藤原宮跡

―藤原宮跡―
ふじわらきゅうせき

奈良県橿原市
特別史跡 1952年指定


 大和盆地の南部、大和三山と称される三つの丘陵によって取り囲まれたその一帯は、飛鳥時代の末期にあたる持統8年(694年)に遷都された、藤原京(日本書紀では新益京、あらましきょう)が存在した地域である。その中心を担う藤原宮は、儀式を行う為の正殿である大極殿(だいごくでん)を始め、天皇の居所である内裏(だいり)、政治を行う為の朝堂院(ちょうどういん)、各種の官衙(かんが、役所の事)などが置かれていた国家の中枢であり、和銅2年(710年)に奈良盆地北部の平城京へと遷都するまでの16年間、都の行政を担っていた。その跡地は、日本で初めて築かれた本格的な都城の大内裏跡として非常に貴重であり、遺構や遺物も多く、国の特別史跡に指定されている。




藤原宮の中心部
左奥の木々が大極殿跡、右手前の柱列が大極殿への入口である院閤門跡だ

 飛鳥時代、歴代天皇は代が替わるごとに大宮を別の場所へ移し、そこに官僚や豪族たちが通うという形で政治が執られていた。大陸の唐が周辺国に攻め入るようになると、その脅威に備えるべく、地形を活かして築かれた百済の王都、扶余を参考に、狭隘な飛鳥盆地に大宮を置いて防備を固めた。しかしながら、斉明6年(660年)に百済が滅ぼされた事で、そのような都では唐に対抗できない事が判明。新たな都市計画を講じる必要が生じた。そこで天武天皇は、唐の長安を参考にした都城、藤原京の建設を天武5年(676年)に開始。天武天皇はその完成を見る前に崩御したが、皇后である持統天皇が天武天皇の遺志を継いで完成させ、持統8年(694年)に藤原京へと遷都した。




藤原宮跡から見る天香久山
周囲には田畑が広がっている

 藤原京は、日本で初めて条坊制が採用された都城である。条坊制とは、儒教の教典である「周礼」の思想に基づく都市計画の事だ。都の中央に宮を据え、それより南へ走る朱雀大路を基軸とし、条(東西に通る道)と坊(南北に通る道)を碁盤目状に配した、左右対称、矩形のプランである。この条坊制は、後の平城京や平安京にも引き継がれたが、藤原京では大内裏を中央に置くのに対し、平城京、平安京では都の北端に大内裏を置くという点が異なる。藤原京の規模は、5.3キロメートル四方の正方形であり、これは東西4.3キロメートル、南北4.8キロメートルの平城京や、東西4.5キロメートル、南北5.2キロメートルの平安京よりも大きく、藤原京は古代で最大規模を誇る都城であった。




朱雀門より南に伸びる藤原京朱雀大路跡(国指定史跡)
この幅の道が、1.5メートル続いていた

 藤原京の大内裏である藤原宮は、一辺が約1キロメートルの、正方形の敷地を持つ。その周囲は高さ5.5メートル程の大垣によって囲まれており、その外側には5メートル、内側には3メートルの濠が巡らされていた。城門は一辺に3箇所ずつ、計12の門が構えられており、中でも南面中央に存在していたのが藤原宮の正面玄関、朱雀門だ。朱雀門から南へは、藤原京のメインロードである朱雀大路が伸びており、それは日高山丘陵を越え、飛鳥川を渡り、藤原京の入口にあたる羅生門まで、およそ1.5キロメートル続いていたと考えられている。なお、朱雀大路の路面幅は約19メートル、両端に排水の為の側溝が設けられており、その側溝を含めると約24メートルだ。




大極殿跡に生い茂る木々

 藤原宮の内部は、西部、中央部、東部の三区画に分けられる。そのうち、西部と東部には官衙が集い、中央部には朱雀門から北へ朝堂院、大極殿、内裏が並んでいた。その中でも特に重要な建物である大極殿は、幅約45メートル、奥行き約21メートル、高さ約25メートルの規模であり、もちろん当時は日本最大の建造物であった。官衙や内裏の建物は、地面に穴を掘って柱を立てる掘立柱建物であったのに対し、大極殿と朝堂院は礎石を据えてその上に柱を建て、また屋根は瓦葺きであった。瓦で葺かれた宮殿建築は、この藤原宮大極殿が日本で初めてである。なお、これら藤原宮の建造物は、平城京へ遷都した際に平城宮へと移築され、奈良時代にも引き続き使用されていた。




朱雀門跡付近から大極殿方向を望む
奥には大和三山の一つである耳成山がそびえている

 藤原宮からは、北に耳成山(みみなしやま)、西に畝傍山(うねびやま)、東に天香久山(あまのかぐやま)を、それぞれ望むことができる。大和三山と称されるこれらの山々は、有力豪族の祖神や産土神など、神々が静まる山として神聖視され、古くより人々の信仰を集めてきた。現在もその山頂や麓には、日本書紀に記述がある天香具山社、延喜式式内社である畝火山口坐神社、耳成山口神社が祀られている。万葉集、古今和歌集、新古今和歌集などには大和三山について詠んだ和歌も多く、2005年に三山まとめて国の名勝に指定された。藤原京を造営する際の立地条件としてもこれら大和三山は極めて重要視され、藤原宮が大和三山の中央に位置するのもただの偶然ではない。

2007年01月訪問
2009年09月再訪問
2011年03月再訪問




【アクセス】

近鉄「大和八木駅」より橿原市コミュニティバスで約20分、「橿原市藤原京資料室バス停」下車すぐ。
近鉄「大和八木駅」より徒歩約40分。
近鉄「畝傍御陵前駅」より徒歩約30分。


【拝観情報】

見学自由。

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