法隆寺三経院及び西室、法隆寺西円堂

―法隆寺三経院及び西室―
ほうりゅうじさんぎょういんおよびにしむろ
国宝 1955年指定

―法隆寺西円堂―
ほうりゅうじさいえんどう
国宝 1955年指定

奈良県生駒郡斑鳩町


 飛鳥時代の推古天皇15年(607年)に聖徳太子が創建したと伝わる法隆寺。その中核にあたる西院(さいいん)伽藍は金堂と五重塔を東西に並べ、それらの北側に大講堂を、南側に中門を配し、中門から大講堂へ伸びる廻廊によって聖域を区画している。廻廊の西側に隣接する「西室」はかつての僧房であり、その南に接続する「三経院」は僧房の一部を改修して築かれた仏堂だ。廻廊の東側に建つ「東室」及び「聖霊院」と共に古代寺院における三面僧房の様相を伝える存在として国宝に指定されている。また西院伽藍の北西端に位置する小高い丘には鎌倉時代に築かれた「西円堂」が建っている。奈良時代の風情を残す八角円堂として貴重な建造物であり、こちらもまた国宝に指定されている。




三経院は聖徳太子が著した『三経義疏』にちなみ名付けられた
聖霊院と共に寝殿造の対屋(たいのや)を思わせる住宅風仏堂である

 「三経院及び西室」は桁行十九間と南北に長い建造物である。そのうち南側七間を三経院、北側十二間を西室とする。梁間は正面が五間であり、背面は四間、屋根は一重の切妻造で本瓦葺だ。三経院は法華経(ほけきょう)、維摩経(ゆいまきょう)、勝鬘経(しょうまんぎょう)の三経を講じる道場である。その正面にあたる南側の妻面には一間の通り庇と向拝を付しており、それらは檜皮葺である。創建時は廻廊により近い位置に建っており、全体が僧房として利用されていた。当初のものは承暦年間(1077〜1081年)に焼失しており、現存する三経院は鎌倉時代前期の寛喜3年(1231年)の再建である。西室の部分は少し遅れて文永五年(1268年)に建立された可能性が高いとされる。




三経院及び西室の東側面
手前の高欄がある部分が三経院で、その背後が西室だ

 「三経院及び西室」は嘉元三年(1305年)や貞和五年(1349年)に内部の改装が行なわれており、その後も幾度となく間仕切りが変更されてきた。昭和6年(1931年)から行われた解体修理によって三経院は当初の姿に復原され、西院は外観が整備された。三経院は正面を蔀戸、側面を板戸とする住宅風の仏堂であり、東院の聖霊院とよく似た外観となっている。三方に高欄付の縁を設け、柱間装置は正面が蔀戸、両側面は板扉、蔀戸、連子窓である。西室は二間で一房を成す僧房であり、当初は小部屋で区切られていた。内部の復原は柱列だけに留められ、現在は間仕切りのない一室としている。柱間装置は扉と連子窓が交互に連続し、北端間には板扉を入れ、背面は全て壁となっている。




西円堂は一段高い丘の上に築かれている

 西室の北西に建つ「西円堂」は、奈良時代初頭の養老二年(718年)に光明皇后の母である橘夫人の発願によって行基(ぎょうき)が創建したと伝わる。しかしながら天平19年(747年)成立の『法隆寺伽藍縁起并流記資財帳』には西円堂についての記述はない。創建当初の建物は平安時代後期の永承五年(1050年)に破損し、本尊は長らく講堂に移されていた。鎌倉時代中期の建長二年(1250年)に現在の西円堂が再建され、その後の応永五年(1398年)、慶長年間(1596〜1615年)、元禄年間(1688〜1704年)などに修理が行われ、文政八年(1825年)には唐破風造の向拝が付け加えらえた。昭和九年(1934年)の修理において向拝部分を切り離し、今に見る姿に整えられた。




鎌倉時代の再建だが奈良時代の趣を見せる西円堂
東院伽藍の八角円堂「夢殿」より簡素な作りとなっている

 「西円堂」は壇上積基壇に礎石を置き、八角柱を立てて築かれている。側柱の礎石は自然石であるが、入側柱の礎石は創建当初の凝灰岩切石が用いられている。側柱の組物は三斗組であり、中備は間斗束だ。入側柱の上には大斗を置いて桁を直接受け、中備は皿斗の付いた間斗とし、側柱と入側柱の間には繋虹梁と飛貫を入れている。軒は二軒の繁垂木、本瓦葺屋根の頂上には露盤と宝珠を乗せている。柱間装置は四面に扉を開き、正面の左右は連子窓、背面側は土壁とする。内部には二重の須弥壇を据え、床は石敷とし、天井は張らずに化粧屋根裏を見せている。全体的に天平期の風情を残しているが、皿斗の付いた間斗など鎌倉時代に大陸から伝来した大仏様の影響を見ることができる。




西円堂を正面から仰ぎ見る
内部に安置されている薬師如来坐像は「峯の薬師」と呼ばれ信仰を集めている

 「西円堂」の須弥壇には奈良時代に脱活乾漆造で築かれた本尊の薬師如来坐像(国宝)が安置されており、その周囲には鎌倉時代から室町時代にかけて築かれた木造十二神将像(重要文化財)が、東側には平安時代の木造千手観音像(重要文化財)、北側には江戸時代の不動明王像が配されている。薬師如来坐像は像高約2.4メートルの丈六座像(一丈六尺=約4.8メートルの仏像、座像はその半分の高さ)であり、これは脱活乾漆造として日本最大級である。八角形の裳懸座に鎮座しており、光背は鎌倉時代の後補であるが、二重の円相には七仏薬師と千体仏が取り付けられている。均整の取れた姿や力強く太い衣文などに制作当時の姿を良く残しており、天平末期の仏教美術を今に伝えている。

2006年05月訪問
2010年04月再訪問
2022年04月再訪問




【アクセス】

・JR関西本線「法隆寺駅」から徒歩約20分。
・JR関西本線「法隆寺駅」から奈良交通バス「法隆寺参道」行きで約10分、「法隆寺参道」バス停下車、徒歩約5分。
・近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から奈良交通「法隆寺前」行きバスで約30分、終点下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

・開門時間:7時〜17時30分。

【参考文献】

聖徳宗総本山 法隆寺
法隆寺法隆寺三経院及び西室|国指定文化財等データベース
法隆寺西円堂|国指定文化財等データベース
・講談社MOOK 国宝の旅

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