高岡市山町筋

―高岡市山町筋―
たかおかしやまちょうすじ

富山県高岡市
重要伝統的建造物群保存地区 2000年選定 約5.5ヘクタール


 富山県の西部に位置する高岡は、近世から近代にかけて米や綿の集散地として発達した商業の町である。また江戸時代より鉄器や銅器の鋳造も盛んであり、鋳物の町としても知られている。その高岡の中心部にあたる山町筋は、日本海沿岸の主要都市を結ぶ旧北陸道沿いに位置しており、明治中期から昭和初期にかけて建てられた重厚な黒漆喰の土蔵造り商家が今もなお建ち並んでいる。膨大な富を得た富岡の商人たちが惜しげも無く財力をつぎ込んで建てられたそれらの商家建築は優れた意匠のものが多く、かつての高岡の繁栄を今に伝えるものとして、東西約600メートル、南北約90メートルの範囲が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。




洋風なアーチの中に唐草模様をあしらった井波屋仏檀店

 高岡の町が開かれたのは江戸時代初期の慶長14年(1609年)、加賀藩二代藩主の前田利長(まえだとしなが)が隠居所として利用していた富山城を火事で失った為、新たに高岡城を築いて移り住んだ事に始まる。それまで高岡の地は関野と呼ばれていたが、この際に高岡という名に改められた。その後の慶長19年(1614年)に利長は高岡城で死去し、さらに慶長20年(1615年)の一国一城令により高岡城は廃城となってしまう。通常、廃城となった城の城下町は廃れる運命にあるのだが、三代藩主の前田利常(まえだとしつね)は高岡からの人の転出を規制し、高岡を商業都市として発展させるべく政策を執った。その結果、高岡は城下町時代を上回る程の繁栄と賑わいを見せる事となる。




高岡を代表する土蔵造り商家の菅野家住宅(重要文化財)
廻船業を始め様々な事業で財を成した豪商で、内装も実に華やかである

 高岡城を築くにあたり、利長は高岡台地の上段に城郭と武家町を置き、西側の下段に碁盤の目状の町割りをして城下町を開いた。さらには近隣の城下町から商人を呼び寄せ、後世に続く商家町の原形を形成した。その後、高岡は利常の時代に置かれた町年寄による自治のもと、商工業の町として多大に発展する。明暦3年(1657年)には魚問屋と塩問屋が創設され、また高岡城跡に藩主や家臣に納める為の米蔵が置かれた事で米場が形成された。文政7年(1824年)には加賀、能登、越中における綿販売の独占権を得た事で、高岡の町には綿商人が集中し膨大な利益をもたらした。その繁栄は明治時代に入ってからも続き、富岡の商人たちはさらなる富を蓄えた。




重厚な土蔵造りの中に大正4年(1914年)の富山銀行本店が建つ

 今に見られる山町筋の町並みは、明治時代中期以降のものである。高岡の町は江戸時代より度々火災に見舞われてきたが、特に明治33年(1900年)に起きた高岡大火においては町の約6割が焼失する程の甚大な被害を受けた。この大火の前年、繁華街で建物を新築する際には防火構造を義務付ける「建物制限規則(富山県令第51号)」が富山県によって施行されていた事もあり、町の復興にあたっては高い防火性で知られていた蔵造りで商家が再建され、加えて隣家との境に煉瓦造りの防火壁を備えるなど火災に対しての工夫がなされた。このように、山町筋の町並みは極めて強く防火を意識した、明治時代の都市計画を示すものとしても貴重である。




明治36年(1903年)建造の筏井家住宅
二階の土扉は開くと隣同士ピッタリ納まるように設計されている

 土蔵造りとは、その名の通り土蔵の建築様式を住宅や店舗に応用したものである。木造ではあるものの柱や貫などの木部を土壁で覆い隠し、その上に漆喰を塗り重ねて仕上げている。高岡のものは切妻造りの平入りを基本とし、一階部分には格子をはめて入口を大戸とする。下屋を設けて高岡らしく鋳物の鉄柱でそれを支え、また二階部分には観音扉の防火扉が備わっている。屋根の棟瓦の上には降雪を防止する為の雪割り瓦が乗り、またその両端にはシャチが飾られている。屋根の小屋組みは洋式のトラス、細部にも洋風のデザインが施されていたりファサード全体が洋風であるものなど、重厚ながらも華やかな町並みとなっているのが特徴的だ。




鋳物の町らしく、高岡では銅器を多く目にする事ができる

 高岡では毎年5月1日に、七基の御車山(みくるまやま)と呼ばれる山車を曳いて山町筋などの市内を練り歩く「高岡御車山祭り」が行われている。この祭りに用いられる御車山は、天正16年(1588年)に豊臣秀吉(とよとみひでよし)がを聚楽第(じゅらくだい)に後陽成天皇(ごようぜいてんのう)の行幸迎えた際に使用されたものを前田利家(まえだとしいえ)が拝領したものと伝わっており、それを受け継いだ前田利長が高岡の町を開いた際に町民へ与えたとされる。山町という町名は、この御車山を保管、改修しながら継承してきた事から付けられた名だ。現在、この御車山は国の重要有形民俗文化財に、また高岡御車山祭は国の重要無形民俗文化財にそれぞれ指定されている。

2007年07月訪問
2009年11月再訪問
2012年10月再訪問




【アクセス】

JR北陸本線「高岡駅」より徒歩約10分。

【拝観情報】

町並み散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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