名古屋城跡

―名古屋城跡―
なごやじょうあと

愛知県名古屋市
特別史跡 1952年指定


 尾張は那古野(なごの)台地の北の端、そこは慶長15年(1610年)に徳川家康が建てた屈指の名城、名古屋城が置かれていた場所である。かつての名古屋城は、金のシャチホコで有名な大天守を中心に、本丸御殿や櫓など数多くの建造物が建てられており、雄大な平城(平地に建てられた城)の景観を構成していた。




重要文化財の表二の門
門の内側は枡形であり攻め入りにくい作りとなっている

 江戸時代に建てられた近世城郭の名古屋城は、もとは戦国時代に建てられた中世城郭、那古野城(なごやじょう)の跡地に建てられた城であった。かつてこの地には駿河の今川氏が拠点を置いていたが、それを織田信秀が倒し、自らもこの地に拠点を置いたのが那古野城の始まりだ。なお、この那古野城は、かの織田信長が生まれた城であるとされている。




同じく重要文化財の西北隅櫓(別名戌亥隅櫓)
名古屋城に現存する3つの櫓のうちの一つである

 織田信秀の後を継いだのは信長だが、信長はその居城を尾張の中心にある清須城に移し、那古野城はその後に廃城となった。それから半世紀後の1609年、徳川家康がその九男、義直の居城として、また豊臣からの防衛拠点として那古野城の跡地に名古屋城を築城するに至った。縄張は火器使用を想定しているため直線的でシンプルであり、複雑な縄張りを持つ姫路城などとは対照的だ。




二の丸跡に残る二之丸庭園は名勝に指定されている

 名古屋城を構成していた大天守をはじめとする城郭建築群は、極めて優れた質を誇っており、それの価値は姫路城を超えるほどのものであった。しかもそれらは明治の廃城令を逃れ、昭和初期まで残されていた。しかしながら、太平洋戦争の昭和20年(1945年)、大天守を含めた名古屋城の建築は際焼夷弾の直撃を受け、灰燼へと帰してしまった。




鉄筋コンクリート造で復元されている大天守

 現在の名古屋城跡に残る大天守および小天守は、戦後に鉄筋コンクリート造で建てられたものである。外観だけは失われる前の天守をおおよそ正しく再現しているものの、最上層の窓が実際より大きく取られているなど異なる点がある。




本丸御殿跡に残る礎石

 大天守や小天守とともに戦災によって失われてしまった文化財に本丸御殿がある。本丸御殿は名古屋城城主が居む御殿であり、それは京都の二条城の二の丸御殿と並ぶほどのものであった。しかし、現在はその礎石が残るのみである。現在名古屋城では、その本丸御殿をかつての姿に復元しようという話が進められている。

2007年01月訪問
2009年07月再訪問




【アクセス】

市営地下鉄名城線「市役所駅」より徒歩約5分。
名鉄瀬戸線「東大手駅」より徒歩約10分。

【拝観情報】

拝観料500円、拝観時間は9時〜16時30分、12月29日〜1月1日は休園。

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