法隆寺東室、法隆寺聖霊院

―法隆寺東室―
ほうりゅうじひがしむろ
国宝 1955年指定

―法隆寺聖霊院―
ほうりゅうじしょうりょういん
国宝 1952年指定

奈良県生駒郡斑鳩町


 飛鳥時代の推古天皇15年(607年)に聖徳太子が斑鳩宮の西隣に創建し、1400年以上に渡り現在まで法灯を守り続けてきた法隆寺。その広大な境内は、天智天皇9年(670年)の大火後に築かれた西院(さいいん)伽藍と、奈良時代の天平11年(739年)に斑鳩宮の跡地に築かれた東院(とういん)伽藍に大別される。そのうち西院伽藍は信仰の中心である金堂と五重塔を廻廊で取り囲み、寺院中核の聖域を形成している。その廻廊の東側に建つのが「聖霊院」および「東室」だ。これらは僧侶の生活の場である僧房とその一部を改修して築かれた仏堂であり、廻廊の西側に建つ「三経院及び西室」と共に古代寺院における三面僧房の様相を伝える貴重な存在として国宝に指定されている。




法隆寺東室の東面
軒には丸垂木が用いられ、柱に桁を直接乗せるなど古式の様相を見せる

 東室は桁行十二間、梁間四間の僧房であり、奈良時代に建立された当初の建物が現存する。西院伽藍の中枢部に次いで築かれたものと考えられているが、礎石や柱にはさらに古い転用材が使われており、それらは法隆寺創建時にまで遡る可能性があるという。平安時代後期の12世紀初頭に損傷し、法安二年(1121年)に旧材を用いた再建に近い形の大修理が実施された。その際に南側六間を聖徳太子像を祀る堂とし、鎌倉時代後期の弘安七年(1284年)にはその部分が聖霊院に改築された。以降も手が加えられ、永和三年(1377年)の修理では床組や天井、小屋根を改修、側柱上に舟肘木を入れている。またこの頃から二間一房の制度が崩れ、間仕切りが変更され一部の部屋は経蔵として利用されていた。




東室の西面は軒が角垂木であり、すべての柱に舟肘木を乗せて桁を受けている

 東室は板扉と連子窓の二間分で一房を構成している。現状は永和の改修当時の姿に整備されているものの、第二房、第三房だけは当初の僧房の姿に復原されている。建物の構造は側柱、入側柱のいずれも桁を直接乗せ、庇に繋虹梁を架けている。母屋のうち各房の境は陸梁に扠首組、中間では大虹梁に棟束を立てて棟木を受けている。軒は丸垂木を用いるなど、極めて簡素な形式だ。大虹梁は全体が円弧を描いており、これは廻廊の虹梁と似ていることから建造時期の連続性がうかがえる。また東室の東隣には「妻室(つまむろ)」が並行して建っている。これは平安時代後期の保安二年(1121年)頃に建てられた小僧房であり、桁行二十七間、梁間二間の規模で重要文化財に指定されている。




亀腹の上に建つ法隆寺聖霊院
妻飾の豕扠首(いこのさす)が印象的な、純和洋の仏堂である

 東室の南側に接続する聖霊院は、前述の通り保安二年(1121年)に東室の南側六間を改修し、弘安七年(1284年)に独立した仏堂として全面的に建て替えられた聖徳太子を祀る仏堂である。屋根は本瓦葺の切妻造であり、妻入の正面に一間幅で檜皮葺の通り庇と向拝を付けている。建立当初の規模は桁行六間、梁間四間であったが、その後、梁間が五間に拡張された。組物は正面が平三斗、側面が出三斗、軒を二軒(ふたのき)の繁垂木として仏堂らしく整えている。通り庇は大面取の角柱を立て、角肘木で桁を受けている。軒は一軒(ひとのき)の疎垂木とする。正面と側面に高欄付きの縁を巡らし、建具は正面が蔀戸、側面は蔀戸と板扉を吊っている。




聖霊院の側面を望む
建具に蔀戸(しとみど)を吊るなど、住宅風の作りとなっている

 聖霊院の内部は手前二間を外陣(礼堂)とし、最奥一間を後陣、その間の三間のうち左右の一間を脇陣、内側三間を内陣に区画している。いずれも床は拭板敷であり、内陣と外陣および脇陣との境界を格子戸で仕切っている。天井は外陣および脇陣は小組格天井、内陣は折上格天井だ。内陣には間口三間の背面一杯に巨大な厨子を作り付けており、この厨子の正面に見られる唐破風や蟇股は繊細で優美な曲線を持つ秀作として知られている。また唐破風上にある木造獅子口は現存最古の遺例でもある。聖霊院は聖徳太子を祀る仏堂として建立されたものの、その外観や平面形式は寝殿造の対屋(たいのや)を思わせる住宅風であり、当時の住宅様式を知る上でも重要な建築となっている。




聖霊院および東室に向き合うように建つ「妻室」
中庭を挟んだ東室の各坊と一組として使用されていた

 聖霊院の厨子内部には平安時代の保安二年(1121年)に開眼供養された聖徳太子と侍者四体の坐像が安置されている。聖徳太子を中心に、右に異母弟の「卒末呂王」および太子の師である高句麗の僧侶「恵慈法師」、左に太子の嫡男である「山背王」および異母弟の「殖栗王」が並ぶ。いずれも木造であり、切金と彩色による装飾されている。太子像は両手で笏を持ち、険しい表情で口をわずかに開けている。これは勝鬘経を講讃する四十五歳の姿を写したものと伝えられている。また太子像内には救世観音像および法華経、維摩経、勝鬘経の三経が納められていることが調査により判明している。従者像はおおらかでユーモラスな造形が特徴だ。これら五体の坐像は一括して国宝に指定されている。

2006年05月訪問
2010年04月再訪問
2022年04月再訪問




【アクセス】

・JR関西本線「法隆寺駅」から徒歩約20分。
・JR関西本線「法隆寺駅」から奈良交通バス「法隆寺参道」行きで約10分、「法隆寺参道」バス停下車、徒歩約5分。
・近鉄橿原線「近鉄郡山駅」から奈良交通「法隆寺前」行きバスで約30分、終点下車、徒歩約10分。

【拝観情報】

・開門時間:7時〜17時30分。

【参考文献】

聖徳宗総本山 法隆寺
法隆寺東室|国指定文化財等データベース
法隆寺聖霊院|国指定文化財等データベース
・講談社MOOK 国宝の旅

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