長崎市外海の石積集落景観

―長崎市外海の石積集落景観―
ながさきしそとめのいしづみしゅうらくけいかん

長崎県長崎市
重要文化的景観 2012年選定


 いくつもの半島や島嶼からなる長崎県のうち、長崎市の北西部に突き出た西彼杵(にしそのぎ)半島。その大部分は山林が占めており、特に角力(すもう)灘に面した西岸は険しい地形が続いている。中でも外海(そとめ)地域は僅かな平地と入江がある他は険しい断崖が連なっており、陸路での往来が不便であることからかつては陸の孤島と呼ばれていた。平地が少ないため斜面に土地を造成する石積技術が発達しており、今もなお石積による特有の集落景観が広がっていることから、出津(しつ)川の河口に広がる「出津」地区、出津川上流の河岸段丘に広がる「牧野」地区、および出津地区から北西の傾斜地に集落を構える「赤首」地区と「大野」地区を含む一帯が国の重要文化的景観に選定されている。




牧野地区に見られる宅地石垣と石階段

 かつて外海地域の沿岸部では鰯網漁による半農半漁の生活が、山間部では畑作と炭焼きによる生活が営まれていた。江戸時代初頭に急斜面の痩せた土地でも栽培できる甘藷が普及すると、傾斜地が次々に開墾されて耕作地が増大する。外海地域では平らで加工しやすい結晶片岩が広く分布しており、開墾により出土した結晶片岩を様々な用途に使ってきた。その最たるものが、土の流出を防ぎつつより広い耕作地を確保する為の石垣である。伝統的な石垣は排水機能を備えており、水はけの良さが求められる甘藷畑に適していた。また山の極限まで開墾し尽くして木材が不足していたことから、家屋や倉庫にも石壁が用いらられるなど、多種多様な石積が築かれたことで在地の石積技術が発達していった。




野道共同墓地に残るキリシタン墓地
結晶片岩を使った墓石が密に並んでいる

 外海地域では元亀2年(1571年)にキリスト教が伝わり、宣教師の活動により布教が進んでいった。江戸時代に禁教令が発せられると潜伏キリシタンとなり、表向きは仏教寺院に属しつつも「組(くみ)」と呼ばれる組織を築いて連携を図り、指導者が洗礼や葬儀などの儀式を執り行うなど信仰を維持してていった。出津地域の集落内には禁教以前に編纂された教理書が伝承されており、祈りの言葉がである「オラショ」を口承で伝えていった。またヨーロッパから伝来した聖母マリアを象った青銅製の大型メダル「無原罪のプラケット」や、宣教師ヨロラに見立てた「イナッショさま」と呼ばれる仙人像、日本人が描いた聖画像などを隠し持ち、密かに拝んでいたという。




ド・ロ神父が開墾した大平作業場跡
開墾事業が完成した明治34年(1901年)頃の建物と推定されている

 明治に入り、禁教令が解除されると外海地域に住む潜伏キリシタンの多くはカトリックに復帰しており、明治12年(1879年)にはフランスから派遣されたマルク・マリー・ド・ロ神父が外海地域に赴任した。ド・ロ神父の設計によって明治15年(1882年)に出津教会堂が建てられ、翌年の明治16年(1883年)には海難事故で夫を失った未亡人などの貧困女性を自立させるべく出津救助院を創設し、製粉、パン、マカロニ、ソーメンなどの製造指導に当たっていた。明治17年(1884年)からは大平地区の原野を開墾して農園を築くなど、ド・ロ神父は大正3年(1914年)に没するまで外海地域で福祉活動を続けていった。その亡骸は住民により手厚く葬られ、ド・ロ神父が築いた野道共同墓地に眠っている。




ド・ロ壁によって築かれた大野教会堂(重要文化財)

 出津地区の北西隣に位置する赤首地区と大野地区は、いずれも海岸から断崖上にせり上がった傾斜地に小規模な集落や耕作地が点在しており、出津地区と同様の石積による集落景観が広がっている。そのうち大野地区の高台には、明治26年(1893年)にド・ロ神父が自費を投じて建立した大野教会堂がたたずんでいる。外海地域には昔ながらの石壁工法として赤土と藁すさを練り込んだ「ネリベイ」が存在するのだが、ド・ロ神父は藁すさの代わりに石灰を混ぜて強度を高めた「ド・ロ壁」を考案し、様々な建築に使用していた。大野教会堂もまたド・ロ壁によって築かれており、集落の背後にそびえる大野岳の周辺で産出される玄武岩を用いた石材の色合いが独特な風情を醸し出している。




大野地区の最も高所に位置する辻神社
禁教期には潜伏キリシタンの信仰対象でもあった

 結晶片岩と玄武岩の地層境界には湧き水が多く、大野地区には「カワ」と呼ばれる水場が多く設けられている。カワには三段に分かれた桝を設け、用途に応じて使い分けていた。また大野地区には「大野神社」「門(かど)神社」「辻神社」の三つの神社が存在する。「大野神社」は集落全体の守り神として古くから祀られてきた鎮守社であり、潜伏キリシタンたちはこの神社の氏子として禁教期の弾圧を逃れていた。また集落により近い「門神社」では島原の乱から逃れてきた本田敏光(ほんだよしみつ)というキリシタンを「サンジュワン様」として祀り、信仰の対象を密かに納めていたという。集落の最も高所に位置する「辻神社」では祭神である山の神を「サンジュウワン様」と呼ぶなど、大野地区の潜伏キリシタンたちは神社を信仰の場とする特有の信仰体系を育んでいった。

2018年05月訪問




【アクセス】

「長崎駅前」バス停から長崎バス「板の浦」行きで約70分「出津文化村」バス停下車すぐ。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。
出津教会堂の内部拝観は事前予約が必要。
大野教会堂は内部の立ち入り不可。

<旧出津救助院>
拝観料:大人300円、中高生200円、小学生以下150円。
開館時間:9時〜17時。
休館日:月曜(祝日の場合は翌日)。


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