。




四万十川最古の沈下橋である一斗俵沈下橋
昭和10年に架けられたもので、国の有形文化財に指定されている

 しかしながら、現在見られるような水田を高南台地に築く事は容易ではなかった。山から流れ出る谷水だけでは、その広大な水田を潤すに十分な水量を確保する事ができなかったのである。そこで人々は、四万十川の豊富な水を農業に利用しようと堰を築き、水路を通して水田まで水を引いたのである。壱斗俵集落の北には、明治27年から36年にかけて掘られた全長343メートルの法師ノ越水路トンネルが残されており、また市生原(いちうばら)集落には、明治末期から大正時代にかけて築かれた、高さ2メートル、全長300メートルの石積みの堤防を見る事ができるなど、先人たちがいかに苦労してこれらの水田を作り、守ってきたのかをうかがい知る事ができる。




轟集落に隣接する、三島中州の水田

 窪川を過ぎ、佐賀取水堰の辺りにまで来ると、四万十川は激しく穿入蛇行を繰り返し、その流域は再び急な谷に囲まれた険しい土地となる。この一帯は耕作に適した平地が少なく、轟集落における三島中州に作られた水田など、人々は限られた土地を有効的に利用して農業を営んできた。しかしながら、やはり農業の規模は小さく、この地で生きていくには副業が不可欠であった。小野集落では稲作などの農業の他、四万十川の豊かな水運を利用して、木材を筏状に組んで下流に運ぶ、筏師を行うものが多くいた。また水量の減る渇水期には、周辺で取れるコウゾを使った和紙の生産が盛んに行われ、その丈夫な仙花紙は帳簿用紙や台帳用紙として重宝されていたという。




対岸から見る小野集落
整然と作られた階段状の棚田は、戦後の灌漑工事により開発されたものだ

 四万十川の主要支流である梼原川は、四万十町の西北に隣接する檮原町から流れ出で、大正集落にて四万十川と合流する。水量は豊富だが川幅が狭いため流れが速く、かつては水運が盛んで木材の筏流しの他、木炭やコウゾなどが舟で運ばれていた。ただし、現在は津賀ダムが存在し、それより下流の水量は少なくなっている。昭和初期には梼原川沿いに大正林道という森林鉄道も敷かれ、そのトンネルや橋が今でも残っている。また、梼原川の支流である中津川の流域にある大正中津川集落は、斜面に拓かれた棚田や段畑で耕作を行いつつ、森林を管理して良質な木材を育てている。江戸時代、この付近は幕府によって伐採が厳しく制限されていた、御留山(おとめやま)であった。

2010年07月訪問




【アクセス】

JR土讃線「窪川駅」、JR予土線「土佐大正駅」、「土佐昭和駅」、「江川崎駅」などを拠点に徒歩か車で。

窪川駅から中土佐町大野見までは高南観光自動車のバスが出ている(1日3本)。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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