アーグラ城塞

アーグラ城塞

概要
保有国 インド
記載年 1983年
該当登録基準 (3)−文化遺産
構成資産 アーグラ城塞
 インド北部では、16世紀から19世紀にかけてムガル帝国というイスラーム王朝が栄えていた。 第2代皇帝フマユーンの後を継ぎ、 国を繁栄させムガル帝国を最盛期に導いたのは第3代皇帝アクバル1世。 このアーグラ城塞は、アクバルが1565年から1573年の間にかけて築き、城とした要塞である。 アーグラ城塞のある場所は、もとはアーグラを支配していたローディ王朝が築いた城だったが、 アクバルはそれを大々的に改築、赤砂岩を用いて作り直したとされる。 それから第6代皇帝アウラングゼーブ・アーラムギルまでの間、アーグラ城塞は代々皇帝の居城として使われていた。 第5代皇帝シャー・ジャハーン1世の時代には増築が行われ、宮殿としての機能がより強化されている。 なお、アクバルは建設事業を多く行った皇帝である。 このアーグラ城塞の他にも、ファテープル・シークリーなど 大規模な建設事業を行っていた。

 赤砂岩をメインとして作られているアーグラ城塞は、 「ラール・キラー(レッド・フォート)」という別名でも呼ばれている。 デリーにも「ラール・キラー(レッド・フォート)」と呼ばれる城塞があるが、 それはこのアーグラ城塞の造りをもとに、第5代皇帝シャー・ジャハーンが建てたものだ。 アーグラのラール・キラーもデリーのラール・キラーも、赤砂岩を使った赤い城壁を持つというだけでなく、 共に背後にヤムナー川を背負う場所に位置しており、それを天然の濠として利用している点や、 城内にバザールがある点なども良く似ている。 また、現在両城とも未公開部分が軍事施設として利用されているのもまた皮肉な共通点だ。

 アーグラ城塞内にあるジャハーンギール宮殿は、ムガル帝国第3代皇帝アクバル1世が 第4代皇帝ジャハーンギールの為、1570年に建てた宮殿である。 イスラームと他教との融和を考えていたアクバルらしく、 その宮殿にはイスラーム建築の特徴とも言えるアーチやドームは無く、 木造建築を思わせる梁構造で建てられており、軒下には彫刻が施されたひさしを見ることができる。 ジャハーンギール宮殿の前には十字に道が走る正方形の庭があるが、 これは四分庭園(チャハール・バーグ)というペルシャ発祥の庭園で、 フマユーン廟タージ・マハルなど、 ペルシャからやってきたムガル帝国が建てた様々な建築物に見ることができる。

 また、アーグラ城塞内にはムサンマン・ブルジ(囚われの塔)という八角形の塔がある。 白大理石の装飾が美しく、ヤムナー川からの風が涼しいこの塔は、皇帝の寝室として利用されていた。 またヤムナー川越しにタージ・マハルを望むことができるこの塔は、 タージ・マハルを建造した第5代皇帝シャー・ジャハーンが、晩年幽閉されていた場所でもある。 シャー・ジャハーンは愛する亡き妻のため、国の財力を投じて妻の霊廟タージ・マハルを作り上げた。 さらにシャー・ジャハーンは、ヤムナー川を挟んだタージ・マハルの向かい側に 自分の霊廟として黒大理石のタージ・マハルを作ろうとしたが、 シャー・ジャハーンは4人の息子の皇位継承争いに巻き込まれ、 三男であり後の第6代皇帝であるアウラングゼーブ・アーラムギルにより この囚われの塔に幽閉されてしまい、その願いが叶うことはなかった。 シャー・ジャハーンはこの塔からタージ・マハルを毎日望みながら、涙を流していたという。

旅行情報
所在地 ウッタル・プラデーシュ州 アーグラー
アクセス アーグラー中心部(タージ・ガンジ)より
リキシャもしくはレンタサイクルで10分
必要見学時間 半日
 アーグラ城塞は、インドの首都デリーからおおよそ南東180kmにあるアーグラという街にある。 アーグラはアーグラ城塞の他に、世界的に有名な霊廟建築タージ・マハルを持っており、 数多くの観光客が訪れる、インド有数の観光都市である。 アーグラへはデリーからシャタブディ・エクスプレスという特急が出ており、わずか2時間で来ることができる。 この特急を使えば、デリーから日帰りで来ることも可能だ。 市内の交通はサイクルリキシャやオートリキシャなどがあるが、 アーグラはインドを代表する観光地でもあるため観光客に対し非常にすれており、料金の交渉は決して容易とは言えない。 アーグラの安宿街であるタージ・ガンジにはレンタサイクル屋もあるので、自由に行動したければこれを利用すると良い。

 アーグラ城はそのかなりの敷地が軍事施設として利用されており、 観光客が入れるのはそれ以外の許可された部分のみである。 入口は城南部のアマル・スィン門であり、これ以外の門は、 入ることができないのはもちろん、写真を撮ることも禁止されている。 観光が可能なエリアにも数多くの武装した兵士が立っており、非常に物々しい雰囲気だ。 立ち入ることができるのは、ジャハーンギール宮殿、カース・マハル(寝殿)、 ディワニ・アーム、ディワニカース、そしてムサンマン・ブルジ(囚われの塔)などである。 モティ・マスジッドやミーナバザール、ハッチ・ポール(象門)などは見ることができない。

 アーグラには、このアーグラ城塞やタージ・マハルの他にも 様々なムガル帝国時代の建造物が残されている。 ヤムナー川にかかる鉄橋を越えたところには、ムガル帝国第4代皇帝ジャハーンギールの妻の父であり、 ムガル宮廷の宰相でもあったイティマド・ウッダウラーの廟があり、 またアーグラより北西約10kmのところには、ムガル帝国第3代皇帝アクバル1世の廟であるスィカンドラーがある。 スィカンドラーは、イスラームとヒンドゥー教の融和を進めたアクバルの墓らしく、 その建築物はドームを持たず石造建築でありながら木造建築の特徴を持っている。 この木造に見える様式は古代ヒンドゥー建築の手法であり、 ペルシャ由来の四分庭園の中心に建つスィカンドラーはイスラームとヒンドゥの様式が融合した独特な建築であると言える。 これらの様式は、アーグラ南西約40kmのところにある、アクバルが作り上げた都 ファテープル・シークリーでより顕著に見ることができる。

(2005年2月 訪問)
(2006年3月 再訪問)

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