小値賀諸島の文化的景観

―小値賀諸島の文化的景観―
おぢかしょとうのぶんかてきけいかん

長崎県北松浦郡小値賀町
重要文化的景観 2011年選定


 五島列島の北部、大小17の島々から成る小値賀(おぢか)諸島。中心の小値賀島をはじめ大部分は粘性の低いマグマによって形成された火山島であり、比較的平坦な地形であることから弥生時代より農耕が営まれてきた。また日本と大陸を往来する交易船の寄港地でもあり、近世には捕鯨の基地となった港町としての側面も持つ。一方、唯一海岸隆起によって形成された野崎島は険しい地形であるものの小値賀島の住民により薪取り場として利用され、また島の北部に鎮座する「王位石(おえいし)」は航海安全の信仰を集め崇められてきた。これら小値賀諸島には各島の環境に応じた集落景観が残されていることから、小値賀島のうち「笛吹・柳」「前方」「新田」「唐見崎」「長崎鼻」の5地区、野崎島の全域、および大島・宇々島を含む範囲が国の重要文化的景観に選定されている。




昔ながらの町家が軒を連ねる笛吹の町並み

 小値賀島の南部に広がる笛吹地区は、小値賀諸島の行政や商業などの中心地を担ってきた集落である。現在の町並みは江戸時代中期に形成された町割を踏襲しており、入り組んだ路地に面して江戸時代から明治にかけての町家が建ち並んでいる。港には石垣の波止場や堤防が築かれており、また集落内においても石畳や井戸など石積の技術が散見される。笛吹地区の周囲には田畑が広がっており、大浦集落をはじめ石垣と生垣を組み合わせた防風林を持つ農家型の集落が点在する。溜池を利用した水田や石積の棚田など、伝統的な農村集落景観が保たれているのが特徴的だ。また小値賀島は江戸時代を通じて平戸藩領であり、大浦集落の北に聳える番岳の山頂には遠見番所とのろし台が置かれていた。




虹の松原に残る古代中国船の碇石

 小値賀島の北部に位置する柳地区は、慶長2年(1597年)に創建された善福寺の東西に家屋が連なる農村集落である。いずれの家も農家型の構成であり、中には重厚な石垣や観賞用の庭を設えるなど武家屋敷の造りを踏襲した家も存在する。また笛吹地区から柳地区へと至る道筋には、約450mに渡って「姫の松原」と呼ばれる松並木が続いている。その中程に鎮座する志々伎(しじき)神社の境内には、古代中国船の停泊に使われていた碇石が安置されており、大陸交易の歴史を物語る。またかつて小値賀島は南北に通る狭い海峡に分断された二つの島であったのだが、鎌倉時代末期の建武元年(1334年)にその海峡を埋め立てて新田地区が拓かれ、短冊形に連なる「建武新田」が築かれた。




前方地区の地ノ神島神社から望む野崎島

 小値賀島の北東部に位置する前方(まえがた)地区には地ノ神島(ちのこうじま)神社が鎮座しており、東に浮かぶ野崎島の沖ノ神島(おきのこうじま)神社、およびその御神体である王位石を遥拝できるようになっている。また前方港に面して屋敷を構える旧藤松家住宅は捕鯨や酒造業で財を成した家であり、江戸時代末期に築かれた邸宅が石積の突堤などと共に現存する。これらの地区の他、平戸城下の武家屋敷を移築した家があり、ナカンカワと呼ばれる共同井戸を備える唐見崎地区、石積で築かれた境界が残る放牧場や「五両ダキ」と呼ばれる海蝕断崖が見られる長崎鼻地区など、小値賀島には昔ながらの生活と生業に根差した集落景観が数多く残されている。




野崎島の北部に鎮座する奇岩「王位石」
航海安全祈願の御神体として古代より信仰を集めてきた

 小値賀島の南西に浮かぶ大島は小規模な農村集落であるが、享保年間(1716〜1736年)から昭和30年代まで独自の自力更生制度を行っていた。これは生活に困窮する1〜2世帯を隣接する宇々島に移住させて、生活の立て直しを図らせるというものであった。また小値賀島の東に浮かぶ野崎島は現在事実上の無人島となっているものの、かつては「野崎」「野首」「舟森」の3集落が存在していた。そのうち最も古くから存在するのが沖ノ神島神社の氏子であった野崎集落である。江戸時代後期の1800年頃には大村藩の外海(そとめ)地区などから五島列島に移住した潜伏キリシタンが再度の移住により野首集落を築き、1840年頃には処刑から逃れた大村藩の潜伏キリシタンが舟森集落を築いている。




かつて潜伏キリシタンが生活を営んでいた野首集落跡
現在は旧野首教会と、旧野崎小中学校を利用した宿泊施設のみが残る

 これら野首・舟森集落の潜伏キリシタンは、沖ノ神島神社の氏子を装うことで江戸幕府の禁教政策による弾圧から逃れていた。禁教が解けた後はカトリックに復帰しており、明治41年(1908年)には教会建築の名手である鉄川与助によって今にまで残る野首協会が建てられている。しかし野崎島の各集落は高度経済成長期の集団離村によって人口が激減し、昭和41年(1966年)には舟森集落が、昭和46年(1971年)には野首集落が廃村となった。野崎集落には沖ノ神島神社の神主が最後まで残って毎日神社に通っていたものの、平成13年(2001年)に島を離れたことにより野崎島は事実上の無人島となった。各集落には石積で築かれた家屋や段々畑の跡が残っており、現在は野生鹿の楽園と化している。

2018年05月訪問




【アクセス】

<小値賀島>
佐世保港から高速船で約1時間25分、フェリーで約3時間20分。
島内交通は小値賀交通バス、レンタサイクルあり。

<野崎島>
小値賀港(はまゆう桟橋)から町営船「はまゆう」で約35分。
*1日2本、旧野首教会の内部拝観は事前予約が必須。
*王位石および舟森集落跡へのトレッキングはガイド付きツアーが必須。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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