東大寺金堂(大仏殿)

―東大寺金堂(大仏殿)―
とうだいじこんどう(だいぶつでん)

奈良県奈良市
国宝 1952年指定


 数多くの寺院が林立する古都奈良において、最も有名な寺院はどこかと問われれば、十中八九、東大寺だと答えるであろう。「奈良の大仏」としてあまりに著名な盧舎那(るしゃな)仏を本尊とする東大寺は、奈良時代に平城京を中心として栄えた南都六宗(なんとりくしゅう)の一つ、華厳宗の大本山である。それは古代から現在に至るまで多大なる信仰を集め、中世には多数の荘園を持ち、また興福寺と共に僧兵を抱え、一大勢力として南都に君臨していた。その広大な境内には、多数の古建築、古仏が現在にまで残されており、国宝に指定されているものも数多い。中でも東大寺のシンボル的存在として境内の中心に聳えるのが、盧舎那仏坐像を安置する大仏殿こと東大寺金堂である。




内部に盧舎那仏坐像を祀る東大寺大仏殿
正面の唐破風下には大仏を拝顔できる観相窓が設けられている

 奈良時代中期の天平年間。それは天然痘が流行し、干ばつが続いて飢餓が起き、また大地震が都を襲うなど、災厄の時代でもあった。聖武天皇は仏教を通じて国家泰平を図るべく、国分寺と国分尼寺を各国に作らせる詔(みことのり)を天平13年(741年)に発した。そうして作られた全国68ヶ所の国分寺のうち、東大寺は国分寺の総本山として創建された、大和国の国分寺である。さらに天平15年(743年)、聖武天皇は盧舎那大仏造立の詔を発し、その造立は天平19年(747年)より始められた。それは日本史上最大の国家事業として数多くの優秀な技術者のもと、膨大なる費用と時間をかけて進められていった。鋳造が全て完了したのは、天平勝宝元年(749年)の事であるという。




大仏殿の前には創建当初より残る金銅八角灯篭(国宝)が据えられている

 大仏殿の建立は、大仏の完成後程無くして開始され、天平宝字2年(758年)に竣工した。併せて、金堂の背後に講堂が、左右前方には西塔と東塔がそれぞれ建てられ、国分寺式の大伽藍が整備された。しかしながら、平安時代末期の治承4年(1181年)、平氏に反抗的な南都に対して平清盛(たいらのきよもり)が焼き討ちを命じ、平重衡(たいらのしげひら)らがこれを実行、東大寺の主要建造物は焼き払われ、大仏殿もまた失われてしまった。大仏殿はその後間も無くの建久元年(1190年)に再建されたものの、今度は戦国時代の永禄10年(1567年)、三好家の主導権を巡って争っていた松永久秀(まつながひさひで)と三好三人衆が東大寺で激突。結果、大仏殿は二度目の焼失を喫した。




六手先(むてさき)の組物とそれらを水平に繋ぐ挿肘木(さしひじき)が壮観だ

 現在の大仏殿は二度目の焼失から約150年後、江戸幕府五代将軍徳川綱吉(とくがわつなよし)の寄進を得て再建されたもので、その竣工は宝永2年(1705)である。外観では二階建てのように見えるが、下の屋根は裳階(もこし)と呼ばれる庇であり、内部は天井の高い広大な空間が作り出されている。建物本体の規模は桁行五間に梁間五間、裳階を含めると桁行七間(約57メートル)に梁間七間(約50メートル)となる。高さは約47メートルだ。なお、初代及び二代目の大仏殿は今の三代目より横幅が広く、裳階を含めた桁行は11間(約94メートル)であった。しかし江戸時代中期には十分な木材が確保できなくなり、また予算も限られていた事から、横幅を縮小しての再建となったのだ。




「奈良の大仏」こと盧舎那仏坐像
蓮弁の台座上に結跏趺坐をし、右手は施無畏印、左手は与願印を結んでいる

 奈良時代に建てられた初代大仏殿は、和様の建造物を単純に拡大したものであったという。しかし、和様は大量の木材を必要とする複雑な構造であり、また巨大建築とするには強度的に問題があった事から、鎌倉時代初期に再建された二代目の東大寺大仏殿は、宋から伝来した技術をもって再建された。その新たな建築様式は、この大仏殿を建てるに用いられた事から大仏様と称されている。三代目の現大仏殿もまた大仏様をベースとしており、それに和様を織り交ぜた折衷様である。大仏様独特の六手先組物が前へと迫り出し、また60本もの柱が貫と呼ばれる水平材で連結され、壮大な内部空間を作り出している一方、天井には和様特有の小組格天井が張られている。




柱と貫が広々とした内部空間を作り出している
なお、柱は芯材の外側に別材を巻き付け、金輪で締め上げた集成材だ

 大仏殿に鎮座する大仏こと盧舎那仏は、華厳経において宇宙を遍く照らす仏である。東大寺の盧舎那仏坐像は、像高約14.7メートルというその超越的な存在にふさわしいスケールで作られており、国宝に指定されている。土を盛り固めた鋳型を用いて鋳造された銅像で、かつてはその上に金メッキが施され、堂内を金色に照らしていた。なお、大仏殿が二度に渡って焼失した際、大仏もまた甚大なる被害を受けている。その為、頭部は江戸時代の補修、胴部の大部分は鎌倉時代の補修によるもので、奈良時代のものは腹や指、台座の一部のみだ。盧舎那仏の左右には、江戸時代に作られた木造の如意輪観音坐像、虚空蔵菩薩坐像(共に重要文化財)が脇侍として安置されている。

2006年12月訪問
2010年04月再訪問




【アクセス】

近鉄奈良線「近鉄奈良駅」より徒歩約15分。
JR奈良線「奈良駅」より徒歩約25分。

【拝観情報】

拝観料500円。
拝観時間は11月〜2月が8時〜16時30分、3月は8時〜17時、4〜9月が7時30分〜17時30分、10月が7時30分〜17時。

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