東大寺開山堂、東大寺鐘楼

―東大寺開山堂―
とうだいじかいさんどう
国宝 1953年指定

―東大寺鐘楼―
とうだいじしょうろう
国宝 1951年指定

奈良県奈良市


 奈良時代、平城京の東に位置する若草山の麓に、金鐘寺(こんしゅじ)という寺院が存在した。それは、聖武天皇の皇太子の菩提を弔う為、良弁(ろうべん)という僧侶が天平5年(733年)に開いた寺院だ。天平13年(741年)には、聖武天皇が全国に国分寺を置く詔(みことのり)を発し、聖武天皇の崇敬を受けていた良弁の金鐘寺は全国国分寺の総本山、いわゆる東大寺へと改められた。天平勝宝4年(751年)、良弁は東大寺の初代別当(住職)に就任し、以降は東大寺の開山として代々祀られていく。かつて金鐘寺が置かれていた東大寺大仏殿東方の高台には、良弁を祀る開山堂が鎮座する。この開山堂は、大仏様の建築様式を今に伝える数少ない建造物の一つとして、国宝に指定されている。




東大寺開山堂は、宝形造の本瓦葺屋根を持つ、小ぶりなお堂である

 東大寺開山に尽力した良弁は、天平宝字7年(763年)に僧正へと昇り、宝亀4年(773年)の閏11月16日に入滅した。それから246年後、平安時代の寛仁3年(1019年)12月16日に、良弁の忌日法要である良弁忌が初めて実施された。東大寺開山堂は、その良弁忌を行うに際して創建されたと考えられている。現存する開山堂は、鎌倉時代の正二2年(1200年)に俊乗房(しゅんじょうぼう)重源(ちょうげん)によって建て替えられたものである。ただし重源上人が建てたのは、現在の開山堂の内陣部分(一間四方)のみであった。その50年後にあたる建長2年(1250年)、開山堂は現在の位置へと移築されたのだが、その際に外陣部分が増築され、現在に見られる三間四方の姿となったのだ。




外観は和様を基調としているが、桟唐戸や貫など、大仏様の影響も見られる

 重源上人は、平安時代末期に平氏によって南都が焼き払われた際、大勧進職に就いて東大寺を復興に導いた人物である。大仏殿や南大門を再建するにあたり、重源上人は宋から伝来した建築技法である大仏様を採用した。重源上人の遺構であるこの開山堂もまた大仏様で建てられている。ただし、その後に増築された外陣部分は日本古来の建築様式である和様を基調に建てられている。それ故、外観は一軒の平行垂木、円柱に大斗を置いてその上に肘木を乗せた大斗肘木(だいとひじき)の組物であるなど、和様の特徴が強く出ている。しかしながら、建物の前後中央間に桟唐戸(さんからど)が用いており、また長押(なげし)を使用しないなど、大仏様の影響も認める事ができる。




大仏様を基調としながら、禅宗様の要素も見られる東大寺鐘楼

 大仏様で建てられた内陣は、手前へせり出す挿肘木(さしひじき)で組まれた三手先(みてさき)の組物に、皿斗(さらと)や繰型(ぐりがた)の付いた木鼻(きばな)など、純粋な大仏様の特徴を呈している。柱間の中備(なかぞえ)には板蟇股(いたかえるまた)が入れられ、その上には双斗(ふたつど)が乗る。内陣内部の天井は、骨を放射状に配して板を張ったもの。その下には須弥壇と厨子が据えられており、厨子内には開山堂の創建時に彫られたとされる良弁僧正坐像が祀られている。この像は檜材の一木造で、長らく秘仏であった事から彩色の状態が非常に良く、国宝である。また、その手に持つ如意(にょい)は奈良時代のもので、良弁が愛用していた品であると伝わっている。




柱や梁は極めて太く、繰型が施された貫で堅固に固められている

 開山堂などが集まる高台から大仏殿へ下る途中には、鐘楼ヶ丘と呼ばれる開けた一角が存在する。鐘楼ヶ丘という名の通り、そこには堂々たる構えの鐘楼が建つ。鐘楼に吊るされた梵鐘は「奈良の大仏」完成直後の天平勝宝4年(752年)に鋳造されたもので、高さ3.85メートル、口径2.71メートル、重さは26.3トンと、古代梵鐘の中では最大のものだ。意匠は素朴ながら力強く、奈良時代における梵鐘の代表例として国宝である。それを吊るす鐘楼もまた、梵鐘の鋳造と同時に建てられたとされるが、現在のものは鎌倉時代前期の承元年間(1207〜1210年)、重源上人の後を継いで大勧進職に就いた栄西が再建したものだ。この鐘楼もまた、鎌倉時代の傑作として国宝に指定されている。




古代の鐘の中で最も巨大な東大寺梵鐘

 東大寺鐘楼の梁組は、太い丸柱に貫(ぬき、柱に穴を空けて貫通させる水平材)を通すという、重源上人より受け継がれた大仏様が用いられている。しかし、軒は組物を密に配す詰組(つめぐみ)となっているなど、禅宗様の特徴が見られるのが特徴だ。屋根は本瓦葺の入母屋造だが、その軒は大きく反り上がっている。この反りもまた禅宗様の特徴である。重源が宋から日本にもたらした大仏様と同様、禅宗様もまた宋より伝わった建築技法であるが、日本において禅宗様が本格的に用いられるようになるのはもっと後の時代である。鐘楼を再建した栄西は宋に渡った経験があり、そこで見た建築様式を部分的に取り入れたと考えられている。いわば、禅宗様建築の先駆け的な建築と言えよう。

2006年12月訪問(鐘楼)
2010年12月訪問(開山堂)
2010年03月再訪問(鐘楼)
2010年04月再訪問(開山堂)
2018年11月再訪問(鐘楼)




【アクセス】

近鉄奈良線「近鉄奈良駅」より徒歩約20分。
JR奈良線「奈良駅」より徒歩約30分。

【拝観情報】

鐘楼は境内自由。

開山堂は通常非公開で、敷地の外から外観を望める程度だが、毎年12月16日の良弁忌にて内部拝観(良弁僧正坐像含む)が可能である(法要終了後、11時頃から16時頃まで。拝観無料)。

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