平戸島の文化的景観

―平戸島の文化的景観―
ひらどしまのぶんかてきけいかん

長崎県平戸市
重要文化的景観 2010年選定


 長崎県の北部、九州本土から幅500m程の平戸瀬戸を挟んで浮かぶ平戸島。古来より大陸と日本を往来する船の寄港地として知られており、また天文19年(1550年)にポルトガル船が来航してからは南蛮貿易港として賑わい、同時にイエズス会宣教師によりカトリックの布教活動が行われた。現在も平戸島にはキリシタンの伝統を継承しつつ、限られた土地を巧みに利用した昔ながらの集落景観が残ることから、平戸島東岸部の「宝亀(ほうき)町」「田崎・神鳥(かんどり)・迎紐差(むかえひもさし)地区」、西岸部の「主師(しゅうし)町」「春日町」「獅子町」「根獅子(ねしこ)町」「飯良町」の計7地区、およびキリシタンの聖地である「安満岳」と「中江ノ島」を含む約1455.2haの範囲が国の重要文化的景観に選定されている。




マタラ神父の墓(左)がある田崎集落のカトリック共同墓地
宝亀教会や紐差教会の建築に携わり、大正10年(1921年)に没した

 平安時代以降、平戸島は松浦(まつら)水軍の本拠地であり、江戸時代には松浦氏を藩主とする平戸藩の城下町として栄えていた。寛永18年(1641年)に最後まで平戸に残っていたオランダ商館が長崎の出島に移転されたことにより南蛮貿易港としての機能は失われたものの、その忘れ形見として平戸島には数多くのカトリック信者が残されることとなった。江戸時代には禁教令による弾圧から潜伏することを余儀なくされたものの、その信仰は祈りの言葉である「オラショ」や聖具・聖地などと共に継承されていく。禁教が解けた後の明治24年(1891年)には宣教師のマタラ神父が来島し、氏の洗礼によって多くの潜伏キリシタンがカトリックに復帰。宝亀集落などに信仰復活の象徴である教会堂が築かれた。




獅子集落の港に面して築かれている石垣とそれに根を張るアコウ
樹齢200〜250年で、平戸島に現存するアコウとしては最大級だという

 平戸島は全体的に起伏が多く、平坦な土地が少ない地形である。特に西海岸は高低差の大きい断崖や突出した岬が連なっており、複雑な海岸線を呈している。戦国時代、これら平戸島西岸部は平戸を治めていた松浦隆信(まつらたかのぶ)の重鎮である籠手田安経(こてだやすつね)が領していた。永禄元年(1558年)に安経が父親と共にカトリックの洗礼を受けてキリシタンとなり、住民たちもまた一斉改宗した。しかし既存の寺社との軋轢が生じ、また天正15年(1587年)に豊臣秀吉がバテレン追放令を発したことから松浦隆信はキリシタンの弾圧を開始。その跡を継いだ松浦鎮信(まつらしげのぶ)が家臣に棄教を命じたことから籠手田氏は長崎に逃亡し、建てられていた教会堂も廃された。




根獅子集落とその前に広がる砂浜
根獅子の浜は潜伏キリシタンが処刑された殉教地でもある

 残された人々は講を組織して信仰を維持し続け、慶長17年(1612年)に江戸幕府による禁教令が発せられると地下組織化。聖画像を祀る納戸神や観音菩薩に模したマリア観音に祈りを捧げ、神棚にロザリオを隠すなど、神道・仏教徒を装うことで弾圧から逃れていた。一方で、殉教者も少なからず存在した。根獅子では夫婦と三姉妹の家族が婿養子の密告により捕らえられ、長女の腹の中の子を含む六人が処刑されている。その遺体はウシワキの森に埋葬され、「おろくにん様」として聖地化された。また寛永12年(1635年)には七十数人の潜伏キリシタンが処刑されている。いずれも処刑は根獅子浜の小岩で行われ、殉教者たちはここからパライソ(天国)に逝ったことから「昇天石」と呼ばれ祀られている。




谷間に連なる春日の棚田
右奥には集落の聖地である丸尾山が見える

 平戸島西岸部の人々は漁業と畑作で生活をしていたが、江戸時代に平戸藩が水田の整備を推奨したことにより斜面を切り拓いた棚田が築かれるようになった。中でも春日集落の棚田は高低差が大きく圧巻で、海岸から谷筋に沿って標高150m程まで石積が連なっている。江戸時代の絵図と比べてもあまり変化しておらず、禁教期の景観がほぼ変わらず維持されている貴重な集落だ。なお、棚田の中心付近には丸尾山と呼ばれる小山が存在するのだが、その頂上からは長方形の墓穴を持つキリシタン墓地が確認されている。永禄4年(1561年)に春日集落を訪れたイエズス会宣教師アルメイダの書簡によると集落内には十字架が立っていたとされており、この丸尾山がその場所ではないかと推測されている。




安満岳の山頂へと至る参道
周囲にはアカガシの原生林が広がっている

 春日集落の背後には平戸島の最高峰である標高534mの安満岳(やすまんだけ)が聳えている。古来より山岳信仰の対象として崇拝されており、山頂には養老2年(718年)に勧請したとされる白山比賣(はくさんひめ)神社が鎮座する他、かつて宣教師と対立した仏教寺院である西禅寺の跡も残されている。禁教時代に入ると潜伏キリシタンの信仰は日本の伝統的な宗教観と結び付き、安満岳や殉教地である中江ノ島を聖地とするなど本来のカトリックの教義から解離していった。なお春日集落など平戸島西岸部の人々は、禁教が解けてもカトリックに復帰せず独自の信仰(いわゆる「カクレキリシタン」)を続けていった為(後に神道や仏教に吸収)、集落に教会堂は建てられていない。

2018年05月訪問




【アクセス】

<宝亀集落>
・平戸桟橋バス停から西肥バス「宮の浦・志々伎」行きで約30分「宝亀」バス停下車すぐ。

<春日集落>
・平戸桟橋バス停から生月バス「平戸線」で約20分「白石」バス停下車、徒歩約30分。
・平戸桟橋バス停から西肥バス「宮の浦・志々伎」行きで約35分「紐差」バス停下車、「紐差」バス停から平戸市ふれあいバス「小春日線」で約25分「春日」バス停下車。

<根獅子集落>
・平戸桟橋バス停から西肥バス「宮の浦・志々伎」行きで約35分「紐差」バス停下車、「紐差」バス停から平戸市ふれあいバス「飯良線」で約15分「根獅子」バス停下車すぐ。

*平戸市ふれあいバスは日曜祝日等運休、本数も少ないので時刻表を要確認。

【拝観情報】

散策自由(ただし、住民の迷惑にならないように)。

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