高松塚古墳

―高松塚古墳―
たかまつづかこふん

奈良県明日香村
特別史跡 1973年指定


 飛鳥時代、ヤマト政権の中心地であった奈良県の明日香村。その南西部に広がる低丘陵地帯には、6世紀から7世紀、古墳時代末期から飛鳥時代にかけて築かれた、有力者の古墳が密集している。高松塚古墳もまた、それら明日香村に存在する数多くの古墳の一つであるが、それが他の古墳と決定的に異なっているのは、石室内部に人物や動物、星座などといった壁画が描かれている事である。それまで日本では、九州を始めとする各地において、線や円、三角形などの幾何学模様や、抽象的な図案の彫刻や彩色が施された「装飾古墳」が発見されていたが、高松塚古墳のような写実的な図案を伴う「壁画古墳」が発見されたのは、これが初めての事であった。




高松塚古墳の近くに存在する中尾山古墳
7世紀末から8世紀初頭の古墳で、文武天皇陵と考えられている

 高松塚古墳の発見は昭和37年(1962年)頃、地元住民が生姜の貯蔵穴を掘っていた際、石室を掘り当てた事による。その後しばらくは未調査のままであったが、昭和47年(1972年)の3月に発掘調査が行われ、壁画の存在が明らかとなった。それは日本考古学史上希有の大発見として話題となり、高松塚古墳は一躍その名を知られるようになる。その年の6月、高松塚古墳は国の史跡に指定され、また翌年の昭和48年(1973年)4月には特別史跡へと格上げされた。この際、壁画もまた国宝の指定を受けている。なお、その後の昭和58年(1983年)には、同じく明日香村から高松塚古墳と同様の壁画を持つキトラ古墳が発見されており、これが日本における壁画古墳の二例目となった。




高松塚古墳から出土した品々(現地案内板より)

 高松塚古墳が築かれたのは、飛鳥時代末期の藤原京期(694年〜710年)である事が分かっている。その形状は二段式の円墳で、下段の直径は約23メートル、上段の直径は18メートル、高さは約5メートルである。鎌倉時代に盗掘を受けているものの、石室内からは漆塗りの木棺片、棺に使われていた飾り金具や銅釘、副葬品である海獣葡萄鏡や太刀の金具、ガラスや琥珀の玉などが発見されている。なお、これらの出土品は、一括して昭和49年(1974)に重要文化財の指定を受けた。また、被葬者の歯や顎の骨も発見されており、それにより被葬者は40代から60代の人物と判明したが、具体的な人物としては天武天皇の皇子説、朝鮮半島系王族説など諸説あり、定まってはない。




現在、高松塚古墳の墳丘内には石室が存在しない
飛鳥歴史公園内の仮設修理施設で修理が行われている

 高松塚古墳の石室は、凝灰岩の切石を組み合わせた横口式石槨と呼ばれる形式であり、南側には棺を搬入する為の墓道が設けられている。石槨内部の空間は、横幅約1.03メートル、高さが約1.13メートル、奥行きは約2.65メートルと非常に狭隘だ。壁画は四方の壁と天井の五面に、漆喰の地塗りをした上で描かれている。この漆喰の地塗りの有無や、顔料の違いなどからも、高松塚古墳の壁画はそれまでに発見されていた装飾古墳とは、系統を異にするものである事が分かる。高松塚古墳の壁画は法隆寺金堂の壁画同様、唐や朝鮮半島など、大陸との交流を伺う事ができるものであり、またそれは壁画のモチーフが古代中国の陰陽思想に基づくものである事からも、明らかである。




高松塚古墳の壁画を代表する西壁女子群像(現地案内板より)

 四方それぞれの壁の中央には、各方角を司る四神として、北側には玄武、東側には青龍、西側には白虎が描かれている。築造当初は南側の壁にも朱雀が描かれていたはずであるが、盗掘で開けられた穴によって破壊され、現在は失われている。また青龍の上には太陽が、白虎の上には月が描かれ、奥側の左右には女子群像が、手前側の左右には男子群像が、それぞれ各4人ずつ計16人描かれている。これらの人物像はいずれも唐風の衣類をまとっており、当時の風俗を知る上で非常に重要な手がかりとなる。特に西側の女子群像は状態が良く、「飛鳥美人」として著名だ。また天井には、二十八宿法という中国の星宿(星座)が、金箔と朱の線によって描かれている。




石室の解体作業が始められた当時、2006年の高松塚古墳

 これまで高松塚古墳の壁画は、現地保存という文化財保護の原則のもと、空調設備により温度や湿度をコントロールしつつ墳丘内において保存されてきた。しかしながら平成16年(2004年)、石室内における雨水の浸入やカビの繁殖などによって、壁画の劣化が確認された。その翌年、文化庁は現地における保存、修復を断念し、石室を解体して壁画の修復を行うことを決定。平成18年(2006年)より石室の解体作業が始められ、平成21年(2009年)に完了している。なお、墳丘の復元を行う際には古墳の発掘調査も行われ、それにより古墳内に排水の為の暗渠が設けられていた事、古墳の周囲に溝が設けられていた事、地震が墳丘の地盤に影響を与えていた事などが確認された。

2006年05月訪問
2010年11月再訪問




【アクセス】

近鉄吉野線「飛鳥駅」より徒歩約15分。
近鉄吉野線「飛鳥駅」よりレンタサイクルで約5分。

【拝観情報】

拝観自由。

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