讃岐国分寺跡

―讃岐国分寺跡―
さぬきこくぶんじあと

香川県高松市
特別史跡 1952年指定


 奈良時代の天平13年(741年)、当時の日本を脅かしていた天災、疫病、内乱などの様々な情勢不安から人々を救うため、聖武天皇は各国に一寺ずつ、国分寺と国分尼寺を建てよという「国分寺建立の詔」を発した。讃岐国分寺もまた、その際に建立された国分寺のうちの一つである。瀬戸内海に面した五色台と呼ばれる山塊の主峰の一つ、太平山の南麓に築かれた讃岐国分寺は、奈良の高僧である行基(ぎょうき)によって開基されたと伝えられている。なお、全国の国分寺はおおむね天平宝字年間(757〜765年)頃に完成したとされるが、讃岐国分寺はそれよりも若干早くに完成したようで、天平勝宝8年(756年)には既に讃岐国分寺が存在したとみられる記述が続日本紀にある。




現在の讃岐国分寺本堂(重要文化財)
鎌倉時代、創建当時の講堂跡に再建された

 平安時代初期の弘仁年間(810〜824年)には、四国を巡錫していた弘法大師空海が讃岐国分寺を訪れ、痛んでいた本尊や堂宇の修理を行ったとされる。時代が進み、武家勢力が政治の主導権を握るようになると、それまで中央集権的な律令制を敷いていた朝廷の力が弱まり、その財政的支援によって支えられていた全国の国分寺と国分尼寺は、瞬く間に衰退してしまう。讃岐国分寺もまたその例に漏れず、他の国分寺と同様に廃れていったのだが、真言宗の開祖である空海に縁のある霊場として信仰を得ていた為か、鎌倉時代には創建時の講堂跡に残っていた礎石をそのまま利用して、立派な本堂が再建されている。その時建てられた本堂は今もなお現存し、重要文化財に指定されている。




覆屋内で公開されている僧坊の遺構

 その後、四国に点在する空海ゆかりの霊場を辿る巡礼、いわゆる四国遍路が盛んになると、讃岐国分寺もまたその霊場の一つとして参詣者が訪れるようになる。本堂に安置されている本尊の千手観音立像は、平安時代後期に刻まれたもので重要文化財に指定されているが、それには「弘治三丁六月二十八日四国中辺路同行二人」「大永八年五月二十日安芸宮島一之浦同行四人南無大師遍照金剛」という、室町時代にあたる16世紀の落書きがあるという。なお、中世の頃、四国遍路を行うのは僧侶や行者が主であったというが、江戸時代になるとそれが庶民の間にも広まり、讃岐国分寺は四国八十番札所の第80番札所として、現在に至るまで数多くの参詣者によって賑わってきた。




敷地内には、在りし日の国分寺の模型が作られている

 創建当時の讃岐国分寺は、東西約220メートル、南北約240メートルという広大な寺域を有し、その周囲は築地塀によって囲われていた。現在もかつての寺域の西端と北端に、築地塀の跡である土塁が残されている。その伽藍は主要建造物が寺域の西半分に置かれる西中央方式であり、その配置は、南大門、中門、金堂、講堂が南北一直線上に建ち並び、中門から金堂へは回廊が矩形状に巡らされていた。数ある国分寺において、最も一般的な伽藍配置である国分寺式では、これに加えて七重塔が回廊の外側に建てられるが、この讃岐国分寺では七重塔は回廊の内側、金堂から向かって右手前に建てられていた事が分かっており、大官大寺式に近い伽藍配置である。




塔跡に残る礎石群
心礎の上に立っているのは、鎌倉時代の作とみられる石塔だ

 現在、創建当時の建造物は存在しないが、かつての主要建造物の礎石がほぼ完全な状態で現存しており、創建当時における建物の規模を推測する事が可能である。寺の中心を担う金堂(仏像を安置する建物)は、基壇の規模が横幅34.9メートルで奥行きは21.3メートル、建物は桁行七間に梁間四間である。金堂の背後に建つ講堂(僧侶が学習したり、説法を説く建物)は、現在の本堂とほぼ同じサイズであったと考えられ、その建物の規模は、桁行五間に梁間五間だ。七重塔は、基壇の規模が17.8メートル四方。建物は10.1メートル四方で、高さは63メートル程と推測されている。なお、その塔跡に残る心礎の上には、鎌倉時代に作られたとみられる石造の七重塔が置かれている。




平安時代初期に作られた、古式の特徴が見られる銅鐘(重要文化財)

 讃岐国分寺に残る他の遺構としては、講堂の裏手より僧坊跡が発見されている。その規模は、基壇の横幅が87.9メートル、奥行きは16メートル、建物は桁行が83.9メートルで、梁間は12メートルである。これは、全国の国分寺に見られる僧坊跡の中で、最大規模のものだ。また、伽藍の西側からは掘立柱の建造物跡が、伽藍の東側からは鐘楼跡も発見されている。現在、境内に建つ鐘楼に吊るされている銅鐘は、奈良時代の特徴を残しつつ、平安時代の特徴も見られるものである。平安時代の初期に鋳造されたものと考えられ、香川県最古の梵鐘として、重要文化財の指定を受けている。かつては、発掘された位置にあった創建当時の鐘楼に吊るされ、時を告げていたのであろう。

2007年11月訪問
2011年06月再訪問




【アクセス】

JR予讃線「国分駅」より徒歩約5分。

【拝観情報】

境内自由。

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