興福寺北円堂、興福寺三重塔

―興福寺北円堂―
こうふくじきたえんどう
国宝 1952年指定

―興福寺三重塔―
こうふくじさんじゅうのとう
国宝 1952年指定

奈良県奈良市


 飛鳥時代から奈良時代へと移り、都が平城京に遷都したその際、時の権力者、藤原不比等(ふじわらのふひと)は、飛鳥の厩坂寺(うまやさかでら)を春日野の台地西端に移転し、興福寺とした。以降、興福寺は藤原氏の氏寺として、また法相宗の大本山として隆盛を極め、平安時代には大和国を実質の支配下に置くほどの一大勢力になる。明治時代には廃仏毀釈の嵐により寺院の解体がなされ、その境内は奈良公園の一部と化したものの、主要堂宇だけは何とか破壊を免れ、その後復興を遂げた。そうして今に残る興福寺境内の西部分、高台から平城京を見渡す位置に、北円堂と南円堂、三重塔がたたずんでいる。このうち北円堂と三重塔は、興福寺に残る最古級の建造物であり、国宝に指定されている。




藤原不比等の菩提を弔う為に建てられた北円堂

 北円堂は、藤原不比等の死後一周忌にあたる養老5年(721年)に、女帝の元明天皇(げんめいてんのう)とその娘である元正天皇(げんしょうてんのう)の発願によって建てられた八角円堂である。八角円堂とは、その名の通り八角形の平面を持つ仏堂の事だ。往時はその周囲を回廊が取り囲み、西院円堂などと呼ばれていたという。平安時代の治承4年(1180年)、平清盛(たいらのきよもり)は平氏に反抗的な奈良の寺院勢力を討つべく、平重衡(たいらのしげひら)に命じて東大寺や興福寺を攻め、その建物をことごとく焼き払った。いわゆる南都焼き討ちである。それにより北円堂もまた他の堂宇同様焼失し、現在のものは鎌倉時代前期の承元4年(1210年)に再建されたものである。




北円堂の垂木と組物
垂木が三段の三軒(みのき)で、地垂木が六角なのが珍しい

 鎌倉時代の再建とはいえ、北円堂の建築様式は基本的に創建当時のものを踏襲しており、古式の姿を良く残している。ただし細部に関しては、柱に穴を開けて梁を通す貫(ぬき)など、鎌倉時代に宋より伝来した大仏様の要素も認められる。全部で八面のうち東西南北の四面に板扉が開き、残りの四面には連子窓(れんじまど)が設けられている。なお、北円堂という名が示すとおり、その南には南円堂という八角円堂がある。南円堂は、藤原冬嗣(ふじわらのふゆつぐ)が弘仁4年(813年)、父親の菩提を弔う為に建てたもので、北円堂を一回り大きくし、向拝(こうはい)を付けたような形状である。しかしこちらは江戸時代、寛政元年(1789年)の再建と比較的新しく、重要文化財の指定である。




南円堂の裏手に位置する三重塔と水子地蔵

 北円堂の内部には、鎌倉時代を代表する名仏師、運慶(うんけい)が刻んだ弥勒仏坐像を中心として、同じく運慶の作であり、鎌倉時代における写実主義の最高峰と名高い無著(むちゃく)、世親(せしん)菩薩立像や、ユーモラスな表情が印象的な平安時代初期の四天王立像など、諸仏が安置されている。天井の天蓋には金箔できらびやかに蓮の花が描かれているが、これは外光を反射させ、仏像を照らすように設計されているものだ。また、部分的に彩色も施されており、華やかな印象となっている。一方、南円堂の内部には、運慶の父親である康慶(こうけい)が文治5年(1189年)に完成させた不空羂索(ふくうけんさく)観音坐像と、鎌倉時代に作られた四天王立像が安置されている。




初重が大きく、極めて安定感のある三重塔だ

 南円堂の裏手、一段低くなった場所には三重塔が建っている。興福寺の他の主要建造物よりやや遅く、平安時代末期の康治2年(1143年)、崇徳天皇(すとくてんのう)の皇后である藤原聖子(ふじわらのきよこ)の発願で建てられたものであるが、やはり南都焼き討ちにより焼失している。現在のものは、正確な建立年こそ判明してはいないものの、その建築様式から考えるに、鎌倉時代初期の興福寺復興の際に再建されたとされている。総高は約19メートル。二重、三重の大きさはさほど変わらないが、初重の柱間のみかなり大きく作られており、安定感がある。各パーツも繊細かつ優美であり、平安時代における塔の様式を受け継いだ、風情のある三重塔に仕上がっている。




三層のうち、唯一出組を使用する初重部分

 塔の組物は、通常二手先や三手先を使用する。しかし興福寺三重塔は初重のみ、屋根の大きさに比べて柱間が広くなっている為、その組物は出組(一手先)であり、二重、三重には通常通りの三手先が使われている。どの層も、三間のうち中央間に板戸を設けており、両脇間には連子窓がはめられている。中備は初重のみ三間とも間斗束が入るが、二重目は中央間のみに間斗束を入れ、三層目に至っては中備が存在しない。内部は四天柱を板でX字状に仕切り、そのうち東側に薬師如来、南側に釈迦如来、西側に阿弥陀如来、そして東側には弥勒如来が、各1000体描かれており、また柱や壁、長押(なげし、柱を繋ぐ横材)などには浄土の風景が表されている。このような彩色は他に無く、独特である。

2006年12月訪問
2009年01月再訪問
2010年04月再訪問




【アクセス】

近鉄奈良線「近鉄奈良駅」から徒歩約5分。
JR奈良線「奈良駅」から徒歩約15分。

【拝観情報】

境内自由。
北円堂内部はは春と秋の特別開扉で拝観が可能。

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