江戸城跡

―江戸城跡―
えどじょうあと

東京都千代田区
特別史跡 1963年指定


 江戸城は、慶長8年(1603年)より264年続いた江戸徳川の居城である。幕府が滅び、江戸城の跡地は皇居や公園などになった。そこに今でも残る、内濠や石垣を中心としたかつての江戸城本城の一部が、1963年に江戸城跡として特別史跡に指定された。




江戸城内濠の石垣

 江戸城は江戸時代以前、長禄元年(1457年)に太田道灌によって築城された。その後の天正18年(1590年)、豊臣秀吉による小田原の役が起きて北条氏が滅亡すると、北条氏が治めていた関東六州を与えられた徳川家康が江戸城に入城、その居城とする。




本丸へと続く要所、中の門
この手前には百人番所があり厳重な警備がなされていた

 江戸幕府を開いた家康は江戸城の増築を開始。さらに秀忠、家光の三代に渡り増築は続けられ、江戸城は整えられた。それまでの本城であった本丸、二の丸、三の丸に加え、西の丸や吹上、北の丸などを拡張、その内濠の長さは16kmにもなる。さらに外郭も整備され、江戸城はその総構面積が世界一の巨大城郭となった。




現在も本丸跡東に残る天守台

 江戸城の天守は慶長11年(1607年)より三度建造されている。特に最後に作られたものは、石垣を含めた高さが80mを越えるという日本史上最大の天守であった。しかし、明暦3年(1657年)に起きた明暦の大火によって本丸と共に焼失してしまう。再建の話が上がり天守台が作られたが、天守再建より江戸の町の復興を最優先とし、また世の中が安定したこの時代、天守はもはや不要とされ、それ以降天守が再建されることはなかった。




濠越しに見る重要文化財の清水門

 江戸城は本丸を中心に螺旋を描くような縄張りを持つ。濠は螺旋状に作られ、それぞれのエリアは門によって仕切られて、城郭の見通しの良い角部分19箇所には櫓が置かれていた。中でも三重の富士見櫓は、焼失した天守の代わりにも使われていたという。また、櫓と櫓の間には、倉庫兼防御壁の建物である多聞を配し、防御性を高めていた。




関東大震災の被災後に復元された桜田巽櫓

 明治時代になると京都御所から江戸城に皇室が移り、西の丸と吹上が皇居となった。同時に門や櫓、多聞の多くが撤去され、また残された建造物も関東大震災で多大なる被害を受けた。かつての江戸城の櫓として伏見櫓、富士見櫓、桜田巽櫓の三基が現存するが、いずれも関東大震災で損壊したものを解体、復元したものである。一方で、西の丸下の外桜田門と、北の丸の清水門および田安門の3つの枡形門は往時からのものであり、貴重な江戸城跡の遺構として重要文化財に指定されている。

2007年05月訪問
2012年01月再訪問




【アクセス】

東京地下鉄、営団地下鉄「大手町駅」より徒歩約5分。
「東京駅」より徒歩約10分。

【拝観情報】

拝観自由。

皇居東御苑(江戸城跡主要部分)は拝観時間があり、
3月1日〜4月14日は9時〜16時30分(入園は16時まで)、
4月15日〜8月末日は9時〜17時(入園は16時30分まで)、
9月1日〜10月末日は9時〜16時30分(入園は16時まで)、
11月1日〜2月末日は9時〜16時(入園は15時30分まで)。

皇居(巽櫓、伏見櫓、二重橋など)の拝観は事前申し込みが必要。

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