―天草市﨑津・今富の文化的景観―
あまくさしさきつ・いまどみのぶんかてきけいかん
重要文化的景観 2011年選定 熊本県天草市 ![]() 天草半島下島の南西部、複雑に入り組む羊角湾北岸の入り江に﨑津・今富の集落は存在する。入り江の入口にあたる﨑津は十文な水深を持つ天然の良港であり、昔から漁業が営まれてきた。一方、入り江の奥に位置する今富には干潟が発達し、江戸時代の干拓によって田畑が築かれ、農業を営なんできた歴史を持つ。また羊角湾の周辺は16世紀後半にキリスト教が広まった土地でもあり、﨑津の中心には信仰の象徴として﨑津天主堂が鎮座するほか、キリシタンに関する聖地や伝承地が周囲に数多い。生業と信仰によって相互に深く結びついた﨑津・今富の二集落は、入り江の多い天草において特徴的な土地利用の在り方を今に残すことから、国の重要文化的景観に選定された。 ![]() 入り江の入口、狭い土地に家屋が建ち並ぶ﨑津集落
天草灘に面した羊角湾には外国船の来訪も多く、16世紀後半の日本の様子を記したルイス・フロイスの「日本史」にも、永禄12年(1569年)に湾奥の河内浦で宣教師が布教を開始したという旨が記されている。唐船が漂着した記録も残り、江戸時代にはこれら外国船に対処すべく﨑津に遠見番が置かれている。「島原・天草の乱」以降、天草は江戸幕府の直轄地となり、海上管理のため「定浦(じょううら)」の制度が定められた。これは指定された漁村のみ漁業ができるというもので、﨑津は万治2年(1659年)に定浦となり、以降は漁業で賑わうこととなった。また近隣で産出された品々を長崎へ送る貿易港でもあったことから港湾整備も進められ、﨑津集落には今もなお石積の護岸が残る。 ![]() 入り江の奥、干拓地に田畑が広がる今富集落
かつて入り江の海岸線は、現在の今富集落入口にあたる今富神社付近まで及んでおり、江戸時代になるまで今富集落の人々は僅かな耕作地で農業を営んでいた。江戸時代に入ると数度に渡る干拓によって農地が拡大され、水田で稲作が行われるようになったほか、畑では麦やサツマイモが栽培され、また周囲の山から生産される木材や薪、木炭は﨑津集落にも供給されていた。作物の運搬や畑の耕作には牛を利用していたことから、今富集落では主屋と牛小屋が並ぶ屋敷構えとなっている。一方、﨑津集落では漁師の妻たちが「メゴイナイ」と呼ばれる行商として近隣の集落へ売りに行き、今富でも米や野菜などと物々交換が行われていた。 ![]() 﨑津集落では海にせり出して「カケ」を築く
土地が狭い﨑津集落では、山裾に沿って家屋が密集して建ち並ぶ。庭を設けることができないので作業場を確保するため「カケ」と呼ばれる足場を海に張り出して築き、漁船の停泊や干物作り、漁具の手入れの場などとして利用していた。なお、カケの材料には今富集落で採れる竹やシュロが用いられている。また各家の間には「トウヤ」と呼ばれる小路が設けられていることが多いが、これは通りから直接カケに出るためのものである。﨑津の漁業は近代以降も続き、漁法の近代化や漁船の大型化に伴い昭和40年代には最盛期を迎えた。特に羊角湾内で盛んであったチリメン漁は多くの人手が必要になることから、今富集落からも乗り子として労働力が提供されたという。 ![]() 各家の間には海に出るための「トウヤ」が設けられている
また﨑津・今富の両集落には、キリスト教が仏教や神道と溶け込んだ、信仰の共存による独特の風習が残されている。16世紀後半、天草では羊角湾を中心にキリスト教が広まった。キリスト教の布教によって日本に対する西欧国の影響力が強くなることを危惧した江戸幕府は、慶長17年(1612年)に禁教令を発布してキリスト教を厳しく取り締まった。そのような禁教下においても、天草のキリシタンは密かに洗礼やオラショ(祈り)を伝承し、信仰を守り続けてきた。﨑津・今富でもそれぞれ「水方(みずかた)」と呼ばれる指導者を中心に組織を形成し、仏教儀礼や神社行事などにキリスト教の信仰を反映しつつ、潜伏キリシタンとして禁教令が解かれるまでの250年を過ごしてきたのである。 ![]() 昭和9年(1934年)に建てられた崎津天主堂
ゴシック様式の教会であるが、内部は畳敷きだ 﨑津ではロザリオやメダイを隠し持ち、またアワビやタイラギ貝などの模様が聖母マリアに見えるものを集め、聖遺物として信仰の対象としてきた。明治時代になりキリスト教が解禁されると、﨑津では明治16年(1883年)に教会が建てられ、正式なキリスト教が復活を果たす。現在、集落の中心にそびえる崎津天主堂は、長崎県周辺地域に数多くの教会を築いた鉄川与助(てつかわよすけ)により昭和9年(1934年)に建てられたものである。一方、今富ではキリスト教が仏教、神道、山岳修験と融合し、土着した独特の信仰形態を形成した。キリスト教解禁後も正式なキリスト教としては復活せず、年中行事にキリシタンの要素を含むなど、禁教時代の「かくれ」の信仰を今に残している。 2014年10月訪問
【アクセス】
「本渡バスセンター」より産交バス「牛深市民病院行行き」で約1時間「倉田バス停」下車。「倉田バス停」より産交バス「春光苑行き」で約20分「教会入口」バス停下車すぐ。 【拝観情報】
散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。 﨑津天主堂は開館時間9時~17時(日曜日はミサの為9時半開館)要事前予約。 毎週月曜休館(祝日の場合は翌日休館)、行事が行われる際は入館不可。 【関連記事】
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