レッド・フォートの建造物群

レッド・フォートの建造物群

概要
保有国 インド
記載年 2007年
該当登録基準 (2)(3)(6)−文化遺産
構成資産 レッド・フォートおよびサリームガル・フォート
 1526年、それまで北インドを支配していたロディー朝を滅ぼしたバーブルは、新たなイスラーム王朝であるムガル朝を設立した。第2代皇帝フマユーンの時代にはスール朝によってインドを追い出されることもあったが、その後再度奪還。第3代皇帝アクバル1世の時代にムガル朝は急成長を遂げ、北インド全体を統治する一大帝国となった。そのムガル帝国の最盛期、皇帝の座にいたのがタージ・マハルを築いたことで有名な第5代皇帝シャー・ジャハーンである。シャー・ジャハーンは首都をアーグラからデリーに移し、自らの名を冠した都シャージャハーナーバードを作った。この新首都における皇帝の居城として1639年から1648年の9年を費やし築かれたデリーのレッド・フォートは、隣接するスール朝時代のサリームガル・フォート(1546年建造開始)と共に、レッド・フォートの建造物群として世界遺産に登録されている。

 レッド・フォートは別名をラール・キラー(ヒンディー語で赤い城)といい、その名の通り城壁をはじめ多くの建物が赤砂岩を用いてで作られている。デリーに遷都される前の首都アーグラにもアーグラ・フォートという城塞があるが、こちらもまたデリーのレッド・フォート同様赤砂岩で作られた城塞であり、同じレッド・フォート(ラール・キラー)という名で呼ばれることがある。この二つのレッド・フォートは建材が同じであるということのみならず、ヤムナー川を背にするという地理的条件もそっくりである。それもそのはず、アーグラ・フォートは第3代皇帝アクバル1世が建てたもので、デリーのレッド・フォートはそのアーグラ・フォートを模範として建てられた城塞なのである。

 レッド・フォートは変形した八角形の平面プランを持ち、その周囲は全長2.5kmもの城壁によって囲まれている。かつて城塞の東側と北側にはヤムナー川が流れていたため、出入口は南側のデリー門と西側のラホール門の二つしかない。メインゲートであるラホール門をくぐるとそこにはチャッタ・チョウクというアーケードの通りがある。チャッタ・チョウクは屋根付き市場という意味であり、かつてはここに皇帝のための高級品を扱う店があった。チャッタ・チョウクの先にはナウバート・カーナという門があるが、ここでは王族が到着した際にシンバルを鳴らし、また楽器を演奏していた。

 ナウバート・カーナの先、中庭を越えるとディワニ・アームに出る。ディワニ・アームは皇帝が市民と謁見する場であり、皇帝はここで一般人の不平不満を聞いていたという。ディワニ・アームのさらに奥は白大理石でできたディワニ・カースがあるが、こちらは貴族や外国の大使との謁見の場であり、閣議などもここで行われていた。その南には皇帝の寝室であるカース・マハル、皇帝の夫人が住まったラング・マハル、ハーレムであるムムターズ・マハルといった白大理石の美しい建物が建ち並んでいる。これらの他にも、レッド・フォート内には四分庭園やモスク、皇帝の書斎といったムガル帝国時代の建物が残されている。

 威容を誇ったムガル帝国も、17世紀後半になると各地で反乱が起き、徐々に衰退していってしまう。さらにヨーロッパ各国がインドへ侵出し、18世紀後半になるとインドはイギリスによって統治されるようになってしまう。そのイギリス統治時代、レッド・フォートとサリームガル・フォートはイギリス軍の軍用施設とされ、その敷地内に数多くのコロニアル建築が建てられた。1857年のせポイの反乱によってイギリス軍からデリーの奪還を果たすと、これらの城塞は今度はインド軍のものとなり、軍用地として利用され続けていった。それゆえレッド・フォートとサリームガル・フォートには、今もなお数多くのイギリス統治時代の建造物がムガル帝国時代の建造物と共に立ち並んでいる。

旅行情報
所在地 デリー
アクセス ニューデリー駅よりバスで15分
必要見学時間 半日
 インドの首都デリーの中心部に位置するレッド・フォートは、まさにデリーの象徴ともいうべき存在であり、常に大勢の観光客が訪れる定番の観光スポットとなっている。デリーを訪れた観光客は必ず行くといっても過言ではないだろう。その反面、レッド・フォートはいまだ軍用地としても利用されているため観光客が立ち入れるのはムガール帝国時代の建造物が残る宮廷エリアのみである。ただし、今後は見学できるエリアは少しずつ広げられていく方針のようではある。門は西側のラホール門のみが開放されており、南側のデリー門から入ることはできない。レッド・フォートと共に世界遺産に登録されているサリームガル・フォートはその全体が軍用地となっており、城壁以外は見学ができないようだ。

 シャー・ジャハーンの築いた新首都シャージャハーナーバードは、現在ではオールド・デリーと呼ばれ、イギリス統治時代に新たに開発されたエリアであるニューデリーと区別されている。整然とビルが立ち並ぶニューデリーとは対照的に、歴史ある古い建物が立ち並ぶオールドデリーは、インドの熱気を肌で感じることができるエリアと言える。レッド・フォートももちろんこのオールドデリーにある。レッド・フォートのラホール門前からは、真っ直ぐチャンドニー・チョウクと呼ばれるバザールが伸びている。ここでは多種多様な品が売られ、常に人々で溢れかえっている。チャンドニー・チョウク南側の小高い丘の上にはインド最大のモスクであるジャマー・マスジッド(金曜モスク)がある。このモスクもまたレッド・フォートと同じくシャージャハーンによって建てられた歴史的な建造物だ。

 オールドデリー以外にも、デリーに数多くの文化財が残されている。レッド・フォートから南に下ったところには、ムガル帝国第2代皇帝フマユーンの都城であったプラーナ・キラーが建ち、そのさらに南にはフマユーンの眠るフマユーン廟がある。郊外にまで足を伸ばせばインド最古のイスラーム遺跡群であるクトゥブ・ミナール・コンプレックスも見られる。また、ムガル帝国の建築物を辿るという点では、デリーからおおよそ南東180kmにあるアーグラも外すことはできない。アーグラにはシャージャハーンとその妻が眠るタージ・マハルをはじめ、レッド・フォートのモデルとなったアーグラ・フォートなど数多くのムガル帝国時代の建造物が残っている。

(2005年2月 訪問)

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