円覚寺舎利殿

―円覚寺舎利殿―
えんがくじしゃりでん

神奈川県鎌倉市
国宝 1951年指定


 12世紀後半、源頼朝(みなもとのよりとも)が初の武家政権である鎌倉幕府を開いた古都鎌倉。そこは南を相模湾に面し、それ以外の三方を丘陵によって囲まれた、まさに天然の城塞というべき土地である。鎌倉幕府が滅び、以降明治時代に至るまで、鎌倉は片田舎の農漁村に戻ったものの、それでもそこには今もなお、当時の武士たちが信仰を寄せた仏教寺院が驚くべきほどの密度で現存している。鎌倉北西部に位置する瑞鹿山(ずいろくさん)円覚寺は、臨済宗円覚寺派の大本山であり、また鎌倉五山の第二位にも列せられている。その境内の奥に鎮座する舎利殿は、鎌倉時代に宋から日本に伝わった禅宗様建築によって建てられており、その典型例として国宝に指定されている。




誠拙周樗によって再建されたと伝わる円覚寺山門

 円覚寺の創建は弘安5年(1282年)、鎌倉幕府第八代執権の北条時宗(ほうじょうときむね)が、元寇における戦没者の慰霊の為、宋の僧侶である仏光国師(ぶっこうこくし)こと無学祖元(むがくそげん)を招いて建立した。創建以降、北条氏の多大な帰依を受け、鎌倉末期には壮大な伽藍が整えられたというが、室町時代以降は度々の大火を被り衰退してしまう。江戸時代後期の天明年間(1781〜1788年)、誠拙周樗(せいせつしゅうちょ)によって復興がなされ、寺勢が回復した。鎌倉の寺院は、丘陵が浸食されて形成された谷戸に建つ事が多いが、円覚寺もまたそのような土地に存在しており、山門、仏殿、方丈が一直線に建ち並ぶ、典型的な禅宗寺院の伽藍配置を見る事ができる。




正続院の敷地奥に建つ円覚寺舎利殿
正続院は僧侶の修行道場である為、通常は立ち入りが禁じられている

 円覚寺舎利殿は、円覚寺の塔頭である正続院(しょうぞくいん)の奥にたたずんでいる。元は円覚寺の創建と共に建てられたというが、永禄6年(1563年)の大火によって焼失してしまい、現存するものは鎌倉尼五山の第一位であった太平寺の仏殿を移築したものと伝わっている。なお、太平寺は当時の住持であった青岳尼(しょうがくに)が、後北条氏と敵対していた安房国の大名、里見義弘(さとみよしひろ)の元へと駆け落ちした為に後北条氏の怒りを買って廃寺となった。現舎利殿の正確な建立時期は不明であるが、応永14年(1407年)に建てられた東村山の正福寺地蔵堂にそっくりである事から、この円覚寺舎利殿もまたそれと同時期、室町時代中期に建てられたものと考えられている。




詰組、花頭窓、弓欄間など、禅宗様建築の特徴が集っている

 円覚寺舎利殿は、杮(こけら)葺き一重屋根の入母屋造、桁行三間に梁間三間の建築である。外観では二重屋根の五間四方に見えるが、下の屋根は裳階(もこし)と呼ばれる庇であり、壁もまたその裳階の柱に張られている為そう見えるのである。舎利殿とは仏舎利(仏陀の遺骨の事。各部位が8万以上もの数に細かく分けられ、世界中の寺院に散在しているという)を祀る為の堂宇であり、円覚寺の舎利殿には仏牙舎利(仏陀の右奥歯)が納められているという。この仏牙舎利は、鎌倉幕府第三代将軍、源実朝(みなもとのさねとも)が、宋の能仁寺(のうにんじ)から譲り受けたものとされる。なお、この舎利殿は関東大震災で倒壊しており、昭和4年に一部部材を取り替えて修理、復元された。




三手先の組物と扇垂木

 円覚寺舎利殿は純粋な禅宗様で建てられた建築で、禅宗様の特徴を余すところ無く今に伝えている。その屋根は軒が大きく反り上がり、軒裏の垂木は放射状に配された扇垂木(おうぎたるき)、組物は柱の上のみならず柱間にも入れた詰組(つめぐみ)で、身舎(もや、建物本体の事)の組物は三手先、裳階の組物は出三斗(中備部分は平三斗)だ。中央間には桟唐戸がはめられ、両端間には花頭窓(かとうまど)が開かれている。比較的年代が新しい花頭窓は、左右の裾が広がった末広がりの形状であるが、円覚寺舎利殿のものは左右が真っ直ぐ下に落ちる、より様式の古い花頭窓である。なお、頭貫と飛貫の間には、採光や風通しの為の弓欄間(ゆみらんま)が巡らされている。




円覚寺のもう一つの国宝である、正安3年(1301年)鋳造の梵鐘
北条貞時(ほうじょうさだとき)が物部国光(もののべくにみつ)に作らせた名鐘である

 舎利殿内部は床を張らない土間敷きで、中央には仏牙舎利を納めた厨子を安置する須弥壇が据えられている。須弥壇の背後には漆塗りの来迎柱を建て、来迎壁が設けられている。身舎の天井は、虹梁の上に大瓶束 (たいへいづか)を乗せ、さらに二手先の斗栱(ときょう)で持ち上げられており、その中心部分は板張りの鏡天井となっている。なお、裳階の天井は垂木をそのまま見せた化粧屋根裏だ。身舎と裳階は海老虹梁 (えびこうりょう) で繋がれている。柱は上下が丸くすぼんだ粽柱(ちまきばしら)で、柱と礎石との間には礎盤(そばん)と呼ばれる石材が入れられている。以上は全て禅宗様の特徴であり、この舎利殿はまさに禅宗様建築の教科書的見本という事ができよう。

2005年11月訪問
2011年01月再訪問




【アクセス】

JR横須賀線「北鎌倉駅」より徒歩約5分。

【拝観情報】

拝観料300円(「宝物風入」時は、別途特別拝観料500円が必要)。
拝観時間は11月〜3月が8時〜17時、10月〜3月が8時〜16時。

ただし舎利殿の周囲は通常立入禁止で、遠くから屋根が眺められるのみである。正月三が日には舎利殿の敷地前まで立ち入る事が可能で、外観が拝観できる。毎年11月初旬の「宝物風入」では敷地内にも立ち入れるが、写真撮影は不可。

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