功山寺仏殿

―功山寺仏殿―
こうざんじぶつでん
国宝 1953年指定

山口県下関市


 本州最西端、関門海峡の入口にたたずむ霊鷲山(りょうじゅせん)。その東麓に境内を構える功山寺は、鎌倉時代末期からの歴史を有する禅寺である。室町時代には守護大名であった大内氏の庇護を受け、また大内氏終焉の地ともなった。江戸時代には長府藩毛利氏の菩提寺となり、幕末には高杉晋作(たかすぎしんさく)が長州藩の主権を握るべく、伊藤俊輔(のちの伊東博文)や石川小五郎(のちの河瀬真孝)を率いて功山寺で挙兵するなど、時代の節目の舞台となってきた。その境内にたたずむ仏殿は、鎌倉時代に大陸より伝わった禅宗様で建てられている。内部からは元応2年(1320年)の墨書が発見されており、日本に現存する最古の禅宗様建築として知られている。




禅宗様特有の強い反りを持つ屋根

 寺伝によると、功山寺の創建は仏殿の墨書より少し下る嘉暦2年(1327年)、伊勢国の虚庵玄寂(きょあんげんじゃく)を開基とし、当初は臨済宗の長福寺として開山された。正慶2年(1333年)には後醍醐天皇の勅願寺となり、翌年に足利尊氏から寺領を寄進されている。室町時代には大内氏の庇護を受けて栄えたが、陶晴賢(すえはるかた)が大内義長(おおうちよしなが)を傀儡とすると毛利元就(もうりもとなり)がこれを倒し、義長は功山寺に籠って自刃する。この戦乱により荒廃したが、慶長7年(1602年)に長府藩主となった毛利秀元(もうりひでもと)が金岡用兼(きんこうようけん)を招いて曹洞宗の笑山寺として再興。秀元が死去した慶安3年(1650年)に現在の功山寺へと改められた。




身舎の垂木は放射状に配された「扇垂木」である

 功山寺は霊鷲山を背に、東面して境内を構えている。入口には室町時代中期の総門がたたずみ、生い茂る木々に囲まれた石段の先には江戸時代中期の安永2年(1773年)に建てられた山門が堂々たる構えを見せる。その奥に建つ仏殿は、檜皮葺の入母屋造、桁行三間、梁間三間の身舎(もや)に裳階(もこし)を巡らす、典型的な禅宗様建築だ。それまでの和様建築では、柱によって建物を支え、長押(なげし)を打って繋いでいた。大陸から伝来した大仏様や禅宗様では、柱に穴をあけて水平材を通す、より強度の高い「貫(ぬき)」が用いられている。貫の技術がもたらされたことにより柱を細くすることが可能となり、その後の和様建築にも大きな影響を与えることとなった。




背後の軒周り
木鼻の「台輪」や「弓欄間」など、禅宗様ならではの要素が見られる

 功山寺仏殿の屋根は禅宗様特有の極めて大きな反りを見せ、身舎の軒裏は放射状に配された「扇垂木」、裳階の軒裏は水平に配された「水平垂木」である。組物は身舎が尾垂木を二つずつ持つ「三手先」、裳階は「出三斗」であり、いずれも柱の間にまで組物を入れた「詰組(つめぐみ)」となっている。槇材を用いた柱は礎盤の上に立ち、上下がすぼんだ粽柱(ちまきばしら)である。柱を繋ぐ頭貫(かしらぬき)が突出した木鼻の上には「台輪」と呼ばれる水平材が置かれ、「繰型(ぐりがた)」の彫刻が施されている。正面以外の三方には頭貫とその少し下に通された飛貫の間には、彩光や風通しのため弓なりに湾曲した「弓欄間(ゆみらんま)」が廻されている。




花頭窓は末広がりだが、これは近世以降の修理によるものだ

 正面の中央三間には「桟唐戸(さんからど)」を吊り、両脇間には釣鐘状の「花頭窓(かとうまど)」を開いている。中世の花頭窓は両端が直線的なのに対し、功山寺仏殿の花頭窓は末広がりとなっており、近世以降における修理の影響が見られる。内部は床を張らずに瓦を斜めに敷いた「四半敷(しはんじき)」であり、中央後ろよりに設けられた須弥壇には仏殿の建立と同じ鎌倉時代末期の千手観音菩薩坐像を安置する。須弥壇前方の柱には虹梁を架けて二本の柱を省略し、スペースを確保している。身舎と裳階は湾曲の少ない海老虹梁によって接続され、裳階部分は垂木を見せる化粧屋根裏だ。身舎部分は尾垂木と組物で持ち上げられた一間四方に板を張った「鏡天井」である。




山門の北側に建つ経蔵の輪蔵

 この鏡天井にはかつて龍が描かれていたというが、現在は大正7年(1918年)に実施された解体修理に伴い、その翌年に描かれた「石楠花花図」が堂内を彩っている。この絵を 手がけたのは、シャクナゲなど高山植物をモチーフとして多用した丸山晩霞(まるやまばんか)であり、萩出身の評論家である横山建堂(よこやまけんどう)の紹介によって招かれたという。功山寺の境内にはこの仏殿の他、幕末に三条実美(さんじょうさねとみ)ら尊攘派の公家七人が京都を追われた「七卿落ち」の五卿が潜居したという天保6年(1835年)の書院や、回転式の経庫である輪蔵を備えた寛政11年(1799年)の経蔵などが現存しており、各時代ごとの重層した歴史景観を作り出している。

2014年10月訪問




【アクセス】

JR山陽本線「長府駅」からサンデン交通バス「下関方面行き」で約6分「城下町長府バス停」下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

境内自由。開門時間は9時〜17時頃。

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