新上五島町崎浦の五島石集落景観

―新上五島町崎浦の五島石集落景観―
しんかみごとうちょうさきうらのごとういししゅうらくけいかん

長崎県南松浦郡新上五島町
重要文化的景観 2012年選定


 五島列島のうち最東部の主要島である中通島。その北東端に位置する崎浦地域は、明治時代より海岸に露出する砂岩質の堆積岩を利用した石材業が盛んであった。崎浦地区で採石・加工された石材は五島石と呼ばれ、平戸や長崎など西九州を中心に出荷されていたという。昭和中期になると安価な石材の流通によって衰退を余儀なくされたものの、集落の周囲には数多くの石切り場跡が残されており、また集落内にも石垣や石畳など無数の石材製品を目にすることができる。これら五島石の石材業の歴史伝える「友住」「江ノ浜」「赤尾」の3集落、および北東に浮かぶ「頭ヶ島」と採石場として利用されていた「ロクロ島」を含む範囲が国の重要文化的景観に選定されている。




崎浦に石工技術をもたらした「利吉」が住んでいた江ノ浜集落
浜には大正時代に築かれた石積の突堤が残っている

 中世から近世にかけて、崎浦地区の人々は漁業により生活を営んでいた。有川湾で捕鯨が行われていた江戸時代には、崎浦の人々も捕鯨船に搭乗していたという。崎浦地区において石材業が興るのは江戸時代後期、江ノ浜集落に住んでいた「利吉」という人物が平戸領で石工の技術を学び、持ち帰ったことに始まるという。崎浦の石材を使用した年代が確認できる最古の建造物としては嘉永5年(1852年)に築かれた平戸島の普門寺常盤蔵があり、建物内の銅板に「五島封内頭嶋石」と刻まれていることから頭ヶ島の石材が用いられたことが分かる。明治時代に入ると舗装・建築用材として石材需要が高まったこともあり、崎浦の石材は「五島石」の名で広く流通されることとなった。




平地の少ない友住集落では、石垣を築いて土地を確保している

 赤尾集落の人々は採石や板石の制作を得意としており、また江ノ浜集落には加工と彫刻を行う石工が数多く住んでいた。港町として地域の玄関口を担っていた友住集落では石材流通に関わる問屋業が主であったなど、崎浦地区の石材業は採石・加工・流通の各プロセスが集落ごとに分業されているのが特徴である。採石は船での運搬が容易な海岸部で行われ、「ウゴラ」「マブシ」「ホトケザキ」などと呼ばれる石切り場跡では、石を切り出す為に打ち込こまれる割り矢の跡など採石の痕跡が残されている。板石など単純加工の製品は切り出した石をその場で加工して販売先に直接運ばれ、石塔など手間のかかる製品は荒加工の後に集落の加工場に持ち込んで仕上げを施していた。




友住集落の路地には今もなお石畳が残る

 五島石の石材業は明治時代の中期から後期にかけて最盛期を迎えたものの、大正時代に入ると五島石のような砂岩の代わりに北松浦郡の鷹島で産出される「阿翁(あおう)石」や「黒島石」といった玄武岩系統が主流となり、また大正12年(1923年)の関東大震災により煉瓦造の建造物が甚大な被害を受けたことから、煉瓦造と共に石造の建築も廃れていく。コンクリートやアスファルト舗装などの台頭により舗装材としての需要も減ったことから、崎浦地区の石材業は他所の石材を使用した加工業に移行していった。昭和40年頃からは漁業が集落の中心的な生業となっていったものの、現在も石塔の制作に特化した石材加工業が数件現存している。




赤尾集落には立派な「腰板石」を張った家が多い

 崎浦の集落では至る所で五島石を目にすることができる。それは石畳や石塀、石垣、石段、神社の鳥居、手水鉢、石臼といった石材の一般的な用途のみならず、家屋の外壁や井戸の上屋までもが五島石によって築かれている。平らな土地の少ない友住集落では石積を築いて家屋を建てる土地を確保しており、また裏路地には昔ながらの風情を醸す石畳や石段が残されている。海岸沿いに家屋が連なる赤尾集落では、家屋の腰(外壁下部)に板石を張った「腰板石」の家が多い。その厚さは5〜6cmほどで、一番大きなものでは約180cmもの高さがある。昔は家の床下に「いもがま」と呼ばれる甘藷の貯蔵庫を設ける家が多く、腰板石はその温湿度の管理、動物や雨風の侵入を防止する目的があったという。




五島石で築かれた頭ヶ島天主堂
今は山林となっている周囲の山には段々畑が築かれていた

 友住港の北東に位置する頭ヶ島は近代初頭まで定住者のいない無人島であったものの、明治2年(1869年)頃に中通島中部の鯛之浦に住んでいた潜伏キリシタンが迫害を恐れて移住し、島内の各海岸に分散して集落を築いた。頭ヶ島の潜伏キリシタンたちは禁教が完全に解けた後にカトリックへ復帰しており、大正8年(1919年)には白浜地区の高台に五島石を用いて築かれた頭ヶ島天主堂が完成している。その設計と施工は教会建築の名手と名高い鉄川与助によるもので、小規模ながらも石造の教会堂として稀有な存在だ。内外共に斬新な意匠であり、長崎の周辺に数多く残る教会堂の中でも傑出したものと評価されて国の重要文化財に指定されている。

2018年05月訪問




【アクセス】

佐世保港から高速船で約1時間40分、フェリーで約2時間30分。
有川港から西肥バス「頭ヶ島教会」行きで約20分、「友住」バス停下車すぐ。
*頭ヶ島教会へは上五島空港からシャトルバスを利用(要予約)。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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