ファテープル・シークリー

ファテープル・シークリー

概要
保有国 インド
記載年 1986年
該当登録基準 (2)(3)(4)−文化遺産
構成資産 宮廷地区建造物(ジョド・バーイー殿,パーンチ・マハル,
ディワニ・アーム,ディワニ・カース,ビルバルの館,
ヒラン・ミナール,キャラバンサライなど)
モスク地区建造物(ブランド門,ジャミー・マスジッド,
サリーム・チシュティー廟,イスラーム・カーン廟など)
 16世紀から19世紀にかけて、インド北部にはムガル帝国というイスラームの王朝があった。 初代皇帝バーブルが現在のデリーに興したムガル帝国は、 第2代皇帝フマユーンの時代にデリーを失い帝国は一時期滅びたものの、 再びフマユーンはデリーを取り戻しムガル帝国は復活する。 しかしその直後、フマユーンは事故により志半ばで亡くなってしまう。 フマユーン廟に葬られたフマユーンの跡を継いだのは第3代皇帝アクバル1世であった。 若き王アクバルは王座を継いだ1565年アーグラ城塞を建て、 そこを拠点として次々とムガル帝国の勢力を拡大していった。 そしてアクバルは北インドのほぼ全域を手中に収め、 それから第7第皇帝バハードゥル・シャー1世までの間、ムガル帝国は最盛期を迎えることとなる。

 しかし、そんな大帝国の王であるアクバルには、一つの深刻な悩みがあった。 アクバルは世継に恵まれなかったのだ。 そんなアクバルに、シークリー村に住む聖人シェイク・サリーム・チシュティが 「5年以内に3人の男子が生まれる」という予言をした。 そしてその通り、アクバルは後の第4代皇帝となるジャハーンギールを授かった。 それを喜んだアクバルは1571年、聖人のいたシークリー村に都を作り、首都をそこへ遷移させた。 それこそが、このファテープル・シークリーである。 なお、ファテープル(勝利の都)という名はグジャラート地方を制圧したことを記念して付けられた。

 ファテープル・シークリーの建造には5年もの歳月を費やしたとされる。 丘の上に築かれた城壁の中には、赤砂岩の宮殿や巨大なモスクが作られた。 ムガル帝国はイスラームの国であるが、領土の拡大とともに多くの異教徒を抱える。 そのためアクバルはそれまで異教徒に課していた税金などを廃止し国を安定させ、 同時に他教にも非常に強い興味を持ちそれら諸宗教を尊重していた。 ファテープル・シークリーはそんなアクバルの思想を極めて良く表現している。 これらの建造物はイスラームの建築様式だけではなくヒンドゥの建築様式も積極的に取り入れられており、 また石造でありながらまるで木造建築のような梁や装飾を見ることができるが、 これはインド古来の建築様式であった木造建築の様式を取り入れたものだ。

 そのように、イスラームに加えヒンドゥやインド古来の様式を ミックスさせたファテープル・シークリーの建造物は、 他のムガル帝国が作った建造物と比べて非常にユニークな形を持つものが多い。 しかしながら、アクバルはこれだけ特異かつ広大な都を作りながらも、 遷移後わずか14年でここを放棄し、現在のパキスタン、ラホールへ都を移してしまった。 その理由は諸説あるが、水不足のためであったというのが有力である。 自主的に放置されたファテープル・シークリーは、 戦乱にさらされることもなく今もなお良い状態で残され、 当時の姿を今に伝えてくれるのである。

旅行情報
所在地 ウッタル・プラデーシュ州 ファテープル
アクセス アーグラーのイードガーバススタンドよりバスで1時間
必要見学時間 半日
 ファテープル・シークリーは、アーグラ城塞タージ・マハルのある街アーグラから西、バスで1時間ほどのところにある。 そこはアーグラからグジャラート州ジャイプルへ続く道の途中に位置しているため、 アーグラからファテープル・シークリーまでのの直行バスの他、 ジャイプル行きバスを途中下車することでも行くことができる (ただし、途中下車した場合は幹線道路からファテープル・シークリーまでおよそ2kmの道を歩く、 もしくはオートリキシャで行くこととなる)。 また、ファテープル・シークリーからさらにジャイプル方面へバスで30分ほど行ったところには、 バーラトプルという町があり、そこには鳥の楽園ケオラデオ国立公園がある。

 ファテープル・シークリーは大きく分けて宮廷地区とモスク地区から成る。 モスク地区は、現在もモスクとして使われている ジャマー・マスジッド(金曜モスク)を中心としており、入場は無料である。 宮廷地区はパーンチ・マハルやディワニ・カースなど、 独特な様式の宮殿建造物から成っており、ここは入場料が必要。 両地区はそれほど離れてはおらず、共に非常に優れた建造物であるので、 余す所無くじっくり見学したいところだ。

 ファテープル・シークリーにやってきて、 まず最初に見るのはジャマー・マスジッド(金曜モスク)の巨大なブランド門であろう。 モスク内には白大理石で造られたサリーム・チシュティ廟がある。 赤砂岩のモスクの中に真っ白い姿がよく栄えるその廟は、 アクバルに予言を授けた聖者サリーム・チシュティを祀るものだ。 その予言の伝えから、この廟の格子スクリーンに赤い布を結びつけると子宝に恵まれるとされている。 なお、ジャマー・マスジッドには学生を自称するガイドがおり、外国人旅行者に盛んに声をかけてくる。 「勉強のためなのでお金はいらない」とはいうものの、 実際ガイドしてもらうと最後に土産物屋へ連れて行かれ、何も買わないと金銭を要求してくる。 気分良くファテープル・シークリーを見学したいのならば、このようなものの相手をしてはならない。

 なお、ぜひとも訪れてもらいたいのは、 宮廷地区から少し離れたところにポツンと立つヒラン・ミナールである。 崩れかけた壁に囲まれた道を行き、支柱のみが残るハティ門を抜けると、 そこには緑色の畑をバックにぽつんと立つ塔が見える。それがヒラン・ミナールだ。 観光客が多くいる宮廷地区中心部とは違い、 この付近のエリアはほとんど人がおらず、のんびりくつろげる。 またこの周辺の遺跡は少々劣化が進んでいるが、 その分”忘れ去られた廃墟”というような雰囲気が漂っているのである。

(2005年2月 訪問)

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